尾張最古の銘酒としての伝統を守る
慶長2(1597)年に、国宝犬山城のおひざ元で創業した小島醸造。420年以上の歴史を誇る酒造とあって、風格のある家屋に一歩足を踏み入れると、時代劇に出てくるような帳場や、骨董品のような甕(かめ)や酒瓶、重厚な柱に古時計が目に入ります。一瞬にして江戸時代へとタイムスリップした気分になりました。

この家で育ったという鈴木真理子さんは、代々守り継がれた荵苳酒を自分の代で終わらせてはいけないと、ご自身の仕事を持ちながら、15代当主を引き継いだといいます。
「私は戦後生まれなので、小島醸造が栄えていた時代を知らないのですが、祖母や叔母の話を聞くと、城下町の中心地に広大な敷地を持っており、戦前までは豪勢な暮らしをしていたようです。祖母は、人力車で学校に通っていたそうで、『歩いて学校に行ったことがない』と自慢気に語っていました(笑)」と鈴木さん。小島家は、古地図にも載っており、その一帯は小島町と呼ばれていたそうです。

門外不出の秘伝で製造される尾張で最も古い銘酒
荵苳酒の製造方法は、一子相伝、門外不出の秘伝のため、一度途絶えたら二度と同じ味の酒は造れないのです。江戸時代には、広島や和歌山、静岡などでも造られていたそうですが、小島醸造以外は廃業されてしまいました。
「原材料の調達から仕込み、醸造、瓶詰まで全工程を当主が一括管理でやっています。仕込み時期は杜氏が住み込みで仕事をするので、食事の準備などもしていました。家の蔵を改修するときに、いろいろなものが出てきたのですが、スイカズラの葉のようなものもたくさん出てきて、栽培もしていたのかもしれません」
材料は、スイカズラと米と米麹のみで造られるシンプルなお酒。温度管理も日本酒ほど難しくなく、数年経過しても腐敗せず、時が経てば経つほど味わいが深くなるお酒なのだとか。滋養強壮、不老長寿の酒としても伝えられているそうです。
「ウイスキーのような琥珀色で、味わいは甘く、そのまま飲んでも、炭酸で割っても、お湯で割ってもおいしいです。血行もよくなるので、私も寝る前に少量を飲んだりしています」と鈴木さん。私も実際にいただいてみると、トロリとした口当たりで、薬草といわれるだけあって、飲むと体の中からじんわりと温まり、確かに血の巡りがよくなっている気がします。

歴史を紐解けば、秀吉の朝鮮出兵にもつながる?
この荵苳酒、もともとは朝鮮宮廷で飲まれていた高級酒として伝えられています。それがなぜ、日本で製造されるようになったのでしょうか。そこには深い歴史とのつながりがあると鈴木さんは語ります。
「朝鮮人より荵苳酒の製造方法を伝授されたという記録が残っているんです。小島家の初代は、武士だったようで、そのものが何かしらの形で製造方法を教えてもらったのではないかと思うのです」
何やら壮大な歴史の渦を感じる出来事。時を戦国時代へと戻してみましょう。織田信長が明智光秀に謀反を起こされた「本能寺の変」の9年後、天正18(1590)年に豊臣秀吉が天下統一を果たします。向かうところ敵なしとなった秀吉は、中国大陸への侵攻へと勢いづきます。
その前段階として、まずは朝鮮を配下に収めようと、文禄元(1592)年から慶長3(1598)年にかけて、二度にわたる秀吉の朝鮮出兵が始まります。いわゆる文禄・慶長の役といわれるものです。その時に日本に来ていた朝鮮人が、その後捕虜となり、それを助けた日本人に古来伝わる荵苳酒の製造方法を教えたとの言い伝えがあるのです。
初代は武士、二代目が小島醸造を創業
この朝鮮出兵を機に、豊臣家臣たちとその他の戦国大名が対立、反乱を生み、その後の関ヶ原の戦いへと発展していきます。落武者となったと伝えられる初代に代わり、二代目小島弥次左ェ門(こじまやじざえもん)は、武家として生き残る道ではなく、荵苳酒の醸造を始め、商家へと転身する道を選んだそうです。士農工商と言われた時代、武士から商家へというのは、思い切った転換だったことがわかります。それが功を奏したようで、武家時代のつながりもあったのか、この『荵苳酒』は殿様への献上品として取り扱われるようになりました。
「犬山城主である尾張徳川家に仕えていた成瀬家に献上したという記帳は、実際に残っています。徳川家康もお気に入りで荵苳酒を飲んでいたとも伝わっているんですよ」と鈴木さん。

駿府城に薬草園まで作ったという健康オタクの家康なら、荵苳の薬効に目を付けたのも当然かもしれません。もしかすると、関ヶ原の戦いに一役買ったのでは?との妄想も広がります。
三英傑が関わった犬山城の波乱の歴史
小島醸造のある犬山市は、国宝犬山城で知られる歴史深い町。風情と情緒にあふれた江戸時代の面影残る街並みや、からくり人形の山車が町を練り歩く「犬山祭」が有名で、人気の観光地となっています。

この犬山城、織田信長の叔父である信康が、天文6(1537)年に築城したと伝わりますが、世は戦国時代の真っただ中、次々と城主が変わり、現代までに27名が名を連ねているのです。それほどの激動の歴史を生き抜いた城であり、多くの有名武将が関わりを持った城。小牧・長久手の戦いでは、豊臣秀吉が拠点とし、豊臣軍と徳川軍の拮抗の末、和平となった後、再び、信長の次男、織田信雄に返還されます。その後、豊臣秀吉の天下統一で家臣、石川光吉が城主に、関ヶ原の戦い後は、家康側についた小笠原吉次が入城というように、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑が関わった由緒ある城なのです。江戸時代に入り、元和3(1617)年には、尾張徳川家の家老、成瀬正成が城主となり、以後、成瀬家が代々城主となっていきました。
小島家の庭園にはあの戦国武将が関わっていた?
多くの武将がかかわった犬山城の歴史もあり、この小島醸造にはもう一つ貴重な史跡があるのです。それは古田織部が作庭したと伝えられている庭です。織部は、秀吉、家康に仕えた武将で優れた茶人でもあった人物でした。

「庭師さんに見てもらったら、庭の石も昔の石組みのままなんだそうです。井戸の滑車も本物の織部焼で造られていると言われました。灯篭も焼き物でできているのが珍しいそうです。資料として残ってはいないのですが、小島家が大切に受け継いできた庭であり、あちこちに植えられているドウダンツツジも一度も枯れていないんです」

ドウダンツツジとは思えない大きさからも歴史の長さを感じます。戦禍にも遭わず、残された家屋や庭のあちこちから、当時の様子が伝わってくるようです。これを文化遺産として残そうと、2025年の春より、一部を宿泊施設、一部をレストランとして、開業しました。レストランでは、蔵から大量に出てきた江戸時代よりこの地で造られてきた犬山焼を使って、料理を提供しているのだとか。

そして、今年75歳となる鈴木さんは、先のことを考え、醸造技術を新たな醸造家に引き継ぎ、『荵苳酒』を残そうとしています。

伝統を守ることは簡単なことではないけれど、420年以上続いてきた小島醸造の歴史の灯を消さないために、新たな試みも始まりました。来年の春には犬山城下で、『犬山大茶会』の二回目を開催するとのこと。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟』もスタートし、安土桃山、江戸時代の愛知県が注目されるタイミング、犬山城とこの城下町に、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

小島醸造
住所:愛知県犬山市犬山東古券633
電話:0568-61-0165
営業時間:10:00~16:00(12:00~13:00は昼休み)
休み:日曜日、水曜日午前
<参考資料>日本国語大辞典(小学館)

