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Culture
2020.01.28

世田谷区「用賀」の由来って…まさか…!日本史からふれてみるヨガの世界

この記事を書いた人

ヨガというと「体に良さそうだけど、怪しいかも…」と思っている方もおられるでしょう。そんなことはございません。日本史オタクのヨガ講師(←これが一番怪しい)の私が、日本史からヨガの世界をご紹介いたします。
※日本では学んだ流派や指導者によって「ヨガ」または「ヨーガ」と表記が分かれますが、こちらでは基本的に「ヨガ」で統一します。

インドから始まるヨガの起源〜そのころ日本は〜

紀元前3000~2000年、インダス文明の頃モヘンジョダロ(インダス文明最大の都市遺跡、現パキスタン)から、ヨガの坐法を取っている「印章」が出土。これが、ヨガの起源とされています。
紀元前1000年頃に書かれた聖典(宗教的書物)の中に「修行法」の意味合いで、「ヨガ」という単語が登場します。
紀元前500年頃、同じくインドに仏教が広まります。
注目すべきは、ヨガの方が仏教より早く存在していたこと。お釈迦様も、ヨガを学んで仏教を開いたといわれています。

◆そのころの日本は…
狩猟生活の縄文時代。文字なんてまだ存在しません。

インドとその近隣の国

時代が進んで5世紀頃、ヨガの根本経典として最古の『ヨガ・スートラ』が成立(スートラは経典の意味)。修行をしながら、真の自分を発見する方法を伝えています。
この中に「八枝則」というヨガの修行技法が記されています。

1.ヤマ(禁止事項)…… 暴力、嘘、盗み、性欲、物欲
2.ニヤマ(お勧め事項)……清浄、知足、苦行、聖典読誦、神様への帰依
3.アーサナ(ポーズ)
4.プラーナーヤーマ(呼吸法)
5.プラティヤーハーラ(制感)
6.ダーラナ(精神集中法)
7.ディヤーナ(禅那、静慮、瞑想)
8.サマーディ(三昧)

1から段階を経て、8のサマーディを目指します。
このころは、瞑想と坐法が中心の静的なものでした。3.アーサナ(ポーズ)もありますが、多くは語られていません。アーサナが重要視されるのは、もっと後になります。

◆そのころの日本は…
大和政権が勢力を拡大。仏教はまだ伝来していません。

現在のヨガの基本、ハタ・ヨガの誕生

12~13世紀頃、瞑想にアーサナと呼吸法(プラーナーヤーマ)が加わった、ハタ・ヨガが誕生しました。
呼吸に意識を向けながら体を動かし、意識を集中させることで自分を客観的に見つめます。じっと座っているより体を動かす方が集中しやすいため万人に受け入れられ、ハタ・ヨガはさまざまなヨガの基本になっています。現在のスタイルは、ヨガの長い歴史から見ると新しいものです。
ポーズ(調身)・呼吸法(調息)・瞑想(調心)が三位一体となり、心穏やかにして幸せになる手段。これがヨガなのです。

◆そのころの日本は…
源平合戦を経て、鎌倉時代へ。公家政権から武家政権へと移行しました。

仏教の教えのひとつとして日本に伝来

806(大同元)年の平安時代初期、遣唐使の留学僧として唐に渡った空海が無事帰国(この頃の航海は命がけ! )。密教である真言宗を学び、高野山に金剛峯寺を京都に教王護国寺(東寺)を建てたのは有名です。この密教の中に、「心の制御・統一をはかる修行法」の「瑜伽(ゆが)」がありました。古代インドの文語サンスクリット語「yoga」を、漢字に読み変えたものです。

これが日本におけるヨガの始まりといえます。

ヨガゆかりの地「東京都世田谷区用賀」

東急電鉄田園都市線「用賀」駅

12世紀鎌倉時代初期、勢田郷(現在の東京都世田谷区)に「瑜伽」の道場が開設され、16世紀頃この地を真言宗真福寺が所有。これが現在の東急電鉄田園都市線「用賀」駅付近の地名の由来といわれています。これは世田谷区のwebサイトにも載っています。これによると、「鎌倉時代の初期に勢田郷にユガ(梵語)の道場が開設されて、後にこの地が真福寺の所有する所となったことから、このユガがヨーガになったのではないかと言われている」

さらに真福寺のwebサイトには、「およそ四百年前に創建され、鎌倉時代この地に真言密教の修法をおさめる瑜伽(yoga)道場があったと言われている」と書かれています。

現在の山号は「瑜伽山」ですが、これは1946(昭和21)年に改められたもの。それまでは、「実相山真如院」だったので、後付けの感じがします。しかし「用賀村」の地名は江戸時代以前から見られるので、何らかの伝承はあったのだと思います。

せっかくなので「町おこし」に活用して「用賀ヨガ祭り」など、開催してほしいものです。

東京都世田谷区用賀にある真福寺

禅宗とヨガの教え

鎌倉時代、栄西が臨済宗を道元が曹洞宗を広めました。これらは坐禅を組んで悟りを開くもので、総称して「禅宗」といわれます。念仏が阿弥陀仏による他力の救いであるのに対し、自力の救いを強調しています。

「禅」には「瞑想」の意味があり、古代インドでは「ディヤーナ」と呼ばれそれが「禅那」になりました。「ディヤーナ」「禅那」は、前述の『ヨガ・スートラ』にも記されています。禅宗を通じてヨガの教えが日本に持ち込まれました。

この頃の仏教は「鎌倉新仏教」といわれ、庶民に広まっていきます。「禅」を通じて、ヨガが日本人に浸透したのではないでしょうか。

次は明治時代以降に、ヨガを広めた人々を紹介します。

明治時代以降に、ヨガを広めた人々

岡田虎二郎 自己を見つめ直す「岡田式静坐法」

最初に紹介する岡田虎二郎。1872(明治5)年、士族の次男として愛知県に産まれるも「未熟児」の虚弱体質。それでも無事に成長し、農業に従事。品種改良や肥料配合などを手掛ける農作物の研究家として、名を上げます。

その後、農作物から人間の心身開発へと関心が向きます。自身の悩みが多い時期と重なり、山中で「黙坐」し自己を徹底的に見直します。この経験を通じて、「心身が弱っている人を救済したい」と考え、「岡田式静坐法」を確立。1912(明治45)年)にその解説書を出版したところベストセラーに。彼のことを調べても、「ヨガ」の言葉は一切出てきません。しかし、語録の中には「道はおのれにあり、静かに坐ればその道はおのずからに開ける」「静坐は『我』をすてる事である」など、「ヨガ」の教えに通じるものが出てくるので、近代日本のヨガの先駆者と思うのです。

お地蔵様も瞑想

中村天風 メジャーリーガー大谷翔平も感化された「心身統一法」

近代日本に、最初にヨガを広めた人物として知られる中村天風。1879(明治)年に生まれ、日露戦争の軍事探偵(スパイ)として満蒙で活躍しました。しかし帰国後、当時は「不治の病」といわれた肺結核を発症。心身共に弱くなり、人生の真理を求めて欧米へ。有名な哲学者や宗教家を訪ねるも、自分の求める答えは得られず帰国を決意。その帰路、ヨガの聖者と出会いヒマラヤの麓で修行を受けます。修行を受ける中、何と病を克服。帰国後は、実業家として活躍します。

しかし1919(大正8)年、病や貧困などに苦しむ人々を救おうと、自身の体験から「人間の生命」の本来の在り方を研究し、「心身統一法」を確立します。この教えに感銘を受けた政財界など有力者の指示を受け、「天風会」を設立。現在に至ります。スポーツ選手、特に野球選手に感銘を受けた方は多く、広岡達朗氏や王貞治氏、最近ではメジャーリーガー大谷翔平氏が有名です。

ヨガに必須のティンシャ 心を落ち着かせ、場の空気を清浄する際に使用する。 力を入れたり、集中力が欠けていると良い音色がしない。

沖正弘 「沖ヨガ」創始者 戦後のヨガの草分け的存在

戦後のヨガの草分け的存在として知られる、沖正弘。1921(大正10)年広島県に生まれました。子どもの頃は身体が弱かったものの、成人して参謀本部の特別諜報員として活動。医学や宗教についての訓練を受けました。1951(昭和26)年、創設間もないユネスコ派遣奉仕員としてインドへ。医療や福祉事業に関わる中で、ヨガに出会います。平和運動を行うには、心身が強健で奉仕精神が旺盛であるべきと考えていた彼にとって、ヨガの哲学は心に響き学びを深めていきました。

1958(昭和33)年、日本ヨガ協会とヨガ行法哲学研修会を発足。古典的なインドヨガに東西のあらゆる宗教や修行法、日本の伝統文化、武道、東洋医学、民間療法などを組み合わせた「沖ヨガ」を確立していきます。ときには「求道ヨガ」「生活ヨガ」「総合ヨガ」とも呼ばれます。アーサナ(ポーズ)だけでなく、心・身・食・息・生活・環境の全てを改善して、心身のバランスを回復し、自己能力を開発していくからです。

その後多数の著作の刊行や全国各地での講演を通して、ヨガを日本に広めていきます。

佐保田鶴治 「佐保田ヨーガ」の創始者 『ヨーガ・スートラ』を解説

※佐保田氏は「yoga」は「ヨーガ」と発音するのが正しいと語っているので、この項では「ヨーガ」の表記にします。

1899(明治32)年福井県で生まれた佐保田鶴治は、インド哲学の教授として立命館大学や大阪大学などで30数年教鞭を取りました。若い頃から虚弱体質で、健康を味わったことのないまま退官・還暦を迎えました。その後あるインド人からヨーガを習い毎日欠かさず実践すると、あっという間に健康に。これを機にヨーガの指導や研究に力を入れます。前述の『ヨーガ・スートラ』の解説書の執筆(1966年)や、道場の設立などを行いました。

「心身一如(しんしんいちにょ)」と心と体の一致が真の健康であり、それを実現するための体位法(体操)・呼吸法・瞑想法の結合がヨーガであると説いています。

以上、近代以降の日本にヨガを広めた主だった人々を紹介しました。共通するのは、「虚弱」や「病」。簡潔に書きましたが、医療技術が現代より発達していない時代、死と隣り合わせで生きていたのかもしれません。そんな悩み苦しんだ経験を無駄にせず、他人や社会のために貢献できるように行動したことが、大勢の心と体に響いたのでしょう。

ヨガブームからヨガ冬の時代

そして、1970年代ヨガブームが訪れます。以降、1980年代1990年前半までに健康と美容に良いとして幅広い世代に浸透していきます。しかし……。
1995年、某宗教団体の大事件をきっかけに、聖音のオウムや瞑想、そしてヨガそのものに偏見の目が向けられヨガ人口が激減。人気のあった教室も閑古鳥が鳴く状態に。その当時を経験した講師は一様に「大変な時期だった」と言っています。

ヨガとカルト教団、違いは何?

ヨガが某宗教団体のようなカルト教団と同等に見られるなんて、おかしな話です。怒っても仕方ないので、その違いを記します。

ヨガ:心の在り方を自分で考えて実践する。全ての人に敬意を払い、自分も他者も大切にする。
カルト教団:誰かを妄信する。誰かに教えを強制される。一度関わると出られず、他の人の意見を聞いてはいけない。

自分の内面を見つめ多くを受け入れるヨガと、自分の外にばかり目が行き、多くを受け入れられず時には攻撃的になるカルト教団。
相反するものということが、理解していただけたでしょうか?

そのような冬の時代を乗り越えて、今もヨガを教え続けている講師の方には頭が下がります。

第二次ヨガブーム、そして現在

2003~2004年頃、アメリカでスーパーモデルや女優などを中心にしたヨガのブームが伝わり、若い女性を中心に第二次ヨガブームがやってきます。従来の瞑想や呼吸法の要素に加え、筋力アップやエクササイズの要素も加わりました。「パワーヨガ」というジャンルが入ってきたのもこの頃。ヨガ冬の時代を経て、日本人に新たな形でヨガが受け入れられました。

当時の私はヨガには興味がなく、ダンスに夢中でした。新聞で「若い女性にヨガが大ブームで、東京ではヨガマットを持ち歩く女性が増えている」という記事を目にしたときも、「大げさだな」と思っていました。程なく東京に行く用事ができ(このときは京都に住んでいた)、見かけました。「ヨガマットを持ち歩く若い女性」を。ブームを実感するとともに、「かさばるマットを持ち歩くヨガより、カバンに納まる靴が荷物のダンスの方がいいや」と思いました。そんな私がヨガ講師になるとは、人生分からないものです。
ちなみに今は折り畳み式のヨガマットもあるので、持ち運びも楽になりました。

現在は若い女性だけでなく、スポーツ選手・マタニティ・ベビー&ママ・キッズ・親子・障害者・シニアと、ヨガの対象はどんどん広まっています。これは誰でもどこでも、無理なくできるということ。
一度は下火になったものの、再度受け入れられるのは「ヨガをすると、心も体も心地よい」と多くの日本人が感じたからかもしれません。
この記事を最後まで読まれた方は、ヨガは怪しいものではないと理解されたと思います。
もし、心や体が苦しいと感じたら、だまされたと思って? 一度ヨガをやってみてください。

◆参考資料

世田谷区ホームページ  地名の由来(瀬田・玉川・用賀・上用賀・玉川台)
『東京都の地名』(日本歴史地名体系13、平凡社、2002年)
真言宗智山派 瑜伽山 真福寺
静坐の友
中村天風財団
NPO法人 沖ヨガ協会
日本ヨーガ禅道院
石井正則『やってはいけないヨガ』(青春出版社、2018年)

書いた人

大学で日本史を専攻し、自治体史編纂の仕事に関わる。博物館や美術館巡りが好きな歴史オタク。最近の趣味は、フルコンタクトの意味も知らずに入会した極真空手。面白さにハマり、青あざを作りながら黒帯を目指す。もう一つの顔は、サウナが苦手でホットヨガができない「流行り」に乗れないヨガ講師。