その死体、もしかすると息を吹き返すかもしれない。そんな恐怖から生まれたのが生ける屍、つまりゾンビである。今回紹介するのは腐った肉体で動きまわる、日本のゾンビたち。
棺からこんにちは

仮名草紙の代表的作者、浅井了意に『入棺之尸甦怪(につかんのしかばねよみがへるあやしみ)』という話がある。題のとおり、人間が死んで棺に納められたのちに蘇生した、という奇妙な話だ。
大内義隆の屋敷で女房が死んだ。野に送り出し、埋葬しようとしたところで突然息を吹き返したからたまらない。打ち殺すのはあまりに気の毒である。そこで連れて帰り剃髪にし、僧衣を着せて尼にした。しかし半年ほどして死んでしまった。
死んだ女が蘇生したので尼にした、というこの話。不完全な蘇りだったのか、女はふたたび死んでしまったという。
『入棺之尸甦怪』には、死して蘇った人物がもう一人登場する。
永禄年中に光源院の家で使っていた者が急死した。
二日の間、安置していたが生き返る様子がないので埋葬しようとすると、急に蘇生した。撲殺して埋めようとしたが、屍は手を合わせて泣き叫びながら命を助けてほしいと嘆願してくる。
さすがに気の毒に思ったのか家へ連れて帰り、部屋で安静にしていると四、五日で普段の状態に回復した。
屍がむくりと動き出したのにも驚くが、躊躇なく打ち殺そうとしているのも驚きだ。この人物が、本当に死んでいたのかどうかという疑問も残る。
『入棺之尸甦怪』が執筆されたのは江戸時代。この頃には生き返るようなことがあれば、その場ですぐさま撲殺されるのが一般的だったのだろうか。生き返った屍(というのは変な言い方だけれど)をもう一度殺してしまおう、というのは理にかなったことなのか、それとも不合理なのか……どちらにせよ死者にとっては最悪の目覚めである。
とはいえ、生き返ったのなら土の下に埋めてはおけない。ましてや殺さないでと(死んでいたけど)頼まれてしまっては誰も断れない。
ゾンビの語ることには

「死人に口なし」という言葉は、本物の死体にだけ言える言葉だ。息を吹き返した死人は存外、お喋りである。
『おなつ蘇生物語』という江戸時代に書かれた話を紹介しよう。
信心深いおなつは、かつては全くの不信心者だったが、寺の住持の説法を聞いて改心した。あるとき、おなつは難産がもとで亡くなってしまう。
ところが死の翌日に生き返った。そして自分が死んでいるあいだに見た極楽浄土の景色を人びとに語って聞かせたのである。
『佐渡怪談藻塩草』に登場する男もまた、自分の生き返りを人に語っている。
享保のはじめのころの話である。
佐渡の相川町を仏道修行で歩いていた坊主が、ある人に問われて自分がなぜ出家したのか、その経緯を語った。じつはこの坊主、二歳のころに流行り病で死んだのだという。
母親は生き返るのを待ったがどうしても生き返らない。だから、墓に埋められた。ところが四、五日して墓のなかで息を吹き返し、掘り起こされたのだという。
「一度は死んだ身です。ふたたび生を与えられたのだから仏のため、菩堤の道に入りなさい」
母親の言葉を受けて自分は出家したのだと坊主は語った。
土佐の奇談集『長浜村三平蘇生』にも死んだのに平然と戻って来た男の話があって、それによると長浜村の三平という者が流行り病で死に、砂原へ葬られたが、しばらくして戻って来たと書かれている。
「彼は幽霊ではなく生き返ったのだ」とだけ記されているその簡素な文章が妙に生々しくて、もしかするとほんとうに三平は戻って来たのではないかとどきりとさせられる。
ただ、三平がどんな姿をしていて、どんな様子だったかまでは分からない。生前の姿形のまま帰って来たのだろうか。あるいは、朽ちた体を引きずっていたのか。
人を喰らうゾンビ

海外のゾンビ映画を観ると、グロテスクでスプラッターな死体が人間を襲っている映像がおおい。おなじ生ける屍でも日本のそれよりも、ずっと乱暴で凶悪なイメージだ。でも、日本のゾンビだってただ生き返ってその辺をうろついているだけではない。なかには生者を襲うものもいるので油断はできない。
佐太という男が山へ行った帰り道、辺りはすっかり日が暮れてしまった。すると、そこにあった古塚が崩れて骸骨が現れる。
骸骨と佐太は取っくみ合いになるが、佐太が力任せに突いたところで骨はバラバラになってしまった。(『白骨の妖怪』より)
奈良県の興福寺には、より生々しいゾンビの話が伝わっている。
奈良の興福寺の鐘つき堂に夜ごと鬼が現れては鐘つきの子どもをとり殺した。そしてこの鬼というのは、かつて興福寺で働いていた男だった。
死して蘇った男を退治しようと子どもは男の頭髪を掴んで引っ張った。すると男は、握られていた頭髪を剥いで逃げたという。(『日本霊異記』より)
剥げた頭皮からは血が流れていたというから、現代人からすれば、その鬼の姿はまさしく血のしたたるゾンビそのものだ。
まだ死んでない!
日本版ゾンビの活躍は仮名草紙『諸国百物語』の中にも見ることができる。
たとえば、恨みがあるらしい人物の墓に自力では行くことができないからと屈強な若者に背負ってもらい移動するゾンビの話(『蓮台二つ塚ばけ物の事』)。深夜に棺から抜け出しては灯りの油を舐めたり、寺僧たちの鼻に紙燭を入れて舐め回っているゾンビもいる(『仙台にて侍の死霊の事』)。
あるいは、川向こうに現れた死体に舟に乗せてほしいと頼まれたとか(『端井弥三郎幽霊を舟渡しせし事』)、墓にいた若者の腰を墓の中から氷のように冷たい手が出てきてむんずと掴んだ(『まよひの物二月堂の牛王にをそれし事』)なんて話もあって、まるでお化け屋敷のような登場の仕方である。
彼らは蘇って、なにをしたかったのだろう。ゾンビたちは自分が死んでいることを忘れているのだろうか。それとも、すっとぼけているのか。死んでいるにもかかわらず生者と同じように自由に動きまわり、やりたい放題である。まあ、べつに死んだからといって謙虚になる必要はないのだけれど。
生ける屍の誕生

そもそも、死者たちはなぜ蘇るのだろう。
天正十三(1585)年に書写された『直談因縁集(じきだんいんねんしゅう)』に、死人について記されたおもしろい記事がある。これによると、かつて日本では、死人の扱いは今とはまるでちがうものだったという。
日本で死んだ人間を供養するようになったのは、仏教が伝わってからだと言われている。つまり、古代人は人間が死ぬと塚(土を盛った墓)に閉じこめるだけだった。牛や馬と同じように、である。
仏教が人びとに浸透していくなかで死者の魂は丁重に扱われるようになっていく。
現代日本では身近な人の葬式にでも参列しないかぎり、日常生活の中で死体を目にする機会はあまりない。それに日本の葬送はほとんどが火葬だから、今は誰もゾンビ化できない時代である。当たり前だが、肉体がなければ死体はゾンビ化することはできない。
堕地獄のエピソードも死霊の怪談も、すべては現世への執着が招いた物語だ。執念は残された肉体や骸骨に引き継がれ、成れの果ての「生ける屍(ゾンビ)」が誕生する。
おわりに
『佐渡怪談藻塩草』の母親は、息子が息を吹き返すと信じて待っていた。息を吹き返した息子も異様だが、死体の前でそれを待ちつづけた母親も異様だ。そして、それこそがゾンビが恐ろしい理由だと思う。
死んでいるのに体をもっている、ということ。幽霊とちがって物質的な肉体を伴っている、ということが怖いのだ。その恐怖は相手が大切な相手であればあるほど強くなる。
もしかしたら死んでいないかも、死んでほしくない。そんな不安と願いがゾンビ譚の根底にはある。生き返るのを期待して死体の前で待ちつづける人の想いが死体を動かしているのかもしれない。
【参考文献】
伊藤慎吾、中村正明「〈生ける屍〉の表象文化史 ―死霊・骸骨・ゾンビ―」青土社、2019年

