Culture
2019.11.18

世界で読まれる作家・小川糸さんインタビュー!「死」と真正面から向き合う作品づくり

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デビュー作『食堂かたつむり』の大ヒットから10年以上。ふたたび“食べること”と“生きること”をテーマに、“いのちのかたち”を問う物語『ライオンのおやつ』を上梓した小川糸(おがわ・いと)さん。舞台となった瀬戸内の美しい島のこと、自分らしく生きるということ、人生を最後まで味わい尽くすということなど、作品に寄せる想いをうかがいました。

物語のあらすじ

私の享年は、33になる。命の残りを知ったとき、よみがえる思い出は…。

男手ひとつで育ててくれた父のもとを離れ、ひとりで暮らしていた雫(しずく)は病と闘っていたが、ある日医師から余命を告げられる。最後の日々を過ごす場所として、瀬戸内の島にあるホスピスを選んだ雫は、穏やかな島の景色の中で本当にしたかったことを考える。ホスピスでは、毎週日曜日、入居者が生きている間にもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫は選べずにいた。

死ぬのが怖くなくなるような物語を書きたかった。

──最新作『ライオンのおやつ』では、“人生の最後をどう生きるか”という難しいテーマに挑まれ、大きな反響をよんでいます。このテーマで物語を書こうと思ったきっかけは何ですか。

小川さん(以下、小川): 以前、『つるかめ助産院』という作品で「命が生まれる場所」の物語を描いたので、いつか「命が消えゆく場所」の物語についても描いてみたいと思っていました。
また、数年前に亡くなった母のことも、大きなきっかけとなりました。私は昔から、“自身の死”に対する恐怖心があまりないんです。でも母は癌が見つかった時、「死ぬのが怖い」と怯えていて。世の中には、母のように、死を得体の知れない恐怖と感じている人がとても多いのではないかとハッとさせられました。母の死には間に合いませんでしたが、読んだ人が、少しでも死ぬのが怖くなくなるような物語を書きたいと思ったのです。

暖かくて穏やかな、瀬戸内の海。そして島の人々。

──“死ぬのが怖くなくなるような物語”の舞台として、小川さんが選んだのは瀬戸内海の島でした。瀬戸内の美しい海と、そこに浮かぶ「レモン島」。モデルにした島はありますか。

小川: 瀬戸内のしまなみ海道に浮かぶ「大三島(おおみしま)」という島です。
海は命の源(みなもと)であり、死とも近い場所。物語の舞台は海のそばと決めていました。ただ、海といっても、太陽がまぶしく輝く南の青い海もあれば、荒涼とした日本海など様々です。周りを山々にしっかりと守られた穏やかで暖かい瀬戸内海が、この物語にはぴったりだと思いました。
そして「大三島」は、周りを囲む美しい海はもちろん、島中に広がる柑橘の畑やワイナリーのブドウ畑など魅力的な場所が多く、物語のイメージがどんどん膨らんでいきました。

「神の島」として知られる大三島

“日本一美しく住みたい島”大三島の魅力はこちらの記事でご紹介しています。

おなかにも心にもとびきり優しい、お粥みたいな物語にしたい。

──小川さんの作品をいつも際立たせるのが、おいしそうな食べものやお料理。『ライオンのおやつ』でも、次々に登場する魅力あふれるお料理が読者を釘づけにします。中でも「お粥」は、辛さや苦しさが増していく主人公に寄り添い元気づける心強い存在でした。

小川: 実は、この作品自体が「お粥」をイメージしたものなんです。お粥のような物語にしたいなと。さらっとしていて、これといった特徴はないものの、滋養があり、食べると心も体も満たされる。
そして、香りがよくて美味しいけれど、その香りも味も刻一刻と変わっていく。だから“今に集中する、今を生きる”ことの大切さを教えてくれる食べものでもあります。

──「今というこの瞬間に集中していれば、過去のことでくよくよ悩むことも、未来のことに心配を巡らせることもなくなる。私の人生には“今”しか存在しなくなる。」という雫の言葉が心に残っていますが、なるほど、お粥は“今を生きる”ことの象徴でもあるのですね。

自分の心に耳をすませ、自分に正直になる。自分らしく生きる。

──瀬戸内の自然の中で、温かい人々やおいしい食事に支えられながら、雫は“自分らしく生きる”ことを決意します。自分の心に素直に耳を傾けて、心と体を解き放っていく姿がとても印象的でした。小川さんご自身も「自然であること、無理をしないこと」を暮らしのテーマにされているとか。

小川: 私は現在ドイツで暮らしているのですが、自然のリズムを意識することや無理をしないことは、ドイツ人の暮らしぶりから学んだ哲学です。その人なりの心地いい暮らしは、それぞれ違います。“自分がそれを好きか、嫌いか。心地いいと感じるか、否か。”何かを決める基準は、とてもシンプルであっていいと思います。生きる中で増えていく有形無形の荷物を、その基準に従って、要らないものは潔く手放し、必要なものだけを身近に置く。そうすることで、不要な動きや感情から解き放たれて心身が軽やかになり、自分らしく心地よく生きていくことができます。

──日本人にとって周りを気にせず自分らしく生きることは難しいと言われます。

小川: そうですね。ドイツで暮らしていると、ドイツ人と日本人の違いがはっきり見えてきます。ドイツでは、幼い頃から自分の考えを持ちそれを相手に伝える教育が重視されます。それに対して、日本では、皆と同じものを持ち同じ行動をとることを徹底して教育され、無意識のうちに同調圧力を受けながら育ちます。大人になってからの両者の違いは明らかでしょう。
けれども、生きている限り、人は変わることができると思います。
自分の心に耳をすませ、自分に正直になる。人間も自然の一部なのだと意識して、日々の生活の中で鈍っていく感覚を鍛え、自分を知るトレーニングを重ねることが大切です。積み重ねていくことで、自分にとって心地いいことが習慣化されていくはずです。急にすべてを変えることはできませんが、自分の中にルールをつくって、少しずつ“自分らしく生きる”範囲を広げてみてください。

“いかに死ぬか”は“いかに生きるか”ということ。

──『ライオンのおやつ』を読んだ人は、終末医療に対する考え方が変わるのではないかと思います。できるだけ安らかに死を迎えるためのものというよりも、最後まで人生を味わい前を向いて生きるためのものだと。

小川: 死というのは、決して、得体の知れない恐怖でも忌み嫌うべきものでもありません。誰にでもいつかは必ず訪れるものであり、その人の人生にとってとても大切なものだと思います。“いかに死ぬか”は“いかに生きるか”ということ。
もしも余命を宣告されるような状況になった時、残された人生を自分はどんな風に生きたいのか、自分の心に正直に、自分なりの考えを日頃から整理しておくこと、そして、周りの大切な人と話し合い理解し合っておくことも大切かもしれません。

人生を最後まで味わい尽くす。

──「死」という難しいテーマに挑み、執筆の過程で悩んだことはありましたか。

小川: 『ライオンのおやつ』は、構想からまで脱稿まで3年を要しました。私は作品を書いていくことを、よく山登りにたとえるのですが、ふもとから歩き始めて5,6合目までは一人で登っていくんですね。そして作品の形ができあがると、そこから先は他者(編集者)の視点もふまえつつ、一緒に頂上を目指して登っていきます。ところが今回は、しばらくの間、悩み立ち止まることがありました。
死を迎えて体に起こる変化は、本人にとっても周りの人々にとっても非常に大きなものです。それをどのように受け止めて表現するのか。私も編集者も、ともに悩みながら、何度も議論を重ねました。

──そんな風に行き詰まった時、どのように解決していくのでしょう。

小川: 抗(あらが)わないことだと思います。焦ったり、無理して結論を探すのではなく、自然に答えが出てくる時をゆっくりと待つ。担当してくださる編集者も、私をせかしたりせずに、じっくり考える時間を大切にしてくれました。振り返ると、その時間は作品にとってとても大事なものであったと、本当に感謝しています。

──「死」というテーマと真正面から向き合い、じっくりと考えを深めて生み出された作品。本作を通して、小川さんが読者に伝えたいことは何ですか。

小川: 死は恐れるものではなくて、死があるからこそ生きる喜びや楽しさがあるということ。いかに自分を愛して、大事にして、人生を楽しむか。人生に喜びを見出していくか。良いことも悪いこともすべて受け入れて、“人生を最後まで味わい尽くす”ということ。

読んでくださった人が、自分の人生を振り返るきっかけとなる、そんな物語になっていると嬉しいです。

小川 糸(おがわ いと)

1973年生まれ。2008年『食堂かたつむり』でデビュー。以降数多くの作品が様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は2010年に映画化され、2011年にイタリアのバンカレッラ賞、2013年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞。
2012年には『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化され、『ツバキ文具店』と『キラキラ共和国』は「本屋大賞」にノミネートされた。その他著書に『喋々喃々』『ファミリーツリー』『リボン』『ミ・ト・ン』など。

 

書いた人

大学院で西洋史に浸かり、欧米で暮らすも、やっぱりおいしい緑茶とご飯が愛しい。日本の津々浦々を旅して、とことん“和”を楽しむのが夢。好きなものは、美術展めぐり、歴史、旅行、睡眠、それから、スピッツと生まれ故郷の長州。