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2024.12.04

死の間際に「経帷子はいらぬ」と言ったのは?現代人にも刺さる、戦国武将の名言

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最近「終活」という言葉をよく聞くようになりました。意味は、人生の終わりについて考えて備える活動のこと。人生の幕引きを自分でやるのは、精神的な強さが求められそうですね。いつも死と隣り合わせだった戦国武将たちの終活は、どんなものだったのでしょうか?

えっ、地獄が怖くないって!?

仏式で死者を葬る時、死者に着せる白い着物を、経帷子(きょうかたびら)と呼びます。歴史は古く、鎌倉時代ごろから始まったとされていて、死者の罪業が消えて浄土へ往生できるという信仰から広まったようです。死の床で、この経帷子を断った戦国武将がいました。

うるさの経帷子や、おれはいらぬ。お身(お前)が跡からかぶりおじゃれ

ここで、クイズです! この言葉を残したのは誰でしょうか? 下から選んでください。

1 伊達政宗
2 前田利家
3 豊臣秀吉

さて、答えは…。

2の前田利家です!!

夫の遺志を尊重し、家を守った賢夫人

経帷子を利家に勧めたのは妻のまつです。夫の死期が迫っていると感じて、自ら縫った経帷子を着て欲しいと頼みますが、利家は頑として聞きませんでした。それなら、後にお前が着ろという有様です。臨終の場でも再度頼んだところ、利家は自分の考えを明かしました。

「乱世に生まれて人を殺したが、1人も理由なく殺した者はおらぬ。それよりも、人を助けたことの方が多い。地獄で鬼たちに責め立てられても、恩を受けた勇士の霊が多いので、彼らが鬼を追い払うであろう。だから経帷子は必要ではない」

エピソードを聞くと豪快な戦国武将の印象ですが、この言葉を伝える以前には、まつに筆を取らせて嫡子利長に宛てた遺言状をきちんと残していました。家臣の人柄に触れていたり、金銀をきちんと整理して帳面に書いてあることなどが書かれていたり、見事な終活ぶりです。

利家亡き後、大坂から加賀(現在の石川県南部)に居を移したまつは菩提を弔うために出家します。また前田家に謀反の疑いがあると唱える徳川家康に対して利長は迎え撃とうとしましたが、まつはこれを良しとしませんでした。自分が人質となって江戸へ行くことで終結させたのです。争いを避けて家を守ったまつを、あの世の利家はどんな風に見ていたことでしょう。

参考書籍:『戦国武将の名言録』楠戸義昭 PHP研究所、『亜相公御夜話(あしょうおんやわ)』(『御夜話集』上巻所収、石川県図書館協会)村井長明、『日本大百科全集』小学館、『世界大百科全集』平凡社、『世界歴史人物辞典』朝日新聞出版

アイキャッチ:金小札紅糸威五枚胴具足 ColBase

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。