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2025.11.04

幻の絵師・写楽2作品を三重県石水博物館で再発見! 伊勢商人が守った江戸の宝

大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では、いよいよ喜多川歌麿、葛飾北斎に続き、幻の絵師、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)が登場。10か月の間に145点の浮世絵を制作したといわれる写楽ですが、絵師としての期間が短いため、現存する作品も少なく、本物は希少と言われているのです。そんな中、なんと三重県津市にある石水博物館の施設で2作品が再発見され、話題を集めています。海外に流出してしまった浮世絵が多い中、なぜ国内の、それも伊勢の商家に眠っていたのか。その謎を探るべく、石水博物館を訪ね、学芸員の龍泉寺由佳(りゅうせんじゆか)さんにお話を伺いました。

財を築いた伊勢商人が江戸の書物や浮世絵を蒐集

-大河ドラマを見ていても、この時代の地方の様子というのはあまりわからなかったのですが、現在開催されている『蔦屋重三郎と珠玉の浮世絵‐写楽・国芳・国貞・広重‐』展を見て、伊勢商人も江戸の中心地で商売をしていたんだと驚きました。

龍泉寺:江戸時代は、大衆衣料として木綿が爆発的に普及していたため、伊勢の木綿問屋は右肩上がりで財を成していったんです。この地図にある大伝馬町1丁目に出店していた7割は、伊勢商人たちの店(たな)でした。その多くは川喜田久太夫(かわきたきゅうだゆう)家のような木綿商人で、それ以外は紙問屋や尾州(びしゅう)織物などです。ここから歩いて5分ぐらいのところには、あの蔦重の耕書堂※1があったんですよ。

※1 蔦屋重三郎が吉原大門口五十間道に開いた地本問屋で、天明三(1783)年に通油町(東京都中央区日本橋大伝馬町三丁目)に移転し、黄表紙や洒落本、狂歌集、歌麿、写楽の浮世絵を刊行していた。

現在も日本橋で紙問屋を営む小津和紙の製品「東都大伝馬街繁栄之図」のファイルを見ながら解説してくれる龍泉寺由佳さん

ーこのあたりの店の様子は、浮世絵にも描かれているんですね。

龍泉寺:これは歌川広重の描いた「東都大伝馬街繁栄之図(とうとおおてんまがいはんえいのず)」なんですが、伊勢商人の家はみなこの浮世絵を持っていました。なぜかというと、絵の下のほうに「応需」とあるように、伊勢商人たちが広重に注文して描いてもらっていた浮世絵なんです。

ー伊勢商人の店はこんなにすごいぞ!(笑)とアピールするための現代のチラシやポスターのようですね。ここに店を構えていたから、伊勢商人たちも版元や浮世絵師と関係が深かったんですね。

「東都大伝馬街繁栄之図」 歌川広重 石水博物館蔵

江戸の店を通して、独自ルートで書物を購入していた

龍泉寺:石水博物館を創設した川喜田半泥子(かわきたはんでいし)※2の祖となる川喜田家は、岡田屋嘉七(おかだやかひち)という全国に流通する本を扱っていた書物問屋(しょもつどんや)と深く付き合っていたようです。やり取りの手紙も65通も残っていて、「注文してもらった品が今はないので、入ったら大伝馬町の店に届けておきます」や、海運を利用していたので「水天宮のお守りを入れておきます」などの手紙が残っているんです。伊勢に住む川喜田家の当主たちは、江戸の店を通して、商品の受け取りをしていたんですね。ただ、江戸で流行していた狂歌や黄表紙や洒落本などには、あまり関心がなかったようで、歴史を考証した随筆などの学術書を中心に購入していたようです。

※2 寛永3(1626)年に創業した木綿問屋川喜田久太夫家の十六代目。祖父・石水、父・政豊が相次いで亡くなり、半泥子が満1歳の時に川喜田家の当主を継ぐことになる。厳格な祖母に育てられ、文化、教養を叩き込まれた半泥子は、百五銀行の頭取を務めながら、絵画や陶芸にも傾倒し、多くの作品を残す。

▼川喜田半泥子についてはこちら
自分が心から欲するものを創る。陶芸家・川喜田半泥子の芸術と生涯

『吉原丸鑑』 蝶郎著 羽川珍重画 石水博物館蔵

江戸時代の出版物の多様さを物語る蔵書2万冊

ー単に書物や浮世絵だけでなく、仕事柄というのもあるけれど、手紙のやり取りや、購入したものを記載した帳面などが残されていて、史料としてもすごく貴重だなと思いました。伊勢の本家には蔵書が2万冊あると伺いました。江戸時代の商人たちは知識欲もあり、文化教養にあふれていたんですね。

龍泉寺:日本にはプライベートミュージアムがたくさんありますが、それらは近代になってから財を成した方が蒐集したものが多いですよね。川喜田家の場合は、先祖代々、文化に造詣が深く、時代、時代のものを受け継いできているので、蔵書の内容も幅広く、点数も多いんです。そこが一番の特徴かなと思います。川喜田家の歴代当主の中で、元禄(1688〜1704年)前後に生きた九代、十代あたりは、早めに商売から離れ、嵯峨野に隠居して、和歌を嗜んでいました。また、この地域は、地元出身である本居宣長(もとおりのりなが)の影響も大きかったんです。 伊勢商人たちはこぞって、宣長の有力門人となりました。川喜田家でいうと、十二代の夏蔭(なつかげ)は宣長と付き合いがあり、先生に和歌を添削してもらったりしています。それ以外にも、茶の湯をやったり、京都の文化に傾倒していました。江戸の庶民文化は、どちらかというとサブカルチャーと感じていたようで、地本はあまり蒐集していないんです。

寛政の改革で宣長ブームが再燃

-その後、大河ドラマでも描かれた田沼意次の失脚で、寛政の改革によって引き締めが始まりますよね。

龍泉寺:それまで狂歌や戯作に浮かれていた江戸の武士も、文武両道が叫ばれ、儒学や和漢の古典などの勉学にいそしむ状況となりました。そういった時に、宣長が日本の歴史書や古典の注釈書を出していたのが、すごくありがたかったようで、江戸でも宣長先生の名は轟いていたんです。

ー展示の中に、宣長が執筆した『出雲国造神寿後釈(いずものくにのみやつこかんよごとこうしゃく)』は、蔦重が版元でしたね。江戸の町人と学者がつながっていたというのが、ちょっと驚きでした。

龍泉寺:これは、蔦重が、宣長にビジネスチャンスを見いだしていたからだと思います。蔦重って日光に一回お参りしているぐらいしか旅の記録がないそうで、ほとんど江戸から出ることがなかったとか。そんな人が、わざわざ伊勢国の松坂まで宣長先生を訪ねてくるということは、よほど注目していたんだと思います。

『出雲国造神寿後釈』 本居宣長著 石水博物館蔵

ーやはり、そのあたりは、さすがメディア王ですね。

数千枚の浮世絵を蒐集した川喜多家のお宝

-今回展示のほかに、蒐集した浮世絵を図録にまとめられましたね。その中身はまさに「珠玉」といった作品が目白押しでしたが、どのように蒐集されたのですか。

龍泉寺:川喜田家が所蔵している浮世絵の大部分は、江戸時代後期から明治にかけて江戸の店を中心に蒐集したもので、一部は松坂(現在の松阪市)の木綿問屋、大伝馬町1丁目の伊勢商人仲間であった長井家の歴代当主が蒐集した浮世絵です。これらを昭和6(1931)年に、半泥子が、古文書、古典籍と共に購入したんです。長井家の当主は、お芝居が好きだったらしく、役者絵や芝居番付、役者評判記といったものが大量に含まれています。

『日本駄右エ門猫之古事』歌川国芳 石水博物館名品図録 /『雪梅窓の若狭理』 三代歌川豊国 浮世絵編より

-伊勢商人は、浮世絵師にとってパトロンのような存在だったんでしょうか。

龍泉寺:財力があったのでそういう部分もあったでしょうね。ただ、役者絵は当時大量に売り出されたブロマイドのようなものでしたから、町人たちも安価で購入できていました。1800年代に活躍した歌川豊国、国芳、国貞(三代目豊国)も注目されたのは最近になってからですからね。川喜田家には、二代国貞の手紙も残っているんですよ。

蔦屋吉蔵版東海道五十三次貼交屏風 歌川広重

-東海道五十三次の浮世絵を貼った屏風もすごいですね。

龍泉寺:これは近年別のお宅から寄贈されたもので、川喜田家伝来ではないんです。よく見ると雑な彫りだったりするので、お土産用に作られたものだと思います。広重は生涯に20種類以上の五十三次ものを作っているんです。私たちがいつも見ているのは、保永堂版と呼ばれているもので、それが一番有名なんです。保永堂版の五十三次がヒットしたので、いろいろな版元から依頼されて制作されたのだと思います。

左)「東海道五十三対 《坂の下》」右上)「東海道五十三次 《鞠子》右下)《四日市》歌川広重 石水博物館名品図録 浮世絵編より

収蔵庫に眠っていた写楽の浮世絵を再発見!

-確かに、江戸時代には、安価なものとして販売されていた浮世絵ですから、日本人にとってはそこまで貴重なものではなかったんでしょうね。だから、海外の方のほうが熱心に蒐集されていたわけで。今回の展示の目玉でもある、東洲斎写楽の浮世絵も、海外の美術館にはあったけれど、国内で見つかったのは初なんですよね。

龍泉寺:そうなんです。この浮世絵は、当時100枚ほど流通していたようですが、役者絵は歌舞伎の上演ごとに描かれていた宣伝のチラシのようなものだったので、消費されてしまっていたんです。写楽は謎の多い絵師として有名ですが、10か月の間に4期の公演の役者絵を描いていて、その後消息がわからなくなってしまいました。ですから、現存しているものも貴重で、今回再発見した『三代目瀬川菊之丞の都九条の白拍子久かた』と『二代目中村仲蔵の荒巻耳四郎金虎』の2点は、世界でもボストン美術館とシカゴ美術館にそれぞれ1枚ずつ、ベルギー王立美術歴史博物館に2枚あるだけなんです。これは蔦重が版元となっていて、浄瑠璃『鶯宿梅恋初音』の一場面を描いたものとされています。

写楽についてはこちら
賛否両論! 謎の天才絵師・東洲斎写楽の「大首絵」を詳しく解説

左)「三代目瀬川菊之丞の都九条の白拍子久かた」右)「二代目中村仲蔵の荒巻耳四郎金虎」写楽画 石水博物館蔵

江戸文化研究に没頭した半泥子

-この浮世絵は状態もいいし、とても200年も前のものとは思えないきれいな発色ですね。

龍泉寺:これは川喜田家伝来でも、長井家伝来でもなく、 京都にある柏原家という江戸店持ちの京商人が所蔵していたものなんです。今も日本橋で『黒江屋』という屋号で、漆器を扱っていらっしゃいます。その京都の本家の方に、半泥子の祖父である石水(せきすい)の弟が養子に入っているんです。そこへ三井家からお嫁さんをもらうほどの格式のある商家で、その柏原家が所蔵していたものでした。それを半泥子が懇願して譲り受けました。

-半泥子というと陶芸家のイメージですが、浮世絵蒐集もなさっていたんですか。

龍泉寺:半泥子がやきものを始めたのは55歳になってからなんです。それまでは、江戸文化研究に没頭している時期があり、それで親戚筋である柏原家で、この写楽の浮世絵を見せてもらったようです。柏原家は、川喜田家よりもずっと早くに江戸文化に着目していて、鳥居清長や歌麿の淡い色使いの素晴らしい浮世絵をたくさん所蔵されているんですよ。ただ、これに執着した半泥子の鑑識眼もすごいなと思います。柏原家には、「川喜田久太夫氏 懇望ニ付贈与ス」という記録が残っているんです。

-今では少し後悔されているかもしれませんね(笑)。どういう状態で保存されていたんですか。

龍泉寺:半泥子が譲り受けてからも、封筒に入ったまま保存庫にしまわれていました。柏原家にあった時代もほとんど人目に触れておらず、光に当たっていなかったそうです。今こうやって実際の色を見てみると、下の背景が薄墨で刷られていたり、梅の花の部分が白で抜かれていたり、当時の技法なども、現物を見て分かった部分もあるんです。それに写楽というと、大首絵のイメージですが、これは役者の全身を描いた細判で、色合いも薄く、鳥居派※5に近い雰囲気です。いろいろ役者絵を描いてきた写楽が、原点回帰した貴重な作品だと思います。

※5 元禄期(1688~1704)から、今日に至るまで画系を保ったの浮世絵師の流派。鳥居清信 (きよのぶ) を鳥居家初代として、役者絵、看板絵・番付絵などを中心に描いている

蒐集に情熱を傾けた半泥子の思いとは?

-大河ドラマが始まるタイミングに出てきたのもすごいですね。これはもう神の引き寄せっていうか、俺は実在するぞという写楽の念?(笑)。

龍泉寺:学芸員をやっていると、そういうことはよくあります(笑)。当初、半泥子は昭和に出た写楽や歌麿の復刻版の浮世絵をたくさん買っていたので、これも復刻版だと思っていたんです。今回、展覧会を開くにあたり、収蔵作品を整理している時に発見され、それを浮世絵研究の大家である浅野秀剛(あさのしゅうごう)先生に見てもらったら、「これは復刻じゃなくて、本物だ」ということになり、一躍ニュースとなりました。

-京と江戸に挟まれた伊勢という土地は、東海道の要衝で、江戸時代にはお伊勢参りが爆発的に人気となるなど、今以上に重要な場所であったのですね。川喜田家のおかげで、このような貴重なお宝を現代でも見ることができて、受け継ぐことの大切さを改めて感じます。

龍泉寺:半泥子には、この資料もそうですけれど、やはり地元の資料は地元に残したいという強い思いがあったんです。半泥子の蒐集には、自分の興味あるなしにかかわらず、国外に流出しないように、伊勢関係の資料を見つけたら、買い戻すということをしてきたんですね。その辺が伊勢商人魂というか、プライドがあったんだと思います。

今回の展示はまさにその集大成という気がします。ぜひ、多くの方にこの展覧会を見ていただきたいし、さらに『べらぼう~』への親しみがわくと思います。今日はどうもありがとうございました。

アイキャッチ画像 左)「三代目瀬川菊之丞の都九条の白拍子久かた」右)「二代目中村仲蔵の荒巻耳四郎金虎」写楽画 石水博物館蔵
<撮影協力・写真提供>公益財団法人 石水博物館 

『蔦屋重三郎と珠玉の浮世絵‐写楽・国芳・国貞・広重‐』展

会場:石水博物館(三重県津市垂水3032-18)
会期:9月6日(土)~11月9日(日)
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:毎週月曜日(但し祝日の場合は翌平日)
入館料:一般500円、学生300円(中学生以下は無料)
主催:石水博物館 協賛:株式会社百五銀行/三重トヨペット株式会社 後援:NHK津放送局
公式ホームページ

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黒田直美

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。
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