Culture
2019.11.28

室町時代に起源をもつ香典と不祝儀袋の歴史を紹介!水引技術は日本の大事な文化を支えていた

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人のいのちはいつどうなるかわからないもの。突然の訃報に驚くこともあるでしょう。しかし、もしその人が家族ではないけれど 知人だったり、仕事などでお付き合いのある人だったりした場合、それ相応の対応が必要です。たいていの場合に必要になるのがお金。自分で用意してお通夜や葬儀に持参することもあれば、それほど親交がなかった人の場合はことづけることもあるでしょう。

今回は、いまではいつでもコンビニで手に入る「不祝儀袋」について探りました。

室町時代にはじまった習慣 宗教によってこんな違いが

仏式等の葬儀では、死者の霊前等に供える金品のことを「香典」あるいは「香料」といいます。「香」はお線香のかわり、「典」は霊前に供える金品を示します。仏式の場合は、白無地か蓮の花の絵柄が入った包みに、「御霊前」・「御香料」・「御香典」と表書きし、白黒あるいは銀一色の結び切りの水引をかけます。葬儀が終わって故人の霊魂が成仏した後は「御仏前」、それまでは「御霊前」との考え方があるため、「御仏前」は、四十九日以後に用いるとのこと。ただし宗派によって違いがあり、浄土真宗では人は死後すぐに仏になるという思想があるため、最初から「御仏前」と書くそう。また、関西では白黒の水引ではなく黄色と白を用いることも多いようです。

淡路結びにした白黄の不祝儀袋

神道式では、香を用いないので、白無地の包みに、「御霊前」・「玉串料」・「御榊料」と表書きし、白黒あるいは白一色の結び切り水引や、麻緒(あさお)の結び切りをかけます。

白無地の封筒か「御花料」の表書きや白百合・十字架などが印刷された市販の封筒を用いるのがキリスト教です。水引はかけません。カトリック、プロテスタントとともこの方法は同じです。

日本で「香料」のやりとりが始まったのは室町時代であるとされ、主に武家の間などで「香銭(こうぜに)」と呼ばれていたようです。しかし、実際に銭のやり取りをすることはまれで、相手の身分や位などで金額が決まっており、目録をやり取りするにすぎませんでした。しだいに民間で行われるようになって、現在のような金封で金銭をやりとりする形になったと考えられています。

不祝儀袋はコンビニのコンビニエンスらしさを感じられるアイテム!?

お香典(玉串料、御花料)が必要だということになっても、不祝儀のための袋をいつも家庭に備えているかたはそんなに多くないでしょう。そこで活躍するのがコンビニエンスストア。たいていのコンビニには、簡素なものや少し豪華なものなど、何種類かの不祝儀袋が置かれています。セブンイレブンの社史『セブン-イレブン・ジャパン 終りなきイノベーション1973-1991』(1991年発行)によれば、セブンイレブンが24時間営業を実験的に始めたのは創業2年め、1980年(福島県郡山市の虎丸店)のことでした。そして成長・拡大をめざす過程において、パンなどの食料品にとどまらず、さまざまなものを均一に揃えた店舗を目指す途上において、文具や急な宿泊に必要な簡単な着替えなどが、欠かせないものとして揃えられていったと考えられます。

文字どおり「コンビニエンス」なお店として発展したコンビニエンスストアと、思わぬ時に必要な「不祝儀袋」は切り離せない関係にあるといえるかもしれません。

時代に左右されにくいアイテムだけど、実はいろんなタイプが…!

不祝儀袋のあれこれについて、今回大手コンビニチェーンで不祝儀袋を販売している長野県飯田市の木下水引株式会社の社長・木下茂さんにお話を伺いました。1961(昭和36年)の創業以来、水引の生産及び水引に関連する儀式用品及び工芸品を製造しており、不祝儀袋も創業当初より取り扱っているとのこと。時代とともにおめでたい時に使う祝儀袋のほうは、スワロフスキーを使用したものが登場するなどさまざまな変化が見られるようですが、不祝儀袋にはあまり変化がないと木下さんは言います。変化があったのは水引の本数で、以前は5本が主流でしたが7本に変わり、すこし豪華な双銀水引7本は10本に変化しています。

木下水引では、製紙メーカーにで不祝儀袋専用に専用に抄紙(紙をすくこと)してもらった和紙の一種「奉書紙」を使用したものを主に取り扱っています。通常品の奉書紙は色目が純白のものですが、専門店、高級専門店などで販売するものには自然色である「黄なり」にして和紙のイメージを強く打ち出すなど、使い分けをしているそう。

一方、コンビニで扱う製品は、表書きを書きやすくするようなシートや使用シーンの説明、包む金額の目安などをパックに事細かく表記するなど、初めて使う人にも使いやすい工夫をしているとのこと。なるほど、コンビニで販売されているもののパッケージには用途などが一覧で記載されており、「ふむふむ、今回はこれを買えばいいのだな」とひと目でわかります。今回コンビニで見つけたものには、文字がまっすぐかける「お名前書き便利シート」がついていました。これがあれば文字がななめになってしまう不安が軽減されて安心です。

不祝儀袋の今後について「日本人のライフスタイル次第で変わるでしょう」と木下さん。「死生観の変化や家族構成の変化の影響が大きいです。礼儀を重んじる消費者と希薄な消費者に二極化することがポイントですが、商品の基本は変わらないでしょう」(木下さん)

祝儀袋だけじゃないって知ってた? 日本の文化を支える「飯田水引」のすごさ

木下水引さんに取材を依頼しようとサイトを拝見したとき、初めて長野県の飯田市では「飯田水引」が特産品だと知りました。そこで、飯田水引のことについても教えていただきました。

「飯田水引は元禄時代の『元結(もとゆい、髪の毛を束ねる紐)』が起源です。木下水引は、皇室用水引『紅水引』や水引の淡路結びをはじめとした水引加工のトップメーカーとして伝統を守ってきました。国内、海外の生産拠点で700人の加工技術者による水引の『結い』の文化の継承に努めています。水引加工のうちでも、水引を結ぶ事は手作業しかできません」(木下さん)。つまり、木下水引は「結い」の技術を持ったプロフェッショナルの集団だといえるのです。今も、大相撲の力士たちがまげに使用しているのは飯田産の元結です。さらに、歌舞伎や時代劇の世界でも欠かせない素材として愛されているそうです。水引は日本文化の大元で大活躍しているのですね!

現在では山間部のイメージがある飯田ですが、秋葉街道と東山道の交差点として江戸時代から栄えており、以前には花街があって歌舞伎の市川團十郎、宝塚歌劇を招いたこともあるとのこと。水引の技術が文化を引き寄せ、花開いた地域だったといえるでしょう。

木下さんによれば水引は日本の独特の素材で、日本のあらゆる儀式に使用されており、礼節を重んじる日本人には欠かせないものとなっているほか、最近では「結い」の技術を活かした水引アクセサリーや水引ディスプレイなど、和を感じさせる商品も育ってきているとのこと。新しい時代に向けてさまざまな取り組みを進めています。

コンビニでいつでも買える身近な文化商材「不祝儀袋」。探ってみるとそこには思わぬ歴史がありました。コンビニエンスストアにふさわしい形に発達した不祝儀袋ができるまでには、地域に根差した技術や文化が存在しているのです。こうしたことがわかるから文化はおもしろい、そんなことを思いながらまた誘蛾灯のようなコンビニに引き寄せられる帰り道なのでした。

木下水引株式会社
https://mizuhiki.co.jp/

書いた人

岡山市出身、歴史学の博士号をもつ大の歴史好き。レトロという言葉だけでは語れない、戦前の日本文化を伝えたいと思っている。趣味は読書と街歩きと宝塚観劇と漫才で笑うこと。紺野ともという名で詩人もしている。