誰に話しかけるでもない。
思わず心の声が漏れ出た。
遠くからでもはっきりと分かる。
小さなお社の中に見えるのは。
なんともフォルムが独特の生き物。
薄くて平べったくて。
白くてつやつやして。
少し濡れてる「白ナマズ様」。
とはいえ、実際に生きているワケではない。
白磁の「白ナマズ様」である。
今回の記事は、なんとこの「白ナマズ様」が主役なのだ。
さて、今回の「ダイソンの寺社探訪」。
訪れたのは、佐賀県嬉野(うれしの)市にある温泉街近くの神社。
その名も「豊玉姫(とよたまひめ)神社」である。
JR嬉野温泉駅から距離にして2㎞ほど。
長崎街道より路地のような細い参道に入り、3つの鳥居をくぐると到着。徒歩だと30分ちょっとかかるくらいだ。

取材がちょうど桜の時期と重なったせいだろうか。
じつに朝から気分が浮き立つダイソン。
いやいや、まさかまさか。
「春だから」なんて、そんな純粋な理由ではないだろうと思われた方。
まさにその通り。
残念ながら、不純な動機なくして我が身は成り立たないワケで。
なんでもコチラの豊玉姫神社には。
全国的にみても、非常に珍しい御利益があるというではないか。
そんな甘い話を聞きつけて、すぐに取材アポを取った次第である。
さても、どのような御利益を授かることができるのか。
もちろん御利益のみならず、豊玉姫神社の歴史やみどころまで。
早速、ご紹介していこう。
※本記事の写真は、すべて「豊玉姫神社」に許可を得て撮影しています
※この記事に掲載されているすべての初穂料は、令和8(2026)年3月末現在の初穂料となります
じつは豊玉姫神社の歴史は古い?
「(豊玉姫神社の)創建の時期は、はっきりとは分からないんですよ」
こう話されるのは、豊玉姫神社の宮司、馬場信禎(ばばのぶよし)氏だ。
今回の取材に快く応じてくださった。

「戦国時代末期に戦火で(当社が)焼けているんですね。それで古い記録が残っていないということなんです」
なるほど。
確かに古文書などが燃えてしまえば、遡るコトは難しいだろう。
それでも幾つか説があるのだという。
「ひとつは神話的な年代となるんですが。歴史上の人物で『神功(じんぐう)皇后』という方がいらっしゃいます。嬉野を訪れて温泉で疲れを癒したというような言い伝えがあるので、その時に神宮皇后が豊玉姫をここにお祀りしたと」
「神功皇后」といえば。
それはもう遥か遠い昔、今から1800年以上前の話となる。
日本最古の史書「記紀(古事記と日本書紀)」に登場する人物で、仲哀天皇の皇后であり、懐妊したまま朝鮮半島に遠征し(三韓征伐物語)、帰国後に応神天皇を出産したといわれている。

じつは、この嬉野温泉の地名の由来に関わった人物でもあるとか。
先ほどの三韓出兵の帰途に嬉野に立ち寄った際、川の中に温泉が湧き、その湯が負傷兵の傷を癒したのを喜んで「あな、うれしの」という言葉を残したとされている。
そんな神功皇后の時代からとなれば。
豊玉姫神社の創建は200年頃。既に1800年を超える長い歴史を持つ神社となる。
ただ、一方で現実的な説もある。
「客観的な歴史として考えられるのは、鎌倉から室町あたりに『宇礼志野(嬉野)氏』という氏族がこの地に入ってるんですよ。(御祭神の豊玉姫に対しては)恐らく地元の信仰として古くからあったかもしれないんですが、本格的にお祀りされたのはそれよりも後だろうと考えられています」
この「宇礼志野(嬉野)氏」という一族は、平治元(1159)年に肥前杵島(きしま、佐賀県)で謀反を企てた「日向通良(ひゅうがみちよし)」の後裔だ。元寇の際には御家人の「竹崎季長(たけさきすえなが)」の下で奮戦。その後、藤津地方(佐賀県藤津郡など)で勢力を伸ばした。「宇礼志野」という漢字4文字を長いといわれ、のちに「嬉野」の2文字に変えたとか。
宮司曰く、戦国時代末期に起こった「宇礼志野(嬉野)氏」と武雄(たけお)の「後藤氏」との戦乱により、豊玉姫神社も戦火に巻き込まれ焼失したという。
「焼失後、建て直されるんですが。鍋島藩の支藩の『蓮池(はすいけ)藩』の領地になっておりまして。その殿様が社殿を再興され、祈願所となりました。(蓮池藩の)家紋は鍋島本藩と少し違っていて、花のしべがついている家紋で『鍋島花杏葉紋(なべしまはなぎょうようもん)』と言うんですが。(当社も)この家紋の使用を許可されています」

確かに、豊玉姫神社の本殿中央部分に神紋が見える。
こうして蓮池藩藩主「鍋島直澄」の祈願所となって以降、社殿改築や鳥居の寄進を受け、歴代藩主の庇護を受けたという。
「創建ははっきり分からないけれども、恐らく戦国時代に宇礼志野(嬉野)氏が奉斎(ほうさい)していただろうと。で、江戸時代から蓮池藩の殿様の祈願所になっているという歴史ですね」
どうして神社に「ナマズ」?
さて、ここで改めて境内に目を向けてみると。
先ほどから気になっていた、あの独特のフォルムを至る所で発見。
まずは、鳥居をくぐってすぐ左の祠にご注目。

なんせ平べったいので、祠の中をよく覗き込む必要がある。
もちろん、色は白。
「白ナマズ様」である。
手水舎にも、やはりその姿を確認できる。
だが、白色ではない。愛嬌ある表情につい頬が緩む。

ちなみに、余談となるが。
コチラの手水は嬉野温泉の温泉水が使われているとか。
「温泉の源泉を温度調節しています。熱過ぎて火傷になってもいけないので、比較的低い温度で出してるんですけど、少し温度が上がる時には硫黄のような香りがして、手で触ってみると少しぬるぬるしたような、肌に良い嬉野温泉の泉質が感じられますね」

確かに、参拝前に手を清めようと手水に触れると、一瞬、硫黄の匂いが鼻をかすめた。気のせいかとも思ったが、やはり温泉水特有の匂いだったようだ。
これなら、寒い日でも手がかじかむことなく清めることができる。なんなら手がしっとりと潤うような気さえするのだから。これも温泉水の効能なのだろう。
手を清めたところで。
再び境内をぐるりと見渡すと、さらにミニ「白ナマズ様」を複数発見。

これは、なかなか。
灯籠の前にちょこっと置かれた「白ナマズ様」。
あまりにもキュート過ぎるではないか。
サイズが小さいからか。
単体だとそこまで存在感がないのだが。
すべての灯籠に置かれると、これまた雰囲気が違う。
そういえば。
参道の灯籠にもミニ「白ナマズ様」が。

それにしても、と思う。
どうして神社に「ナマズ」の姿があるのだろうか。
「ナマズ」といえば。
「地震」を連想し、あまり良いイメージを持たない人も。
恐らく江戸時代に流行した「鯰絵(なまずえ)」のせいだろう。
「鯰絵」とは、当時、地震を起こすと考えられていた「ナマズ」を描いた錦絵のコト。
鎌倉時代には、日本を取り囲む巨大な龍が動いて地震が起こると考えられていたようだが。いつしかその流れは変わり、安政2(1855)年の「安政の大地震」では「ナマズ」が原因という説が広く知れ渡った。
そのきっかけとなったのが、茨城県の「鹿島神宮」だ。
この地には、地中深くに埋まる「要石(かなめいし)」が地震を起こすナマズの頭を抑えていると、古くから伝わっている。じつは、先ほどの「安政の大地震」が起こったのは、ちょうど神無月の時期だ。鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」が不在で、ナマズが暴れ出したと。そんなストーリーで描かれた「鯰絵」が安政の大地震後に飛ぶように売れ、「ナマズ」は地震の象徴のようになってしまったのである。
確かに、日本全国には。
同じような言い伝えのある「要石」が他にも存在する。
だが、一方で。
豊玉姫神社のように「ナマズ」を違う意味で捉える神社もある。
豊玉姫神社の御祭神である「豊玉姫大神」は海神の娘。かの有名な竜宮城の乙姫にあたり、水の恵みを司るとか。そんな豊玉姫の遣い、「神使(しんし)」となるのが「ナマズ」なのである。
「九州では水の神様として、『豊玉姫』という名前のほか、『よどひめ』『ゆたひめ』『とよひめ』という名前で、お祀りをしていることがあるんですね。同一神の別名と考えられているみたいです。佐賀県にある肥前一宮の『與止日女神社(よどひめじんじゃ)』もそうです。そちらも神様のお遣いがナマズです」
「神使」といえば。
稲荷神社の「キツネ」、日吉神社の「サル」など、つい陸上の動物が頭に浮かぶのだが。
豊玉姫大神は水の神様。だから「ナマズ」なのか。
でも、どうしてナマズ?
「恐らくですが。ナマズさんは内陸の水系では生態系のトップに当たるような立派な魚です。中国では鯉が滝登りをして龍になる『登龍門(登竜門)』という話がありますけれども。あれも髭が生えた魚です。水の神様の象徴は龍で、その髭を類推させるんでしょうね。ナマズも立派な髭がありますので、龍の髭を類推させるんじゃないかと思います」
豊玉姫神社の珍しい御利益とは?
豊玉神社の御祭神「豊玉姫大神」。
五穀豊穣や安産養育の神様でもある。
その神使となるのが「ナマズ」。
ただ、豊玉姫神社のナマズ様はレアな「白」だ。どうして「白ナマズ」なのか。
聞くところによると、どうやら神社の御利益と関係があるという。

「(当社が)『美肌の神様』と言われるようになったのは、平成12(2000)年ぐらいからだと思います。嬉野の町の方々が宣伝としてですね。白磁のナマズさんが奉納された頃ですね」
なんと、豊玉姫神社のもうひとつの御利益は「美肌」。
今回、どうしてもご紹介したかったご神徳である。
「近くに『シーボルトの湯』という入浴施設があるんですが。(当時は)その辺りで川の中からお湯が湧いていて、露天風呂のように川の中でお湯を使っていたらしいんですよ。その源泉の管理をしていたのが、この豊玉姫神社であったと」
明治時代以降は、民間の会社に移ったようだが。
それまで源泉の管理をしていたのが豊玉姫神社。まさに水を司る豊玉姫大神が御祭神なのも納得である。
「湯治客が嬉野温泉に泊まって病気を治すんです。特に皮膚病の平癒祈願、『シロナマズ』とも言われるような『尋常性白斑』などの病気があるんですが、そういった肌の病に悩む方が、ナマズの絵を描いて(豊玉姫神社に)奉納するという風習があったんですよ」

なるほど。
そういうコトか。神使と病名が掛け合わさって、嬉野温泉の湯治客が病気平癒のために参拝する。それが次第に広まり、ひいては皮膚病全般の平癒祈願へと繋がったのだろう。
現在は「絵」ではなく「絵馬」を奉納するようだが。
宮司の幼少期には、実際に絵を描いて奉納する風習が見受けられたとか。奉納された絵の大半は、半紙などに描かれており既に風化しているという。
「本当に素朴な絵ですよ。それこそ今も、奉納絵馬にいくらかナマズの絵を描いたりする方がいますけど、そんな感じで即興的に描いてあるのが多いですね」
ここで、ひとつ気になることがある。
始まりは皮膚の病気平癒であったものが、どうして「美肌」にまで発展したのだろうか。
「地元の方が嬉野温泉を『美肌の湯』として宣伝しようと。全国の泉質なども詳しく調べられて。その他にも温泉湯豆腐にも一番適した泉質であることも分かって。(美肌の効能が)科学的に証明されたというか、それで(嬉野温泉を)『日本三大美肌の湯』とアピールしました」
確かに、嬉野温泉の湯はぬめり気のあるのが特徴だ。
これは泉質がナトリウムを多く含む重曹泉であるからとのこと。そのため、湯上りは肌がすべすべとなり、皮膚をなめらかにするのだとか。
「湯治客がナマズの絵を描いて奉納し、地元の人は神様の使いだからとナマズを食べないと。これは昔から言われていることで。(このような風習から)嬉野の町の方々が、是非、ナマズさんの形をしたモノを当社にお祀りしたいと。それで『肥前吉田焼』っていう地元の窯元で焼いていただいて。奉納しようということになりました」

コチラが奉納された「白ナマズ様」だ。
「なまず舎」にどどーんと安置され、ひっきりなしに参拝者が訪れる。
古くから当地に伝わる風習。
訪れた湯治客の病気平癒の願い。
地元の人々の嬉野の繁栄への思い。
それら無形のモノすべてが込められたであろう「白ナマズ様」。
誰が言い出したかは分からない。
だが、自ずと信仰の対象となって。
今では嬉野を象徴する存在になりつつあるようだ。
横には立札があり、ご丁寧に参拝方法が記されている。
二礼二拍手一礼。
まさに神社と同じ参拝形式である。

早速、その御利益に与(あずか)ろうと。
ダイソン、心を込めて「白ナマズ様」に参拝。
既に「お肌の曲がり角」などという年齢をとうに過ぎてはいるが、それでも諦めず。美肌になるよう、気持ちだけは前向きに祈願した。
豊玉姫神社を交流の場に
心おきなくお参りしたところで。
近くに授与所を発見。

お目当てはというと。
全国的にも珍しい「美肌御守」だ。
「これはオリジナル(の御守)で。『美肌の御守はないんですか?』ってお尋ねがあるんですよ。それで用意しました」

それだけではない。
実用的なマスクとセットのものを発見。
「今、佐賀県は『コスメ県』という、県産の素材を使って化粧品を開発をしていく『コスメティックバレー』という構想を進めていまして。嬉野温泉のお茶とか、お湯などを使った製品を作ってる会社があるんですね」
確かに、嬉野温泉は美肌の湯。
その温泉水を使っているというだけで、なんだか効き目がありそうだ。
「嬉野温泉水を使って開発した嬉野温泉マスク。熱心にお参りいただくので、美肌御守と相性がいいとコラボセットのような形にしました。嬉野温泉の恵みをくださる神様のご神徳に合う授与品として提供しています」

「嬉野温泉の湯を使ってお仕事をされている会社を知っていただく手助けにと。そんな気持ちもあって、地元の色々な会社と協力しています」
そんな宮司の思いはさらに広がる。
じつは、豊玉姫神社の境内には、幾つか絵なども飾られている。
コチラは、境内にある八坂神社の外壁に描かれたものだ。
「(左の龍は)父の『わたつみのかみ(綿津見大神、海神)』ですね。当社では恐らく『住吉大神』として祀られている海の神様ですが。ナマズさんは、豊玉姫のお遣いと捉えて絵を描いていただきました」

「神社とアートの活動は相性がいいので、このような絵を描いてもらったり、ランタンを飾ったりと。とにかく、佐賀や嬉野に関わって活動されているアートの活動と、世界中からお見えになる参拝者の方との接点になる。そういうメディアとしての役割を少しでも果たしたいと、近年の活動として力を入れているところですね」
アートの他にも、音楽や出店など様々なイベントを模索中だとか。
すべては「豊玉姫神社」という場で、人と人を繋ぎたいという想いから出発しているという。
「ステージやマルシェという形で、地元で音楽をやられたり、小さなお店を出されている方のためのイベントを年に2回ずつしたいと考えているところです。マルシェは今年の5月23日に予定しています」

「それぞれの世代の知恵のある経営者が嬉野温泉を盛り上げて。その努力で嬉野を訪れた方に楽しんでもらえる受け皿のひとつに神社がなれればと。もちろん、昔から地元の方の心の拠り所としても大事ですけどね」
神使としての「ナマズ」から始まった取材だが。
「美肌」の御利益、アートの支援、そして目指すは「人を繋ぐ交流の場」へ。
こうして無事に取材が終了した。
取材後記
「信仰」とはじつに不思議なものだ。
今回の取材を通して、印象に残った言葉がある。
「『美肌』という言葉がね。25年を過ぎて、もうすぐ30年ぐらいなるんですかね。段々と本物の信仰になりつつあるのかなと。元々は、当然、病気平癒のような形で、その肌の病を治すっていうようなところが、次第に時代の意識の変化で『美肌の神様』という形で、信仰されるように変わってきたと感じます」
確かに、これまで多くの寺社を参拝したが。
信仰の起源が明らかだというのは稀だ。
多くは古くからの言い伝え、寺社に代々伝わる口伝、地元の伝説など。
超常的な事象が先なのか、人々の願いが先なのかは、実際のところ分からないのである。
ただ、裏を返せば。
それは当然のコトだろう。
10年や20年前の話ではない。何世紀も前の話であるから、分からないのは当たり前。
「『イワシの頭も信心』と言いますか、お正月にイワシをぶら下げたり、ボラをぶら下げたりする地域もあって。やはり、信仰というのは、始めがどういうことであっても、段々、本物になっていくようです」
そもそも「信仰」とは、仏や神を信じ尊ぶもの。
その始まりが、いかようでも。
そこに、人々の願いがあれば成り立つともいえる。
だからこそ、改めて思う。
心の底から信じ、願うことが必要なのだと。
──信じる者は救われる
定番の言葉だが。
意外と、これが真実なのかもしれない。
撮影/大村健太
参考文献
久松潜一 校註 「風土記 上」 朝日新聞社 1959年
茂木貞純 監修 「神社のどうぶつ図鑑」 二見書房 2018年10月
基本情報
名称:豊玉姫神社
住所:佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙2231-2
公式webサイト:https://toyotamahime.wixsite.com/bihada

