和樂webオリジナル「動物戦国武将占い」(診断結果一覧はこちら)。徳川家康型の性格は…!?
徳川家康ってどんな人?
1543~1616年。通称は二郎三郎、蔵人佐。はじめ松平元信と名乗り、次いで元康。苗字を徳川に。三河(現、愛知県東部)出身。松平氏の生まれで、幼少時に駿河今川家の人質となりました。今川義元の討死を機に岡崎城で独立、織田信長と同盟を結び、東に勢力を拡大。本能寺の変後、天下を目指す羽柴秀吉のライバルとなりますが、秀吉に臣従。秀吉の死後は関ヶ原合戦に勝利し、征夷大将軍に。江戸幕府を開き、大坂の陣を経て天下泰平の世を築きました。
たぬき・徳川家康型の性格
保守的で、やや内向的なタイプです。自分で見たもの以外は信用せず、迷信や根拠のない縁起担ぎに対しても懐疑的な傾向。エビデンス(科学的な裏づけ)や経験に裏打ちされた技術のようなものを愛好。こうした性格のため、年齢を重ねると人を鋭く見抜く能力が備わってきます。
徳川家康は敵であった武田信玄を尊敬し、信玄同様現実を重んじ、常に慎重に決断を下していました。また、自分の耳目となる伊賀者や甲賀者を抱え、情報収集に余念がない一方、晩年まで戦場で陣頭に立って自分で確認し、采配を振るったといわれています。このように、一次情報を最重要視するのがこのタイプです。それから、防御を続け、自分に有利なタイミングを見極めてから反撃に出るのも得意。
幼少期は今川家の人質、独立して信長と同盟を結ぶも信長の命令で妻子を失い、秀吉からは妹を押し付けられ、関東に国替えされるなど、苦労が絶えなかった家康。自分で経験を積み、堅実に歩みを進めた半生を経たからこそ、天下泰平を実現できたともいえそうです。
たぬき・徳川家康型の弱点
地味で華やかさに欠けるところがあります。信長、秀吉、家康の3人の天下人を比較すると、きらびやかなイメージの信長や秀吉に対し、家康は地味な印象。これは家康がぜいたくを嫌ったことから。屋敷は華美な装飾をせず、寒中でも足袋は履かなかったそうです。またふんどしも、長い期間使えるように汚れの目立たない藍染めを用いたとか。
倹約家というわけではありませんが、買い物などにおいても派手な散財はせず堅実です。ただし、職人による伝統工芸や自分の目で見て価値を認めたものなどには惜しみなくお金を使うことがあります。
たぬき・徳川家康型の開運キーワード
タイミング
自分に有利なタイミングがくるまで、じっと待つのが得意でそのやり方で成功を収めます。徳川家康は、桶狭間で今川義元が討たれるのを待ち独立し、武田家滅亡を待ち駿河領有、本能寺の変に乗じて甲斐・信濃領有を実現しました。関ヶ原合戦でも、戦局が好転するのを粘り強く待って勝利したというわけです。
世渡り
自分をフォローしてくれる有力者を探し出し、仕えることで自分が活躍できる機会をうかがいましょう。徳川家康は、織田信長を裏切ることなく助け続けた同盟者であり、羽柴秀吉が天下に王手をかけると、自分の存在感を十分に示しながら、秀吉に従いました。その反面、世間では「律義者」で通っており、秀吉の死後、多くの武将を味方につけることに成功したのです。
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この占いは四柱推命をベースに多様な占術を取り入れたものです。戦国武将タイプは、諸説があるため生年月日から算出せず、戦国武将の史実や伝承から関連づけて12タイプを作成しました。楽しく読みつつ、「自分」を知り「開運」するためのツールとして役立てていただくために、おもしろい史実も盛り込んでいます。人にはさまざまな面があり、この占いでわかるのは性格や宿命の一部です。とはいえ、毎年毎月変わる運勢とは違い、一生つき合う「本質」です。弱点を知り言動を客観視する、長所を職業選択や人間関係に活かすなどして、お役立てください。
占い監修・ユキムラ
歴史監修・辻明人