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Culture
2019.10.11

織田信長の野望を支えたのは人心掌握術だった?戦国武将に学ぶリーダーの心得。

この記事を書いた人

組織の中で働く。
副業解禁、フリーランスの増加など、日本の労働環境がいかに変化しようとも、いまだ多くの日本人が選択する働き方だ。

組織の中で働けば、当然ながら給与や福利厚生などの「社会的安定性」、同質性が大好きな日本人が好む「帰属先」の確保が保障される。しかし、これらと引き換えに失うものも多い。中でも大きな痛手は、周囲の人間関係が「運」に左右されることである。特に、組織やチームのカラーは、率いるリーダーによって180度変わる。メンバーの能力を生かすも殺すもリーダーの力量によると言わざるを得ない。

それでは、戦国時代の世を駆け抜け、天下統一まであと一歩と迫っていた「チーム信長」はどのような組織だったのだろうか。織田信長は、苛烈な気性で残虐性のみフォーカスされることが多いが、意外にも人心掌握術に長け、気遣いができる側面も持ち合わせていた。

今回は、この信長が残した手紙から、求められるリーダー像に迫る。
人生において、親と上司(リーダー)は選べない。だからこそ、この記事は、ビジネスマン、特にリーダーには是非ともご一読いただきたい。

上司に対する評価の分かれ目は指導の仕方にある?

「経営の神様」と呼ばれた、現パナソニック株式会社の創始者である松下幸之助氏は、自身の経営哲学をまとめた『実践経営哲学』で、人の育て方について以下のように触れている。

そうした会社としての基本の考え、方針がはっきりしていれば、…中略…人も育ちやすい。ところが、そうしたものがないと、部下指導にも一貫性がなく、その時々の情勢なり、自分の感情に押し流されるといったことにもなりかねないから、人が育ちにくい。
『実践経営哲学』松下幸之助著より

この記述からも分かるように、リーダーの行動として最大のNGは、一貫性がなく感情に押し流される指導である。感情に任せ、人で判断し、不公平、不平等な叱り方は、メンバーからの不満を煽り、チーム全体の雰囲気をも悪くする。こうなれば、あとはドミノ倒しのように、組織やチームが崩れていくことが多い。

一方で、指導が秀逸であれば、チーム全体のモチベーションが上がり、個のスキルが相乗効果となって好循環を生み出していく。「注意の仕方」「叱り方」次第で、メンバーの行動を変え、信頼を勝ち得ることもできる。ひいてはチーム自体が大きく変わる可能性があるのだ。

信長の手紙から学ぶ「角が立たない」叱り方とは?

そこで今回は、戦国武将の中でも気性の激しいイメージを持つ織田信長の消息(ひらがなを用いて記される私信の手紙)より、「技ありの叱り方」を紹介しよう。

織田信長像

この手紙は、家臣である羽柴藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)の正室「おね」(ねね、北政所)に宛てたものだ。日付はないが、研究者の間では、信長が安土城(滋賀県近江八幡市)に越したばかりの時期と解釈されている。おねが初めて、献上品を持って信長に挨拶伺いのために出向き、その礼として送られた手紙だ。以下、一部抜粋する。

…中略…特に土産物を色々といただき、その美しさはとても目にあまるほどで、筆にも書き尽くしがたく思う。
『手紙から読み解く戦国武将意外な真実』吉本健一著より

ここで、信長は丁寧に献上品に対しての礼を述べている。祝儀代わりに何かを返そうと思ったが、あまりにも見事なモノだったので、改めてお返しをするとも。おねからすれば、夫の上司への挨拶なので、まずは合格点をもらえたとホッとしたのではないだろうか。

さて、ここからが本番である。当時、秀吉は近江長浜城主(滋賀県長浜市)になったばかりで、側室も迎えた頃。正室であるおねは、側室ばかりの秀吉に不満を感じていたようだ。そこで信長は、秀吉夫婦のもめ事を上手く解決するために、この手紙を書いたと考えられる。
それでは、秀吉の日頃の行い(特に女性問題)に対する「叱り方」の肝心の部分をみてみよう。

とりわけ、そなたの容貌、容姿まで、いつぞや拝見した時よりも、十のものが二十ほども見上げたものに―つまりは倍ほども美しくなっておる。
聞けば、藤吉郎秀吉めがしきりにそなたのことを不満であると申しておるとのこと。言語道断、まったくけしからぬことではないか。(同上)

ここで、おねの怒りを鎮めるために、まずはおねを褒め上げ、家臣の秀吉を「言語道断」として切り捨てている。ここまで、上司に自分の夫を悪く言われれば、逆に「うちのダンナ、大丈夫か?」と心配するのが一般的な女性の心情ではないだろうか。その微妙な女ごころ。そこをうまく突く、非常に女性の心の機微が分かる上司だといえる。

どこを尋ね廻っても、そなたほどの女房は、また再びあの禿げ鼠(秀吉)には求めがたいので、これから後は、立ち振る舞いに用心し、いかにも上様(かみさま=正室)らしく重々しくして、嫉妬などに陥ってはいけない。
さりとて、女の役目でもあるので夫の女遊びを非難してもよいが、言うべき事をすべて言わないようにして、もてなすのがよかろう。(同上)

さらにダメ押しでおねを褒め、もう一つダメ押しで秀吉を「禿げ鼠」と貶め、格下げしている。そうして、自分の家臣でありながらそんな秀吉を相手にしてはいけない、正室なのだから毅然とし、それ相応の立ち居振る舞いをするようにとおねを諭している。

なお、特筆すべきは、以下の部分である。

なおこの手紙文章をそのまま羽柴藤吉郎秀吉に見させるようお願いする。
又々かしこ。(朱印)
上書き
のぶ(信長)
藤吉郎秀吉の女房
(同上)

「天下布武印」の朱印つき、つまり、当時でいえばこの手紙は私信でありながら、驚くことに「公文書」扱いの手紙なのだ。

まず、秀吉に見せろとの命令を出すことで、おねが手紙を見せやすいように配慮している点。さらに家臣である秀吉には現在の評価を暗に理解させるとともに、「これ以上のことをしでかしたら分かっているな?」と諫めている点。さらに、武家の正室、側室の在り方を公文書扱いにして家臣に教えている点。これらの意図全てを兼ね備え、家臣の秀吉にも、正室のおねにも角が立たないように手紙という手段で指導を行ったのだ。まさに秀逸の指導方法である。

信長の秘技 ギャップのなせる絶大な効果

信長は、これ以外にも家臣に気遣いをみせる手紙を残している。

例えば、腫物ができてしまった松井夕閑(まついゆうかん)のために、キリスト教の医師を派遣する依頼の手紙も残っている。家臣からすれば恐れ多い手紙であることは間違いない。ただ、身を案じて書状まで出してくれる主君の姿は、日頃の辛さも一気に吹き飛ぶ絶大な効果をもたらすだろう。

織田信長は気性が荒く、厳しい一面ももちろんあった。しかし、家臣からすれば、一度でも気遣いや優しさを見せられると、余計にホロっとくるのだろう。そのギャップが、メンバーのモチベーションを持続させる究極の秘技なのかもしれない。

ちなみに、その後の秀吉夫婦について。
資料によると、手紙以降、秀吉は正室おねに対する気遣いをみせていたという。

家臣夫婦にまで気配りを見せる織田信長の人心掌握術、リーダーが備えるべきスキルの一つではないだろうか。

参考文献
『手紙から読み解く 戦国武将意外な事実』 吉本健二著 学習研究社 2006年12月
『織田信長の古文書』山本博文編さん 柏書房 2016年1月
『戦国大名の古文書 東日本編』 山本博文編さん 柏書房 2013年7月
『実践経営哲学』 松下幸之助著 PHP研究所 2001年5月

書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、北海道(札幌から車で4時間、冬は-20度)で優游涵泳の境地を楽しむ。その後は富山県、愛知県へと流れつき、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。