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Culture

2026.06.09

『一の糸』のモデル・鶴澤清六に導かれて、竹本織太夫が日枝神社詣で【文楽のすゝめ 四季オリオリ】第16回

文楽の太夫・竹本織太夫さんの語りを体験した人は、人物描写の的確さに引き込まれ、迫力と繊細さを兼ね備えた声に魅了されます。また肩衣と袴をまとった姿からは、凛としたオ—ラを感じることでしょう。

そんな織太夫さんからパワーをもらうファンも多いのですが、ご自身のチャ—ジはどうされているのでしょうか?ひょっとすると神社へのお詣りも、そのひとつなのかもしれません。

日枝神社は織太夫さんのパワースポット

東京都千代田区永田町にある日枝神社は、天正18(1590)年に徳川家康公が江戸城を居城とした時に、「徳川家の守り神」として敬ったと伝わります。高層ビル群に囲まれながら豊かな緑が広がる、都会のオアシスの印象。毎年6月には江戸三大祭のひとつ、山王祭が行われ、多くの人が訪れます。「こちらの神社でお授けいただいた交通安全ステッカーをトランクケースに貼っているのですよ」と、織太夫さんは話します。

竹本織太夫さん提供

『四季オリオリ』の連載では、関西の寺社を数多く巡ってきましたが、今回は織太夫さんのご提案で、日枝神社をお訪ねすることに。「7月に国立文楽劇場で『雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)』を語りますが、この作品を作曲した四代目鶴澤清六(つるさわせいろく)は、この日枝神社のエリアとご縁があるのですよ」と織太夫さんが教えてくださいました。以前から東京公演のおりには、よくお詣りにも来られているそうです。

「山王下」と呼ばれた四代目鶴澤清六の住まい

取材日の5月8日は、多忙な織太夫さんとスタッフの都合が唯一合った日でした。何気なく四代目清六のプロフィールを調べていて、驚きました。四代目清六の祥月命日だったのです。「私は、よくこういうことがあるのですよ」と織太夫さんは涼しい顔をされています。ご自身へと繋がる名人たちを敬い、お墓参りを欠かされないので、天上の名人たちを身近に感じておられるのでしょう。

「歌舞伎でも菊五郎といえば音羽屋のように役者のことを屋号で呼ぶこともあれば、住んでいる場所で呼ぶこともありますよね。岡本町(六代目中村歌右衛門)、神谷町(七代目中村芝翫)、紀尾井町(二代目尾上松緑)等。文楽もそれは同じで、初代綱太夫は新ろうじ、四代目綱太夫は江戸堀、七代目綱太夫は法善寺、八代目綱太夫は二ツ井戸……。同様に清六も『山王下』と呼ばれていました。山王祭で有名なように日枝神社が江戸時代より『山王さん』と親しまれてきましたから、こちらの神社の下(ふもと)に、清六の住まいがあったので山王下となるわけです」

織太夫さんは、今回の取材のために調べられたところ、その正確な住所がわかったそうです。「今では立派なビルが建っていますが、知らずにその前を通っていました。まさかこれほど神社に近い場所だったとは。通称通りだったことが、よくわかりました」

織太夫さんに連なる清六家とは

四代目清六は有吉佐和子の小説『一の糸』※1に登場する文楽の天才三味線弾き、露沢清太郎(つゆざわせいたろう)のモデルとして知られています。「『一の糸』のヒロインの茜(あかね)のモデルとなった静(しずか)の妹が、私の祖父の二代目道八に嫁いだので、私の祖母になります。静は祖母の姉ですから大伯母となり、清六が大伯父にあたります」と織太夫さん。

「『一の糸』をお読みいただくとおわかりになるように、清六には先妻がいました。本文中にも「團平の孫娘」という表現があるように、この先妻が初代からの鶴澤清六の系譜に連なる人であり、その方と当時政二郎といった清六が結婚したことで、清六家の人間となったのです。その後、清六の前名・徳太郎を襲名することとなり、後に私の祖父師匠である二代目古靱太夫(こうつぼたゆう 後の山城少掾)の相三味線(あいじゃみせん)※2となるタイミングで、四代目清六を襲名したのです」と、織太夫さんは教えてくださいました。

(※1)有吉佐和子による長編小説。文楽の世界を舞台に、天才三味線弾きを愛し、その芸と人生を支える茜の波乱万丈の生涯を描いている。
(※2)常にひとりの太夫を弾く三味線弾き、またその関係のこと。

織太夫さんの解説は続きます。
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と、なんで清六の孫娘じゃなくて團平の孫娘と結婚すると清六になれるんだ?って思いますよね、團平の名前を継ぐのではなくて。ここが私も系譜に連なる清六家の面白いところであり、ものすごい歴史が埋もれているのです。少し長くなりますが、お付き合いください。

初代鶴澤清六という大名人には、鶴澤きくという一人娘がいました。きくは最初、初代豊澤新左衛門という三味線弾きと結婚し、娘をもうけます。鶴澤あい、通称「おあい」さんです。新左衛門と死別したきくは、法善寺の津太夫と呼ばれた、竹本津太夫の三代目、後の七代目竹本綱太夫と一緒になります。この時点で清六家・津太夫家・綱太夫家は一緒になったわけです。ちなみに七代目綱太夫の弟子が山城少掾ですので、私の曾祖父師匠にあたります。

よく、大坂の商家は男系で家を継がせるよりも、娘によい婿をもらって家を女系で繁栄させた、なんていいますけど(ぜひ山崎豊子さんの『ぼんち』をお読みください)、そもそも初代清六が娘を新左衛門に嫁がせたところから始まっているかもしれませんが、同じことが清六家でも行われていきます。

のれんを代々守ってきた一門の歴史

文楽の芸は、名人から名人へとバトンが渡され、そしてその配偶者や家族によって守られてきたことが、織太夫さんの話から実感できます。まるでドラマを観るような興味深い話は続きます。
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きくと新左衛門との娘のおあいさんが、初代團平の弟子で当時九市といっていた将来有望な三味線弾きと結婚します。初代清六の孫にあたるわけですから、二代目清六の襲名を見込まれていたのでしょう。しかし、嫉妬ややっかみを買ってしまい「九市は清六のところへ行って腕が落ちた」との悪い噂を流され、結局おあいと離婚します。そして清六家を去り、團平のところへ戻ります。この人が後に仙左衛門から二代目團平を襲名したので、清六か團平かという人生を歩まれたわけです。そしておあいと九市の間に生まれた娘が鶴澤とく、通称おとくです。

続いておあいさんは三代目竹本大隅太夫と結婚します。今度「研の會」※3で語る『藝阿呆(げいあほう)』※4のモデルで、初代團平とのコンビで売り出したその当時の大名人です。

(※3)歌舞伎俳優の尾上右近が主宰する自主公演。
(※4)三代目竹本大隅太夫の波乱万丈な修行時代と、命がけの芸道を描いた名作。

両親の離婚と、母親の再婚があり、おとくさんは祖父母である津太夫ときくに引き取られ、「娘」として育てられたそうです。おとくさんは人形浄瑠璃の関係者とは結婚しなかったようですが、その娘の鶴澤きみが四代目清六と結婚することとなります。

初代團平を失った三代目大隅太夫は鶴澤叶という三味線弾きを得ますが、この方が襲名する名前がなかったところに、きくが一代限りの借用で清六を襲名しないかと声をかけ、三代目清六を襲名し、二代目古靱太夫を弾くこととなります。この三代目を貸し出す際に、四代目は孫娘(=きみ)に婿をもらって襲名させると話していたそうですから、きくの女傑ぶりには驚かされます。

と、きくの思惑通りに孫婿(正確には曾孫婿)に選ばれたのが、当時政二郎といった四代目清六です。「團平の孫娘」という意味がお分かりになりましたでしょうか。ほんとうのことなんです(笑)。

きくを中心にして説明します。

母:鶴澤ます 初代清六妻

鶴澤きく 初代豊澤新左衛門妻、七代目竹本綱太夫妻

娘:鶴澤あい(おあい) 二代目豊澤團平妻、三代目竹本大隅太夫妻

孫:鶴澤とく(おとく)

曾孫:鶴澤きみ 四代目清六妻

ということになります。

歴史は巡ると実感

文楽の物語には、芯の強い女性が多く登場します。激動の時代に、芸の世界に生きる舞台人を支えた妻や娘たちも、精神的な強さを求められたのではないか。そんな風に感じてしまいます。織太夫さんの解説は続きます。

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清六夫人の名前が「鶴澤きみ」だというのは、最近になってわかったことなのです。『山城少掾聞書』という本に、このあたりの詳しいことを書いてあるのですが、きみさんのことは「おとくの娘」としか書いておらず、ずっと名前が不明なままでした。しかし、数か月前に清六ときみさんの孫娘という方からご連絡をいただきまして、祖母の名前が鶴澤きみであると教えていただくことができました。先ほどの取材日が祥月命日だったということも含めて、運命を感じざるを得ません。

話を戻しますと、きみと結婚した政二郎は清六の前名の五代目鶴澤徳太郎を襲名しますが、その襲名披露が、またものすごく豪華で、当時の大名人三代目竹本伊達太夫(後の六代目土佐太夫)を弾き、『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』「十種香から狐火」で披露したのですが、二十歳そこそこの若造がと嫉妬を買ってしまったのでしょう。狐火でツレ弾き※5をしてくれる人がいませんでした。そこでツレ弾きを買って出てくれたのが、きみの祖父である二代目團平。徳太郎にとっても祖父にあたります。なんでも九市(二代目團平)も若いころ抜擢を受けた際にツレ弾きをしてくれる人がおらず、初代豊澤新左衛門が出てくれたそうで、様々ないきさつがあったにせよ、こうやって歴史は巡っていくのだなぁと思います。

(※5)中心となる三味線(立三味線)に合わせて弾く三味線や、それを弾く人のことをいう。

この後、きみと死別した清六が静と結婚し、その妹が二代目道八と結婚したことで、伯父の鶴澤清治を筆頭とした現在の一門の繁栄に繋がっているわけです。前述のとおり清六の孫にあたる方ともご縁ができましたので、こうした歴史は埋もれさせてはいけないと改めて思いました。

『一の糸』でも描かれた山城少掾との別れ

四代目清六は、天下の櫓下(やぐらした)※6である、豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)の相三味線として長年活躍をしていました。それが突然昭和24(1949)年の10月3日に、27年間の山城少掾との相三味線を解消すると発表し、文楽座から離れ、京都から『山王下』の永田町へと転居します。

(※6)江戸時代の劇場で、建物の正面屋根に掲げた櫓の下に名前の看板を掲げることを許されたのは、座を代表する者だけであった。転じて「一座の代表者」を指す。

当時世間を騒がせた出来事について、織太夫さんが解説をしてくださいました。
ーーー
清六は若いときから三味線の名手として別格の扱いを受けてきた人です。60歳というと、文楽の世界ではこれからという年齢ですよね。この決断が、いかに衝撃的な出来事だったのかが想像できます。

なんとかこのふたりの仲を収めようと様々な人が間に入ったそうですが、うまくいきませんでした。最終的には当時の最高裁判所長官までが乗り出したそうですから、当時の山城少掾と清六コンビが持っていた社会的な地位というものを感じさせます。『山城少掾聞書』の中で山城少掾が、『俊寛(しゅんかん)』※7を復活した際のことに触れている文章が、原因でした。清六の師匠である初代道八が初日から一週間ほど代役をしたのですが、道八だと波が寄せてくるようだったけど、清六だとそうでもなかった……。という部分を読んで、清六が憤慨したからだと言われています。

(※7)近松門左衛門の代表作『平家女護島(へいけにょごのしま)』の通称。鬼界ヶ島へ流罪となった俊寛の悲劇を描いている。

清六の妻の静も、山川静夫さんにそう語ったそうで、本にも残っています。もちろん真相は誰にもわかりませんが、ひとつの要因として清六が実は七代目綱太夫の名跡養子だったということがあると思います。清六家に婿入りすることで清六となったわけですが、鶴澤きくの伴侶は七代目綱太夫で、七代目綱太夫の名跡養子にもなっているんですね。山城少掾も清六のことを『息子さん』と呼んでいたと八代目綱太夫は言っていますし。やはり山城少掾が櫓下で大先輩であるという関係性の前に、清六家=綱太夫家の後継者だった清六というのが影を落としているのではないかと思います。七代目綱太夫の弟子である山城少掾からすると、複雑なところがあったのかもしれません。繰り返しますが、真相は誰にもわかりませんが、この観点もあるのだということは、お伝えしておきたいです。

かつて清六の住まいがあった場所に建つ、高層ビルを背景にして。竹本織太夫さん提供

文楽に復帰後に作曲した『雪狐々姿湖』

文楽の世界から離れた四代目清六は、その2年半後に文楽座に復帰します。再び芸の道へ戻った清六は、昭和30(1955)年に、66歳で重要無形文化財保持者の個人指定(人間国宝)に。その翌年に初演されたのが、『雪狐々姿湖』でした。高見順原作の『湖の火』を有吉佐和子が脚色演出を担当し、清六が作曲を行いました。

『雪狐々姿湖』は、このような内容です。

狐の白百合(しらゆり)は、命を助けてくれた猟師の源左(げんざ)に恋をしてしまいます。祖母狐の百蘭尼(びゃくらんに)から授けられた宝珠(ほうじゅ)の不思議な力で人間に姿を変え、源左の妻になります。しかし、その幸せは長くは続きませんでした……。

四代目鶴澤清六

清六から繋がる弟子たちが勢揃い

初演時の資料には、当時の出演者の名前が書かれています。「この作品の最初の幕、『崑山(こんざん)の秋』では、白百合の弟狐の右近を竹本綱子太夫が語っていますね。これは、私の師匠です。豊竹咲太夫の前はこの名前でしたので」と織太夫さんが説明をしてくださいました。同じ幕で三味線・鶴澤徳太郎と名前があるのは、清六の弟子で、後に二代目鶴澤道八を襲名したお祖父様だそうです。織太夫さんは、豊竹咲甫太夫時代の平成9(1997)年に、一度白百合の弟狐の左近を語ったことがあるそうです。

今回織太夫さんは、二幕目の「猟師源左の家より 冬の湖畔」を語られます。物語がドラマチックに展開する、情感溢れる場面です。共に演奏する三味線の鶴澤清介さんは、二代目鶴澤道八の弟子。清六の孫弟子になるわけです。「一幕目にも、三味線で弟の清馗をはじめ清六の芸脈が繋がった者が出演します。こんな風に一家一門の弟子たちが一同に揃うことは珍しいと思いますね」

清六は初演時の公演は体調不良で休演となりましたが、その後度々この作品を演奏したと記録にあります。昭和35(1960)年に71歳で亡くなると、昭和41(1966)年に七回忌追善公演として『雪狐々姿湖』が東京・三越劇場で上演されました。今は亡き名人に思いをはせながら、「夏休み文楽特別公演」の演奏を堪能するのはいかがでしょうか。

インタビュー・文/瓦谷登貴子 撮影/篠原宏明
取材協力/日枝神社

竹本織太夫さん出演情報

令和8年 夏休み文楽特別公演 第1部『雪狐々姿湖』に出演。

※第2部は『源平布引滝』『恋娘昔八丈』
※同時開催のBunraku Summer Festivalは『寿柱立万歳』『まちの灯』
■期間:2026年7月18日(土)~8月9日(日)
※7月23日(水)、31日(金)は休演。7月24日(金)第1部は貸切。
■開演時間:第1部 午前11時開演(午後1時終演予定)
第2部:午後1時45分開演(午後5時20分終演予定)
Bunraku Summer Festival:午後6時開演(午後8時25分終演予定)
■観劇料:第1部5000円(学生2500円 子ども18歳以下2000円)、第2部6700円(学生4600円)、Bunraku Summer Festival 6000円(学生4200円)
■会場:国立文楽劇場(OsakaMetoro・近鉄「日本橋」下車7番出口より徒歩約1分)

公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2026/2026summer/

チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/

尾上右近自主公演 第十回「研の會」FINAL 一、藝阿呆に出演。


一、藝阿呆
立方:尾上右近
文楽座特別出演:竹本織太夫 竹澤團七

二、鷺娘
鷺の精:尾上右近

三、春興鏡獅子
小姓弥生/獅子の精:尾上右近
胡蝶の精:尾上琴也 胡蝶の精:丸山紗奈
【大阪公演】
■会場:国立文楽劇場
■日時:9月5日(土)、6日(日)昼の部11時開演 夜の部16時30分開演
■観劇料(税込):特別席23000円※特典付き/1等席13000円/2等席9000円
鑑賞サポート実施日:9月6日(日)
主催:尾上右近事務所/関西テレビ放送株式会社
協力:松竹株式会社
【東京公演】 
■会場:明治座
■日時:10月2日(金)、3日(土)昼の部11時開演 夜の部16時30分開演  
■観劇料(税込):特別席25000円※特典付き/1等席15000円/2等席7500円/3等A席5000円/3等B席3000円
鑑賞サポート実施日:10月3日(日)
主催:尾上右近事務所
協力:松竹株式会社
■チケット一般発売:7月19日(日)10時より
■チケット取り扱い:イープラス/チケットぴあ/ローソンチケット/楽天チケット

Spotify podcast『文楽のすゝめ オリもオリとて』
X文楽のすゝめofficial

日枝神社基本情報

東京都千代田区永田町2丁目10番5号
公式ウェブサイト
https://www.hiejinja.net/

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竹本織太夫

竹本織太夫(たけもと おりたゆう)人形浄瑠璃文楽 太夫。1975年生まれ。大阪市出身。大伯父は四代目鶴澤清六。祖父は二代目鶴澤道八。伯父は鶴澤清治、実弟は鶴澤清馗。1983年、8歳で豊竹咲太夫に入門。初代豊竹咲甫太夫を名乗る。1986年、10歳で国立文楽劇場小ホールにて初舞台。2018年六代目竹本織太夫を襲名。実業之日本社から『文楽のすゝめ』シリーズを3冊既刊。NHK Eテレの『にほんごであそぼ』に2005年からレギュラー出演するなど多方面で活躍。国立劇場文楽賞文楽優秀賞等受賞歴多数。
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