Culture
2019.12.10

地下世界とは?「おむすびころりん」のおじいさんも体験した未知の世界を解説

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古来から日本人は地下の世界にさまざまなイメージを抱いてきた。
たとえば『おむすびころりん(鼠の浄土)』などの昔話に描かれる地下世界には、恐ろしいけれど人を惹きつけてやまない魅力がある。
もうひとつの「この世」である地下世界の正体を探ってみよう。

地下世界とはなにか?

それは、あるときは死者の世界。あるときは極楽浄土。あるときは地獄。
そして天狗や河童や大蛇の住むとされる世界。どこか暗くておどろおどろしいイメージのある場所だ。
古代人は異界をあらわすときに「常夜(とこよ)」という言葉を用いた。これは、いつも夜の状態にあるとされた地下世界を表現したものだ。
たしかに近代以前の文献に登場する「地下」は、冥界や地獄極楽といった宗教的なイメージをもっている。だから地下世界について知ることは、日本人がどのように死や神の世界と関わってきたのかを知ることでもある。

昔話に登場する「地下世界」

かつて洞窟が人の住まいとして、あるいは貯蔵庫や葬地として利用されてきたという事実は、洞窟が古代の人々の生活に欠かせなかったことを教えてくれる。
この周囲から断絶された暗く狭い空間を、どうやら昔の人々は地下の世界への通路と考えていたようだ。洞窟を通って地下世界へと向かうストーリーは昔話によく見られる。

「鼠の浄土」

『おむすびころりん』としても親しまれている昔話『鼠の浄土』。
山に仕事に来たお爺さんが、昼食に持ってきた握り飯を落としたことから物語は始まる。ころころと転がっていく握り飯の後を追いかけてお爺さんがたどり着いたのは鼠の穴。なかは鼠の御殿になっていて、たくさんの宝物がある。鼠たちはお爺さんを歓迎して、歌いながら餅をついてくれた上に宝物まで分けてくれたというお話。

この昔話に登場する地下の世界は明るいイメージだ。
鼠たちは賑やかな生活を送っているし、人間の言葉を話す。しかもずいぶんとお金持ちらしい。どうして鼠たちはそれほど裕福なのだろう?

鼠は、大黒様(福神)の使いでもある。だから富をもっていても不思議はない。
お爺さんが落ちたのは鼠が出入りする穴だから小さいように思われるけど、お爺さんも地下の世界では鼠サイズに縮んでしまったのかもしれない。どうやら地上の法則は地下世界では通用しないようだ。

もうひとつ、べつの地下世界を覗いてみよう。

「天狗の浄土」

甲賀三郎の物語も地下世界のイメージを伝えてくれる。この物語には2つの系統があるのだけど、今回はより地下世界の描写が具体的な方の話を紹介しよう。

主人公の三郎は貰い受けた妻の春日姫とともに甲賀の館に住んでいる。
しかし、あるとき何者かに姫をさらわれてしまう。どうやら伊吹山に住む天狗の仕業ではないかということで、三郎は伊吹山をはじめ日本六十六ヵ国の山々を探し回った末に、蓼科山に至り、楠の巨木の下に人穴(洞窟)を発見する。穴の中を進むと野原に出て、さらに進むと池がある。その先には仏堂、竹林の向こうに小さな御殿。三郎はそこで一心にお経を読んでいる姫を見つけるのだった。

姫をさらった正体は、伊吹山に住む天下一の無法者天狗だった。この物語に登場する「穴」はこちら(地上世界)から地下世界へと向かう一方通行的な通路ではない。なんと、同時に地下から地上へアクセスできるという特別な通路だ。どうやら天狗はそこから姫をさらいに来たらしい。

こちらとあちらを繋ぐ洞窟のイメージは「鼠の浄土」でも描かれている。知られていないだけで、案外、地下世界への入り口はどこにでも見つけられるのかもしれない。けれど簡単に、好きな時に地下世界へ行けるかと問われると、どうやらそうでもないらしいのだ。

お伽草子に描かれた地下世界

「地下」と聞くと、仏教の説く「地獄」の暗くて過酷なイメージが浮かんでくる。もちろん昔の人々も地下が極楽浄土のように幸せな世界と信じていたわけではない。
お伽草子のひとつ『富士の人穴の草子』は、人穴で出会った毒蛇に拝領の太刀を献上し、本来の姿で示現した浅間大菩薩の案内でさまざまな地獄を見て歩くというお話だ。

たしかに地下は古くから、死者の世界であり冥界の領域でもあった。
ギリシア神話のオルフェウスとエウリデイケの物語や『古事記』でイザナギがイザナミを連れ戻しに向かったのも地下だった。そこには死者だけでなく龍が住むとも信じられていたらしい。
ここは地上の人間の世界とは根本的に違う世界とされた。だから人間は地下の世界に自らの意思で簡単に向かうことはできない。昔話が伝えるように、主人公たちは穴や洞窟を偶然見つけて、たまたま迷い込んでしまうのだ。そして、地下の世界の主導権は人間ではなく、鼠や天狗といったその世界の主に託されている。

地下世界は人間社会のコピー?

鼠たちの賑やかな生活や、三郎物語に登場する野原、池、御殿、仏堂などは天狗の世界とは思えないほど私たちの生活する地上のイメージに似ている。海や川があり、魚たちが踊ってみせる竜宮(昔話『浦島太郎』)は水底にあるとされるが、こちらも地下の世界と呼んでも良さそうだ。『鼠の浄土』も竜宮も地下にありながら幸せな場所として描かれている。こうした物語からわかるように、昔の人々は地下の世界を人間界によく似た世界として想像していたのかもしれない。

さて、もしも『おむすびころりん』の鼠たちがお爺さんを地上へ戻さなかったら…(それは十分あり得ることだ)?お爺さんは一生、地下世界の住人だ。そう考えると、いくら極楽浄土であったとしても地下の世界はやっぱり恐い。

(参考文献:黒田日出男「龍の棲む日本」、岩波新書、2003年)

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。