Culture
2020.01.15

平安時代の衝撃的な絵巻『病草紙』は、なぜ病気をポップかつエキセントリックに描いたのか?

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医療が発達した現代でも病気はなくなりません。病気とハッピーな気分が結びつく人なんて、この世にほとんどいないでしょう。でも、日本には『病草紙』という、病気をポップに描いたエキセントリックな作品があるのです。

まずはその一部をご覧ください。

「眼病の男」

男性が白内障の治療で目に針を刺され、大量に血を吹き出しています。その隣で、女の人がとっても楽しそうに笑っています。これは非常に奇妙な光景です。想像したただけで痛くて怖い。それなのになんで、彼女は笑っているの??しかもギャラリーが集まりすぎです。

平安時代に描かれた『病草紙』は、まだまだわからないことが多い絵巻です。どうしてこんなにポップに描かれたのか、そして一体誰のために何の目的で描かれたのか・・・。その謎と絵巻に込められたメッセージを紐解いていきたいと思います!

※本記事で使用する『病草紙』の画像は全て、色彩が鮮明な土佐光長の写本を「国立国会図書館デジタルコレクション」より引用しています。国宝もしくは重要文化財に指定されているものは、平安末期~鎌倉初期に描かれた作者不詳の作品です。また、適宜画像にトリミングを行っています。

ふたなりに口臭!『病草紙』に描かれた奇病にかかった人たち

まずはさっそく病草紙を見て行きましょう。病草紙に描かれたのは病気にかかってしまった人、またその周囲の人々です。中でも妙におもしろおかしく描かれている部分をピックアップしました。

口臭の女


右の女性が強い口臭に悩んでおり、周囲の女性たちも臭そうにしています。当の本人は苦笑い、左下の女性はあからさまに鼻を抑え、左上の女性は「ちょっと臭すぎない?笑」と話しかけているような雰囲気です。

陰虱(つびじらみ)をうつされた男

※下半身をトリミングしています

陰毛に虱がうつってしまった男性が、陰毛を剃刀で剃っています。その横で女が大笑い。陰虱は性行為で移ると言われています。

霍乱(かくらん)の女

※下半身をトリミングしています

霍乱という、急性胃腸炎にかかった女性が嘔吐と下痢に苦しんでいます。その横で、赤ちゃんが無邪気に遊んでいる様子がシュールです。

二形(ふたなり)の男

※両性具有の人物はトリミングしています

あるところに男だけど女にも見える人物がいました。不審に思った男たちが、その人物が寝ている間に着物をめくります。するとそこには男性器も女性器も備えた下半身が!見つけた男たちはおおはしゃぎです。

さぁ、これらの絵巻を見てあなたはどう思いましたか?病人をバカにしている、不謹慎だ・・・そんな声もあるかもしれません。しかし、この絵巻の背景を知れば、そうとも言い切れないんです。

『病草紙』の背後にいる絵巻マニア 後白河法皇

病草紙を語る上で知っておきたいのが、平安末期に第77代天皇として即位後、さらに上皇として30年以上在位した後白河法皇です。後白河法皇は「今様」という、今でいうところのJ-POPのような音楽にハマっていました。そのハマりようは常軌を逸しており、歌いすぎて喉が枯れてしまい、貴族たちにあきれられていたそうです。タイムスリップして後白河法皇にカラオケを献上したら、天下人になれるに違いありません。

そんな今様マニア後白河法皇は、絵巻マニアでもありました。そのため、病草紙も後白河法皇が発注したものであろうという説があります。

後白河法皇はどうもハマりやすい性格だったようで、後に仏教にものめりこんでいきます。

そもそも”絵巻”は何のためにあった?

病草紙がどんな目的で書かれたのか、それを考える前に絵巻の役割について知っておきましょう。ポイントは3つです。

「眠り癖のある男」絵巻はこのように詞書と絵が連続して描かれ、くるくる丸めながら読んだ。

1.富の象徴

かつて紙や染料は超高級品でした。そんな紙や絵の具をふんだんに使った絵巻は富の象徴であり、貴族たちはこぞってコレクションしたのです。
中でも群を抜いた絵巻マニアが、後白河法皇です。上皇としての在位期間が長いため、資金が十分にあったのでしょう。
また、絵巻は献上品としても作られていました。

2.仏教の教えを伝えるメディア

絵巻は仏教の思想を伝えるメディアとして利用されていました。難しいことは文字ばっかりより絵があった方がわかりやすい。これは今も昔も変わりません。

3.エンターテイメント

絵巻は絵本のように物語に沿って描かれていることも多く、貴族たちのエンターテイメントのひとつでもありました。このエンターテイメントというのが病草紙を知る上で意外と重要なキーワードです。

『病草紙』は何のためにつくられた?

ちゃんとした医学書なら、病が描かれた理由はすぐにわかります。でも、珍しい病気を何だかポップに描いちゃった病草紙は、一体何のために描かれたのでしょう?私自身の分析も交えてご紹介します!

「風病の男」中枢神経の疾患によって、男は顔が歪み碁を打つ手も震えている。それを見て笑う女性たち。

1.マニアをあっと言わせるため?

病草紙は、絵巻マニア後白河法皇を喜ばせるために作られたのでは?

マニアな後白河法皇は、あらゆる絵巻を取り揃えています。現代に例えるならば、「日本で放映された映画は全部みちゃったもんね」みたいなマニアです。そんなマニアをあっと言わせる絵巻とはなんぞ・・・と考えた結果、奇病を集めた絵巻が贈られたのかもしれません。

超高級品である絵巻は、今なら制作費数億円の映画をつくるようなもの。プロデューサー、ディレクター、アシスタント、技術者など、その道のプロたちが知恵と技術を終結させて、こんな絵巻をつくったのでしょう。

もし、奇妙な病気ばっかり集めた映画が放映されたら、どんなマニアも「なんじゃこりゃ」となるでしょう。きっと後白河法皇も、「なんじゃこりゃ」となったはずです。

2.病気をエンターテイメントに昇華!

マニアをあっと言わせるには、奇病を絵巻にしちゃおう。でも、ただ病気を書き連ねていてもエンターテイメントとは言えません。

そこで病草紙には、病人を笑う人、病人を気にもとめず日常生活を送る人など、病気とは対照的な明るいモチーフが描かれたのではないでしょうか。

病草紙には、病人や庶民をバカにしている人が描かせた、という説もあります。しかし、私にはそうは思えません。ポップに描かれた病草紙からは、なんだか温かいものを感じるからです。それに、どんなに偉い人だって病気になります。病気の辛さはよ~くわかっているでしょう。

3.仏教的な教えを伝える意図も

病草紙には仏教的背景があることも忘れてはいけません。病草紙は、「六道絵」と呼ばれる仏教絵画のひとつとして描かれました。

仏教では「四苦八苦」という考えがあります。四苦は、生きる苦しみ・老いる苦しみ・病気になる苦しみ・死ぬ苦しみの4つ。八苦は、別れの苦しみ・会いたくないものと会う苦しみ・欲しいものが手に入らない苦しみ・体がある限り逃れられない苦しみ、の4つです。

この中で、病草紙は病になる苦しみを描いたものと考えられます。病の先にあるのは死。私たちは生きている限り死の恐怖からは逃れられませんが、それをなんとか軽減しようというのが仏教です。

つまり、仏教という観点からみると、「病=怖いもの」として描いては意味がないのです。だから病草紙は何だか面白おかしく描かれているのではないでしょうか。

「病気になっても大丈夫!」そんなメッセージと生のエネルギーを感じる

まだまだわからないことだらけの病草紙。あなたは何のために描かれたと思いますか?

私たちの日常には、ありとあらゆる病気が潜んでいます。それなのに、辛くて苦しい病気からはできるだけ目を逸らしたいし、じっくり向き合うのは怖い。でも誰にだって必ず病と死は襲い掛かってくるのです。

「不眠の女」眠れない夜を過ごす女性。不眠は精神的な要因が強いと考えられており、平安時代にも精神のバランスを崩す人がいたことがわかる。

「病は気から」と言うように、心と体には密接な関係があります。心を病んでは体も病んでしまう。それに今ほど医療の発展していなかった平安時代は、病気にかかるとさぞかし心細かったことでしょう。

だから「病気なんか笑っちゃえ!」「どんな辛いことがあっても明るい気持ちを忘れるな!」私は病草紙からそんな生のエネルギーがみなぎるメッセージを感じますが、みなさんはいかがですか?

参考:『病草紙』土佐光長 画[他]
『日本大百科全書(ニッポニカ)』『世界大百科事典』『小学館 全文全訳古語辞典』

書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。