医者の詐欺行為が横行しています

出典:東京都立図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00008321)
江戸で医者として働く平田玄端(げんたん)はこう語る。
今どきの医者は名誉と利欲ばかり追求して真実がない。容貌や住まいを飾るのも、身をおごそかに保つためではなく、あくまでより多くの収入を得るためだ。(中略)おのずと医術はおろそかにされ、患者をだます悪巧みのほうが百倍も上手い。
この状況が真実なら、悲しいどころでは済まされない。江戸の街にはまともな医者はいないのでしょうか。平田は世間の医者連中にたいして、ありったけの怒りをぶつけてみせる。
頭を丸め長羽織を身に着けて、格好だけは一人前の医者が巷に溢れている。江戸は路地にも長屋にも、犬の糞のように医者がころがっている。医者も医者なら患者も患者。どちらも医術の知識がないから、とりわけ医者が糾弾されることもない。まったく悲しむべき状況だ。
こんな状態では医者に診てもらうのにも勇気がいる。いったい誰に助けを求めればよいのか。誠実に医者をしている平田玄端が怒るのも無理はない。
それにしても犬の糞のように医者が転がっている、とはなかなか厳しいお言葉。まあ、糞なら路地を汚すだけで済むけれど、この医者たちはただ転がっているだけでは済まないから困る。
強欲、無知、無能
そもそも、どうしてこれほどまでにヤブ医者で溢れかえってしまったのか。そもそも医者を志す者たちの資質に問題があったようだ。
平田の話によれば、この時代、医者になる者のおおくは「脱落者」ばかりだった。武士の子、農家の子、職人の子など家業を継げなかった者たちが「しかたがない。医者にでもなるか」と気軽に開業するものだから真剣に医術を学ぶはずがなく、医書を読むわけもなく、だから病人の様子など分かるはずもない。こうして欲ばかりが強い、無知で無能の医者が量産されたというわけである。
平田は彼らを脱落者だと決めつけているけれど、ほんとうのところは分からない。ただ、欺瞞と悪徳にまみれた医者が多かったのは事実のようで、現代とくらべれば江戸は詐欺師まがいの医者ばかりだった。
詐欺師というのは人の心を掴むのが上手く、ヤブ医者もまた患者の機嫌をとるのが上手かった。
たとえば一日に何度も病人の様子を診に訪れたり、年末年始や天候が悪くても見舞いに来たり。患者の体調を気にかけていると装いながら、自分の患者がほかの医者に乗り換えないように見張っているのだった。
悪徳医たちの連係プレー、またの名を詐欺行為
平田玄端によれば、悪徳医たちは同業者と組合をつくり「タマゲキルヤウナ巧」をめぐらしていたという。平田自身も以前この怪しい組合に誘われた経験があるそうで、そのせいか内情に詳しい。そのときに悪徳医が話していた手管は以下のとおり。
患者や家族の信頼を得るためには、今日与えた薬の効果が必ず明日あらわれるようにしなければならない。ある医者がそう言うので、うまい方法があるのかと聞くと、こんな方法を教えてくれた。灰墨(はいずみ)で拵(こしら)えた丸薬を患者に飲ませ、明日もし黒い大便が出たら薬がよく回った証拠だと言っておけば、翌日黒い大便を観た患者はこちらを信頼すること間違いなし。その機会をのがさず高価な薬を勧めれば、患者は惜しまず金を出すというのだ。
灰墨を飲んだら、とうぜん大便は黒くなる。もちろん灰墨に薬効はない。医術の知識のない患者を巧みにだまして金を搾りとろうという算段である。
ほかにも、こんなことがあった。
たとえばある医者が裕福な家の患者を診療していたとする。
そこへ別の医者が訪れ「あの医者は〇〇という薬を用いたでしょう」と言う。家の者が「いいえ」と答えると「それはおかしい。〇〇は効果があるのに。明日、医者が来たら〇〇を貰いなさい」と勧めて帰る。
そう聞けば患者は、その薬が欲しくなる。
後日、家を訪れた医者に患者は「〇〇という薬が欲しい」と言う。すると医者は「しかし、たいそう高価な薬なんです」と答える。患者はどうしてもその薬が欲しくなっているから、どれほど高くても手に入れようとする。
もちろん〇〇なんて薬は存在しないし、家に出入りしているのは悪徳医である。言葉巧みに患者を誘導する様子はもはや詐欺そのもの。信じられないことに、組合を作った悪徳医たちはこうした見事な(?)連携プレーで大儲けしていたのである。
平田を誘った悪徳医は「今どきの医者はこうして収入を得ている」と言い「そうしないからあんたは貧乏なのだ」とさえ言ってのけた。嫌気のさした平田は医者をやめてしまう。こうして信頼できる医者がまたひとり、街から消えたのである。
転薬、また転薬
小野直方の『官府御沙汰略記』には、一か月のあいだに五人もの医者の治療を受ける女性が記録されている。この医者の乗り換えよう、セカンドオピニオンどころではない。とはいえ、こうした患者は江戸時代には多かった。直方自身もたくさんの医者を渡り歩いている。
治療に効果がないと判断するや否や速やかに医者を変えるのは、そもそも医者の治療を患者があまり信頼していなかったという事情がある。
ヤブ医者をかばうつもりはないけれど、江戸時代の医術の知識と技術に限界があったことを思えば、対処しきれないことも多かったにちがいない。江戸時代にも名医と呼ばれる医者はいたかもしれないが、医者は今よりもずっと軽い存在だったのだ。
医者はどうも信用ならない。そう感じていた当時の人たちがとった対策が「転薬」。転薬とは、薬を変えること。つまり、薬を処方してくれる医者を変えることだった。
医者の能力は個人の知識や技術ではなく薬の効き目で評価されていたから、効き目のある薬をくれる医者こそ信用できる医者だった。だから効く薬があると聞けば乗り換えたくなる。口の巧い悪徳医が儲かるわけである。
医者の神頼み
患者が医者と薬を簡単に乗り換え、医者自身も病に倒れる時代。医者も薬も信用できない場合、残された手段は神頼みである。
『官府御沙汰略記』を記した小野直方は医学の知識を備えた知識人で、家族や親族からずいぶんと頼りにされていた。とはいえ、そんな直方でも判断がつきかねる場合があった。
『官府御沙汰略記』をひもとくと、転薬の相談を受けた直方が牛天神に参拝している。
薬を変えるべきか、同じ薬を使いつづけるべきか。医学の知識がある自分でも決められないと、直方は神前で決めることにした。つまるところ、神頼みである。
神さまの意向により、転薬はしないことになった。しかし患者の容態は悪化。結局、べつの薬に変えてみたが改善せず、患者は病死した。
この記録から分かるのは、当時の医者は病を治す際に神仏の力を借りることに必ずしも否定的ではなかったということ。
直方は妊婦に薬だけでなく安産のお札も与えている。医学知識に富んだ直方ですら薬と守り札を一緒に渡している。呪術と医術はいまほど、くっきりと分けられていなかったのだろう。
となれば、巷には治療と見せかけて神仏の力に頼る詐欺師もいたかもしれない。記録には見つけられなかったけれど、もし見つけたらご報告します。
おわりに

出典:東京都立図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00049215)
ちなみに医師の資格試験が行われるようになるのは明治時代になってから。医学の修行をはじめて二年足らずで医者としての活動をはじめた者もいるというし、試験なし実習なし、医者らしい髪形と身なりに変えるだけで「一人前の医者」になれてしまう医療へのゆるさが、ヤブ医者を量産する結果になったのだろう。
それにしても家業を継げなかった「脱落者」たちは、医者になりたくてなったのだろうか。医者への広き門が誰にでも開かれていたとはいえ、ほかに職業選択の道はなかったのだろうか。
人の生死を預かるはずの医者になるのが、今日とはくらべものにならないくらい易しかった江戸時代。藪どころか筍にもなれない医者だらけの街では、医者を信用しようという気に、私もならなかったと思う。
【参考文献】
氏家幹人「江戸の病」講談社、2009年
「官府御沙汰略記」小野直方文献出版、1994年

