おっと。話が違うじゃないか。
せっかくカメラマンの話を導入部分で使わせてもらおうと思っていたのに。
ホント、こういう大事なところで役に立たな……。
え?
ウサギを飼ってた?
小学生の時に?ああ、学校から1匹もらったんだね。
なるほど。珍しく犬でも猫でもない……か。
なんと、今回の記事に見事マッチするじゃないか。
ほんでほんで?
外で飼ってるウサギが庭のフェンス沿いに穴を掘って……。
へえ、まさかの地下トンネル作るってか(笑)……え?合ってるんだ?
で、脱走……。まさにウサギの計画通りなんだね。それから?
近所の公園で見つけて……うんうん、虫取り網で捕獲?
なんか大変だな。ウサギ飼うのって壮絶すぎる……。
この話、ホントに使えるのかって?
使うよ。っていうか、もう使ってるよ。
だって、犬でも猫でもない動物の話だもん、今回の記事。
もちろん戦国のね。サンキュー!
ということで、もう説明は不要だろう(当然いるよ)。
ズバリ、今回の記事は「犬」でもない「猫」でもない、珍しい動物の話である。
もちろん、時代は戦国時代一択。
それらを繋げると、有名な戦国武将たちが動物と戯れるという夢の共演の企画、「戦国武将爆笑エピソード集(動物好き編※犬猫除く)」となるワケだ。
さても、どのような方が、どのような動物と共にご登場されるのか。
それでは、早速、ご紹介しよう。
※本記事は「大友宗麟」「加藤清正」「豊臣秀吉」の表記で統一しています
まさかの流言が飛び交う大友宗麟
最初の方は、あらま、戦国エピに初登場なのか。
九州の戦国大名の中でも有名なコチラのお方。
最近、多いよねえ。お初の方。まあ、いつも同じ人では飽きるワケで。たまには違う人なんてと思っているのは、私なのか読者の皆さまなのか(完全に前者だろうが)。
さて、初登場の方のお名前はというと。
戦国武将あるあるで、幾つもの名を持つコチラの方。
洗礼名の「フランシスコ」。または「義鎮(よししげ)」、いやいや、出家後の名も多い。「三非斎(さんぴさい)」、「圓斎(えんさい)」、「府蘭(ふらん)」、「宗滴(そうてき)」など。なかでも一番有名なのが「大友宗麟(そうりん)」だろう。

宗麟の生まれは享禄3(1530)年。
約4年後に生まれる織田信長とは同世代の武将だ。元服後は、当時の室町幕府第12代将軍「足利義晴」の「義」の字をもらい「義鎮」と名乗っている。
転機となったのが、天文19(1550)年。家督相続を巡る内紛もありつつ、結果的に宗麟が家督を継承。その後は地盤を固め、次第に勢力を拡大していく。
その原動力となったのが「南蛮貿易」だ。
若さゆえか、それとも宗麟が柔軟性のある性格だったからか。大友家の当主となった翌年、宗麟はキリスト教を布教中の「フランシスコ・ザビエル」と会見。その後にキリスト教の布教を許可している。
こうして、天文21(1552)年より、多くのポルトガル人宣教師が豊後国(大分県)へ来航。以降、宗麟は南蛮貿易で確実に富を増やし、中央の幕府との繋がりを強化していく。永禄2(1559)年頃には九州北部の6ヵ国を領したほど、大友家は最盛期を迎えるのである。
今回ご紹介するのは、そんな大友宗麟への贈り物の話だ。
出典は、佐伯氏の家臣であった杉谷宗重が著した『大友興廃記』より。古老の聞き取りや伝聞をまとめた豊後大友氏400年の歴史書である。
『大友興廃記』によると。
なんでも、大友宗麟にとある動物が贈られたというではないか。
それも大変貴重で、当時は誰も見たことがないような動物。
はて。
一体、どんな動物だというか。
そもそも戦国時代の日本に、驚くべき動物などいたのだろうか。
それでは、早速、その興味深い内容をご紹介しよう。それがコチラ。
永禄年中に、唐船幾度々来る。去天正三年乙亥の夏、臼杵の浦に着く。此時一入種々の珍物を置る。猛虎四つをそへられ、又、大象一つを加へ、其外孔雀、鸚鵡、麝香抔を添へられたり。
(『大分県郷土史料集成 戦記篇(1)』より一部抜粋)
天正3(1575)年の夏に、中国船が「臼杵(大分県)」に入港。様々な珍物が贈られたという。虎4頭に、大象1頭、それに孔雀、鸚鵡(おうむ)、麝香とはジャコウネコだろうか。このような珍獣も添えられたとか。
え。
虎?
それも猛虎って……。
ほんでもって、4頭も……。
それって、フツーに多くない?

確かに、象も珍しいっちゃ珍しいがねえ。
『大友興廃記』にしか記述がないため、確実とはいえないのが惜しいところ。
一方で、虎4頭はというと。
コチラは、別の角度から書かれた資料がある。それが、『中務大輔家久公御上京日記』だ。
「中務大輔家久」とは、島津貴久(たかひさ)の四男「家久(いえひさ)」のこと。戦国時代に名を馳せた、あの「島津四兄弟」。その四兄弟の末っ子が「島津家久」なのである。
そんな彼が京都へ旅行した際の日記が『中務大輔家久公御上京日記』なのだが。
この日記の中に、先ほどの「虎」が出てくる。
日付は、天正3(1575)年7月12日。
京都からの復路でのこと。以下のような記述がある。
……十三日、唐船に乗見物仕候、なんはん(南蛮)より豊後殿へ進物とて虎の子四匹、それをめっらしく見帰候へハ……
(『大分市歴史資料館年報 2007』より一部抜粋)
これによると。
家久は、平戸(長崎県)の港に停泊していた「唐船」に乗り込み、中を見物。そこには南蛮(ポルトガル)より「豊後殿」への贈り物として、虎の子4匹がいたという。当時の彼は、大変珍しいとの感想を持っていたようだ。
ふむ。
『大友興廃記』と『中務大輔家久公御上京日記』の内容はじつに興味深い。
港の違いはあるものの、時期もほぼ一致、共通点も幾つかある。
まず、贈り先は「豊後殿」、恐らく大友宗麟だろう。
そして、贈り物として虎の子4頭。「猛虎」と「虎の子」では印象が異なるが。「虎4頭」という点では、同一だと思われる。
当時、南蛮貿易によって異国と交流のあった大友宗麟。
先方からの贈り物があっても、何ら不思議はない。残念ながらその後に続く話は見当たらないが、恐らく虎たちは無事に届けられたであろう。
果たして、宗麟は可愛がったのだろうか。
そこはかなり気になるところ。
だが、その前に、可愛がるも何も「猛虎」だったのか「虎の子」だったのかが重要だ。その違いで宗麟の接し方もかなり変わっただろうから。
ひとついえることは、猛虎でも、虎の子でも。
どちらにせよ、宗麟は「虎」なるものに目を奪われたに違いない。

だが、当の本人以外の者たちはどうだったのか。
じつは、『大友興廃記』に、非常に気になる内容が書かれている。
それが、コチラ。
又、打續いての流言には、豫め渡りたる四疋の虎も不吉なり。日取を以て見るに、其文字の替り有りといへども、四疋虎は亡日なり。是不吉の相といへり。
(『大分県郷土史料集成 戦記篇(1)』より一部抜粋)
どうやら大友家の領土内で、とある流言が飛び交っていたようだ。
天正4(1576)年に、この「四疋(ひき)の虎」について「不吉だ」という噂が流れたというのである。理由は「四疋虎」という名前にある。日取りの中の「四疋虎」は亡日を意味し、陰陽道では凶日を指すという。そのため、贈り物とされた「4頭の虎」に対して不吉だと国中で囁かれたとか。
なんで?
今更ながら、いちゃもんをつけられた?
怪しい、怪しすぎるぞ。
『大友興廃記』によると。
事の発端は、宗麟が依頼した「石火矢(いしびや、石または鉄、鉛などを飛ばす城攻めの兵器、大砲)」だったようだ。天正4(1576)年に南蛮船より届いた石火矢を見て、宗麟はあまりの嬉しさに「国崩(くにくずし)」と命名したのだが。これが「相手の国」ではなく「自分の国」を崩すのではと、不評を買った。
そして、続く4頭の虎。
既に1年が過ぎていたにもかかわらず、先ほどの流言である。
さらには、この虎に対して追加で不評の声が。具体的には、中国の古典『尚書』に「珍獣は、国の中で飼ってはならない」という内容があるではないかと指摘されたのである。つまり、珍獣を愛でるような、いわば道楽のために金を浪費しては、国のためにならないという意味合いだとか。
結果的に、4頭の虎は。
大友宗麟以外にはウケが悪かったようだ。
『猫の日本史 猫と日本人がつむいだ千年のものがたり』によると。このような流言が飛び交った背景には、どうやら仏教勢力を中心とした危機感があったという。南蛮貿易、そしてキリスト教へ心を傾ける大友宗麟への不信感と危機感。これらが南蛮から届いた兵器や珍獣などに向けられてしまったのである。
せっかくの珍獣も、まさかの流言の対象に。
これには、4頭の虎も。
大いに困惑したのであった。
キュートさに思わずやられた加藤清正
さて、「虎」の話が少し重過ぎたので。
次のお方は、サクッと軽めにご登場いただこう。
戦国エピでもちらほらご登場される、豊臣秀吉の子飼いの武将。
熊本城を築城したことでも有名な「加藤清正」である。
清正といえば、キーワードはふたつ。
「忠誠」と「剛毅」だ。
じつは、清正は豊臣秀吉と同郷。秀吉ラブはもちろん、その跡継ぎの秀頼にまで忠誠を誓い、豊臣家存続を最も願ったであろう人物だ。
一方で、秀吉が柴田勝家と対峙した「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」では七本槍のひとりとして名を知らしめた清正。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際には、異国の地でも構わずの無双ぶり。特に最初の「文禄の役」では、敵方から「鬼上官」と恐れられるほどの活躍を見せたという。ただ、その剛毅な性格から、講和重視派の石田三成らとは相容れず。それがのちに影響し、秀吉亡き後に勃発した「関ヶ原の戦い」では、徳川家康率いる「東軍」へ属することになるのである。

「豊臣家存続」という視点は横に置き、加藤清正個人で考えると。豊臣秀吉、徳川家康と、続けて天下人に仕えられたのだから、結果オーライといえるのかもしれない。
そういえば、もうひとつ、清正のワードがあった。
それは「話題満載」というコト。まさに、キャラが際立つとでもいおうか。
彼を巡っては、朝鮮出兵での活躍、虎退治、地震加藤、毒殺事件など、話題に事欠かず。そのせいか、江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の題材としても取り上げられやすく、実際に幾つか作品が上演されている。これらの内容の一部は、眉唾モノや噂に尾ひれがついたモノなどもあるのだが。
まあ、ぶっちゃけるとさ。ネタにしやすいんだよ。清正は。狙うのは私だけでないというコト。
そんな加藤清正が、とある動物と戯れる……。
あまり想像しにくいが。
はて。彼は一体何の動物を好んでいたのか。
せっかくなので、予想してみた。
犬や猫でもないコトは、事前に告知済み。
虎退治で有名だが。だからって、さすがに大友宗麟とネタ被りはしないだろうし。
となれば、飼うのが容易そうな鳥か。
ふむふむ。確かに、鸚鵡(おうむ)とかであれば、時折、合いの手とか打ってくれそう。珍しいし、一興として交流のあった武将らにも披露できるかも。
それでは、ここで答え合わせを。
なんと、清正が飼っていたのは……。
──「猿」
意外だろうか。なんでも、非常に利口な猿で、清正の傍を離れなかったようだ。

なんだかな。
剛毅な武将の清正と、ずっと離れずにいる猿。
それだけで、いい人っぽく見える気がするのは、私だけだろうか。
そんな猿との微笑ましいエピソードを紹介しよう。
出典は、いつもの如く戦国の名将192人の言行をまとめた『名将言行録』より。具体的な年代は書かれておらず。そのため、いつ頃のことかは分からない。
ある日のこと。
清正が厠(かわや)に行った時の話である。
どうやら当時の清正の日常は、非常に穏やかで安定していたようだ。
彼は日頃から『論語』を愛読しており、朱墨などで点を入れて読んでいたという。
そんな清正の姿を、猿は近くにいながら、ずっと目で追い続けていた。日々、飼い主の一挙手一投足を見ていたのである。
そして、清正が席を外したところで。
この猿、驚きの行動に出る。それがコチラ。
清正が厠にたった後、この猿が『論語』に朱筆で散々に書き散らしてしまった。
(『名将言行録』より一部抜粋)
恐らく、日頃の清正の行動を真似てみたのだろう。
こんな感じだろうか。
猿:えっと。えっと。あの人、なんか、筆持ってコレ(『論語』の本のコトです)に……。あたいもいっちょ、やってみよか。こう、サラサラ~と。こうして(『論語』に落書きしているところです)、あーして(さらに絶賛落書き中)。もっとサラサラ~と……。
え。こらこら。
『論語』の本をめちゃくちゃにしてるじゃないか。
でもさ、怒るよりも、それって、めちゃかわいくないか?
ペットが一生懸命、ワケ分からんなりに自分を真似るって。
その行動って。もしかして……。
ハイ、御主人さま(加藤清正)への「愛溢れすぎ警報」出ました(そんな警報いつから作った?)。
レアだよねえ。警報出すってさ。まあ、でもこれは仕方ない。だって可愛すぎるもん。
ちなみに、清正はどういう反応だったのか。
それがコチラ。
清正はこれをみて「お前も聖人の道に志があるのか」といってにっこり笑ったそうだ。
(『名将言行録』より一部抜粋)
これぞまさに、我らが想像した通り。
きっと清正の笑顔は、とっても優し気で、慈愛に満ちていたに違いない。
キュートな猿に。
思わず心を持っていかれた清正だったのである。
最後に
今回の記事は、大友宗麟の言葉で。
ギュギュっと締めようと思う。
最初にご紹介した「大友宗麟with4頭の虎」について。
『大友興廃記』によると。流言が飛び交う中で。
じつは、大友宗麟はこんな言葉を残している。
宗麟公聞召し、仰出さるゝは、一人虚を傳ふれば、萬人實を傳ふ。一犬形を吼れば、萬犬聲を吼ると云ふ事ありとて、更に以て是を用ひられず。
(『大分県郷土史料集成 戦記篇(1)』より一部抜粋)
──「ひとりが嘘を言うと、多くの人がそれを真実として伝えてしまう。1匹の犬が(何もないのに)吠えると、多くの犬がその声に合わせて吠えるという言葉がある」
こうして、流言や噂を取り合わなかったという。
大友宗麟の心意気は誠に結構だが。
偶然か必然か。
流言から2年後のこと。
天正6(1578)年、島津氏との「耳川(みみかわ)の戦い」で大友氏は大敗。これを機に家臣団は分裂、次第に島津氏の勢力に押され、大友氏は衰退していく。
最終的に。
大友宗麟は上京し、豊臣秀吉へと救援を求めた。
翌年の天正15(1587)年、秀吉自ら九州へ進軍。
こうして、大友宗麟のみならず。
九州全体が豊臣政権へと飲み込まれていったのである。
参考文献
『大分県郷土史料集成 戦記篇(1)』垣本言雄 臨川書店 1973年
『大分市歴史資料館年報 2007』大分市歴史資料館編集・発行 2007年7月
『名将言行録』 岡谷繁実著 講談社 2019年8月
『猫の日本史 猫と日本人がつむいだ千年のものがたり』 桐野作人著、吉門裕著 戎光祥出版 2023年12月
▼戦国武将の猫好きエピソードはこちら!
細川忠興、伊達政宗もやっぱり猫に首ったけ?戦国武将爆笑エピソード集(猫愛編)

