「江戸千家」をご存じですか? 2019年11月、青山の根津美術館にて『特別展 江戸の茶の湯-川上不白 生誕三百年-』が開催された、茶道の流派のひとつです。その名の通り江戸で開かれ、江戸のまちで育って約300年。長い歴史を持つ江戸千家、しかしお茶の「流派」実はよくわからない……。どんな流派で、どんなお茶を点てているのでしょう?
実際に江戸千家にお邪魔していろいろとお話を聞いてきました!
「江戸千家」ってどんな流派?上野で直接聞いてきた!
動物園や美術館でにぎわう、東京・上野。そこからほど近くにあるのが江戸千家「一円庵」。都指定有形文化財でもあります!歴史ある佇まいを進んでいくと、くぐって通る入り口が。
今回は当代名心庵宗雪氏の御子息である川上新柳さんにお話を伺ってきました!「新柳」とは不白も若いころ使っていた名だそうです。
江戸千家内にある、テーブルと椅子でお茶をいただけるお部屋にお邪魔しました。部屋に入るとお茶のしつらえがあり、さっそくお抹茶をいただきました。よもぎようかんがとてもおいしかったです。
表千家や裏千家という言葉は、茶道になじみのない方でも聞いたことはあるのではないでしょうか。歴史の教科書でも定番の千利休。彼が京都で茶道を盛り立てたとき、現代とは「流儀」という意識も今とは異なるものでした。
江戸千家の開祖・川上不白は紀州(今の和歌山県のあたり)の新宮出身。表千家7代家元・如心斎の高弟として京都で修業し、千家の茶人となりました。その後江戸にわたり、出身地である新宮の茶頭として活躍。江戸で茶の湯を広めていきました。
新柳さん:川上不白は、江戸千家というよりは、当人は千家の茶人の感覚だったと思います
――つまり、お茶のお家元という感じではないのでしょうか。
新柳さん:もちろん、今の我々は江戸千家という流儀です。千家の茶を広める、という使命を持っていた不白は、武士や商人だけではなく、幅広い門人を持っていたようなんですよ
と、見せて頂いたのは根津美術館でも展示されていた『茶人家譜』(ちゃじんかふ)。大名・旗本、お寺の名前も並んでいますが、商人や相撲取り、能楽師なども弟子に名を連ねていました。『茶の本』を書いた岡倉天心も、江戸千家系統のお茶を修めていたそうですよ!
織田信長、豊臣秀吉が代表するように、元々茶道は武家の間で広まったもの。茶道の大衆化は江戸中期だったのだとか。
新柳さん:表千家如心斎は『中興の祖』と呼ばれていまして、流儀の仕組みの整備に大きく影響を与えました。仕組みを整えることによって、大衆へと茶道を広めることができるようになったのです。ただ自分たちで伝授していくだけではない、茶人はプロデューサー的な役割をも担うようになりました。
――江戸時代に、例えば京都でオギャーと生まれたお点前(お茶のやり方)を下町の江戸っ子まで広めようと思ったら大変ですよね。系統だった稽古の道筋があれば、大名から江戸商人まで、同じお点前を学べそうです。
ちなみに、今はもちろん江戸……もとい、東京以外にもお弟子さんがいらっしゃいますよね?
新柳さん:日本全国、北から南まで支部がありますよ。ほかにはアメリカなどにもあります。
―――アメリカにまで!この日、お家元は出張でご不在とのこと。新柳さんも、全国を巡って門弟の方々と交流をされているそうです。
しかし、我々庶民にとっては「茶道のお家元」なんていうのはもはやフィクションの存在。普段一体何をされているのでしょうか。
「茶家」のお役目とは?普段どのようにお過ごしですか
――正直に申し上げて、茶道のお家元はじめ、茶人の方って何をしているのかいまいちイメージが湧かなくて……。
新柳さん:先ほど言ったように、父も私も支部を巡りますし、お弟子さんへの稽古もあります。また、茶会や茶事の開催、その準備。江戸千家という組織を運営するという仕事もありますね。
茶会とは、お客様を招待してお茶をお出しする会のこと。宗家をはじめ、お寺や美術館などさまざまな場所で開催されています。一方茶事とは、食事をしてからお茶を飲む、小規模の集まり。モダンな言い方をすれば、茶会がパーティーで茶事が食事会といったところでしょうか。先日の根津美術館での展示会も大盛況でしたね。
新柳さん:根津美術館での展覧会は、準備に時間をかけました。江戸千家にはさまざまな関係者がいて、それぞれ所持している道具があります。企画の中で我々も打ち合わせを重ねましたし、不白生誕300周年を記念する展示になったと思います。不白が生まれた年はもう決まっていますから(笑)2019年に合わせようと、それぞれが知恵を集めてこそ実現した展示です。
――先日お邪魔しましたが、外国の方も熱心に拝見されていて大盛況でした!ところで、先ほどいただいたお茶、大変おいしかったです。お茶にはふっくらした泡がありました。表千家から発祥したなら、泡は立てないのでは……?
新柳さん:うちは、どちらでもいいんですよ。
江戸千家のお茶はどんなお茶?「おもてなし」の心とは
いきなりの爆弾発言にひっくり返ってしまいました。表千家と裏千家は作法に細かい違いがありますが、ぱっと見てわかるのはお茶の表面が泡立っているかいないか。私は裏千家なのですが、ラテのようにきめ細かいお茶を点てるのが良しとされています。
新柳さん:江戸千家のお茶は『心地よさ』を大切にしています。裏千家でお茶を学ばれた方がいらっしゃるということで、今回はしっかりめに泡を作りました。折角なので、表千家寄りのお茶も点ててみますよ、飲み比べしましょうか?
さらにお茶をいただくことに!しかも、お抹茶の種類を「星の奥」という福岡県八女のお茶に変えてくださいました。しかも茶壷のお茶という、平たく言うと大変貴重なお抹茶で点てていただきました。
新柳さん:どうぞ
私:おいしい!
流れるような所作でささっと点ててくださったお茶は、見た目からしておいしそう。飲み比べてみると、同じお抹茶なのに味わいがこうも違うのか!と驚きます。左のお茶は喉にするっと通って、喉でふわっと薫りが広がります。右のお茶はまろやかさが口に広がり、味わい深かったです。
なお、このテーブルで行うお点前は気軽に楽しめるように作られたもので、お盆はお家元のお好みだそうです。
新柳さん:一碗のお茶を点てるには、抹茶の量、炭のおこり、どの釜を使うか、その日の気温や湿度、そしてお点てするお相手の好み――まろやかなのか、苦みあるほうがお好きか、など、さまざまな要素があります。『正解』とは、1つのやり方ではありません。相手がおいしいと思ってくださることです。
――なるほど……もはやインタビューというより、貴重な講話をお伺いした気分になってまいりました。しかし、そうすると、お茶に大切な作法がめちゃくちゃになってしまうのでは……?
新柳さん:形として定めて守るべき部分と、変わっても問題ない部分と、むしろ変えるべき部分があるというだけのことです。あと、私は、自分たちは『アーカイブ機能』という役目もあると思っています。流派の型、そしてその精神を守り伝えていくのは、茶家の役目のひとつです。そもそも、作法というものは、場所や時代で変わっていきます。伝統はコピーではないですから。
きちんと型を受け継いだ方々がいらっしゃるから、茶人それぞれの創造性が際立つのですね。根津美術館の特別展では、不白自作の茶碗や香合、行った画賛(絵を絵師が書き、それに書き加えること)などを見ることができました。
創始者の本当にクリエイティビティは現代まで引き継がれているのですね。
――最後に、外国の方も含め、お茶に触れたことがない方にお茶の魅力をどう伝えられますか?
新柳さん:初めてお茶に触れる方に『ああ、いいなあ』と思ってもらう心地よさを目指しています。知識や経験が0とは、言いかえればとてもピュアな状態。我々が常に、質の高い状態をかかげて広めていけば、本質を感じていただけると考えています
お忙しいなか丁寧にご対応くださった川上新柳氏、ありがとうございました!
2020年は江戸千家のお茶に触れて心地よさに身を委ねてみては?
茶道では、「奥伝」という、上級者向けのお点前は基本口伝のみ、つまり、ノートやメモを書いてはいけません。しかし江戸千家では、「奥伝を不白が書き残している」とのこと。みなで分かち合うという初代の精神が、今も脈々と受け継がれているのを感じました。
お茶の家元のおうちにお邪魔する!と緊張していたのに、終わるころにはすっかりくつろいでいました。これがお茶の持つ本来の力なのかもしれません。
「心地よい」時間を過ごせる茶道、何かと慌ただしい現代人にもおすすめですよ!