【冴えわたる利休の眼力】どうしてわかるの? 何が違うの?
織田信長があるとき、利休に命じて一寸の狂いもないほど同じ形をした黒塗の棗(なつめ)を、10個つくらせたことがありました。信長は「この中から、よくできたものを3つ選び出してみるように」と命じると、利休は意中の棗を選んで信長に渡しました。
信長は、奥でそれらに自分にだけわかる目印をつけ、残りの7個と交ぜて、再度「上出来のものを3つ選んでみよ」と言いました。そうすると利休は、今度も前と同じ棗を見事に選び出したのです。
――『茶湯古事談(ちゃのゆこじだん)』より
◆解説
利休は好みがはっきりとしていて、棗ならば「利休形」という名称のフォルムが、現代まで伝わっています。また阿弥陀堂(あみだどう)という釜は、利休が紙で切り型をつくり、釜師にその形の釜を作製させたというエピソードも。フォルムや質感に敏感であること。そして物をよく観察し、自分の好きを突き詰めることが、美意識を鍛える第一歩といえるでしょう。

【反対のものを合わせると趣が生まれる】甘辛コーデは茶席からはじまった?
利休は、「数寄(すき)の茶席に出す道具は、栗のような大きなものには芥子粒(けしつぶ)のような小さなものを取り合わせるとか、栗のような甘いものに対しては、芥子(からし)のような辛いものを組み合わせるのが、茶の湯の巧者なり」と言ったそうです。
――『茶窓閒話』より
◆解説
茶道具の取り合わせは、対極同士のコーディネートが重要。ひとつのタイプにそろえたくなりますが、一見すると「ちょっと寂しい」「面白みに欠ける」ことも。
逆に正反対のものを合わせると、ある種の違和感が生まれ、「情緒」や「趣」、「余韻」を表すことができます。真逆のものを投入するというコーディネート法は、取り合わせのコツのひとつ。

【想像の花】自由なお茶の姿がここにある!
永禄10(1567)年の12月、利休の茶会に、豪商の松屋久政(まつやひさまさ)をはじめとする3人の客が招かれました。懐石が出されて中立[注1]となり、再び席入(せきいり)をして床の間の花に視線を移したとき、3人は驚きの声を発しました。床の間には「鶴ノハシ」[注2]という首の細い姿をした唐銅(からかね)の花入がありましたが、利休は花を入れてなかったのです。
3人が近づいて観察してみると、小指がようやく1本だけ入ろうか、という細い口のところまで水がいっぱい。挨拶に出た利休は、「花入の口まで水を入れておきましたので、これをご覧になりながら、皆さまの頭の中で花を入れ、私の点(た)てる茶をお飲みください」と言ったそうです。
――『松屋会記』より
◆解説
花入がある限り、花を生けるのは常識。けれど、脇役(花入)だけしか置かず、そこから主役(花)を想像させる、という高度な知の遊びが利休の茶の湯でした。
炉(ろ)の正午の茶事(ちゃじ)は、席入して炭手前(すみてまえ)、懐石、主菓子(おもがし)をいただくまでを「初座(しょざ)」とし、床の間には掛け物をかける。いったん中座して休憩=「中立」の後は「後座(ござ)」となり、床の間は掛け物から花入に変わり、濃茶(こいちゃ)、薄茶(うすちゃ)が行われる。
注2 鶴ノハシ
『松屋会記』に登場する「鶴ノハシ」は明暦の大火で焼失。「鶴ノ一声(ひとこえ)」という花入がそれに近い形とされていて、同名のものがいくつか存在。そのひとつが徳川ミュージアム所蔵。伝来は豊臣秀吉より安国寺恵瓊(あんこくじえけい)、千利休、柳営御物(りゅうえいごもつ)、水戸徳川家。

【真似しないほうがいい】今ならさしずめ“塩対応”と言われそう……
利休が茶入(ちゃいれ)に古い蓋を合わせたところ、少しだけ蓋が大ぶりで、胴体にきっちりと合いませんでした。しかし、その姿がかえって面白く、織田有楽[注3]に見せたことがあったのです。
その後、有楽も利休が行ったのと同じように自分の茶入に古い大きな蓋を取り合わせ、利休にそれを見せました。
利休は「このようなことをいつでもよいと思われるのですか。こちらの茶入には新しい蓋で、ぴったりのものが合いますよ」と助言。のちに独自に茶風を築いた有楽も、利休にあっては形無しでした。
――『茶話指月集』より
◆解説
利休は、わざとらしさやつくり事を嫌いました。実は、人真似を諫(いさ)めるエピソードには事欠かない利休だったのです。「わび」の精神とは“自分に似つかわしくないことは、してはいけない”という教えでもあります。
織田信長の弟で、本能寺の変のあとは、豊臣秀吉に仕えた。現在国宝に指定されている茶室「如庵(じょあん)」をプロデュースした人。

