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Culture
2020.04.06

中華もハロウィンも⁉︎独自の進化を遂げたのは、携帯だけじゃなかった!ガラパゴス化する日本文化

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中華料理もカレーも日本食である。そんな馬鹿な、とおっしゃるであろうが、日本食なのである。

中華料理とは、そもそも日本人の味覚に合わせて作られた中国「風」の料理を指すことが多々あり(本格的な中国の料理は「中国料理」と呼ぶ)、カレーはインドカレーやタイカレーなど特別な断りがない限り、ほとんどは日本ナイズドされた日本の味なのである。

ナポリタンはイタリア・ナポリの味の再現ではないし、ピラフ・トンカツ・スパゲッティー盛り合わせのトルコライスもトルコ料理とは関係ない。しかしそういった事象とは別に、実際に本場の味に学びながらも独自の進化を遂げた、ガラケー(最近スマホに押されて生息域が縮小しているが)のような食べ物たちがいる。

メイドインジャパンの「外国料理」たち

焼き餃子やエビチリなどは、中国でごく普通に見られる料理だと思うのではないか。少なくともあきみずはそう思っていたし、何だったらラーメンも現在日本で広く食べられている形に直結する中国起源のものがあると思っていた。ついでにオムライスもヨーロッパの食堂で食べられると思っていた。しかしこれらが本国で提供されることは稀なのである。

ちゃんぽん、冷やし中華、ハヤシライスなどは何となく分かるが、天津飯や回鍋肉・カキフライ・エビフライなども、日本発祥だったり独自の進化を遂げた料理だったりするというから、もう何がなんだか分からなくなってくる。

日本では行事もガラケー化する

クリスマスやバレンタイン、ハロウィンなど、日本でも盛り上がりを見せるイベントが外国起源なのは誰もが知るところだろう。しかし、その内容まで受け継いでいる訳ではないようなのだ。

クリスマスはキリスト教の行事で、ヨーロッパを始めとするキリスト教圏では神聖なお祝いごとだ。家族や親戚が集まって静かに過ごし、教会へ礼拝に出掛けたりする。
日本では、クリスマスイブに至るまでの準備期間「アドベント」中に行われるショッピングや、プレゼント・食事・飾り付け・イルミネーションなどの特別な催物のみが元のまま残り、その他はほとんど失われている。クリスマスと正月がヨーロッパとは逆転している、とよく表現される。

バレンタインは、キリスト教の聖人である聖バレンタインが時のローマ皇帝に逆らって兵士たちの結婚式を行い続け、処刑されたことにちなむとされる。実際には別の要素も絡んで成立したものであるようだが、キリスト教関連の祭日、恋人たちの日として世界に広く知られている。
プレゼントを贈ることは共通しているものの、「女性から男性に(派生形はいろいろあるが)」「相手にチョコレートを渡す」「気になる人に告白する日」というのは日本独自の文化である。海外では性別に関わらず恋人や親しい人に花やケーキ・カードを贈ったり食事を楽しんだり、日本とは逆に男性が女性に尽くす日だったりする。また、ホワイトデーは日本発祥の習慣である。

ハロウィンは、主にケルト民族の収穫祭に起源を持ち、この日から訪れる冬の季節に姿を見せるとされる悪霊の影響を避ける目的で始まった行事である。
日本では仮装パーティー・お菓子を貰える日として近年広がりを見せているが、こちらも本来の目的は受け継がれていない。

日本文化の特徴

しかしこうした傾向は、別に近代に入ってから突然起こったことではないのである。かつては身近な日常の場に、それがあった。

修験道とは?

修験道。現在ではあまり馴染みがなくなってしまっただろうが、江戸時代までは全国各地に修験者(山伏)がいて、庶民の身近な存在だった。山伏は山に入って修行するが、里で人々のために働くことで自己成長を目指す、という面も持ち合わせていた。そして、この修験道こそが、中華やカレーやクリスマス・ハロウィンなどのガラケー化を説明するカギとなる。と、個人的に考えている。

修験道は究極のハイブリッド仕様である。山岳信仰、神道、仏教(密教系)、儒教、道教、シャーマニズムなどが合わさって生まれたもので、様々な派があるものの、画一的な教義を持たないのも特徴の1つとされる。人は誰しも生まれながらにして仏の心を持っており、それを悟る手段として神の宿る山に入って修行を行う、という考え方については各派共通なのだという。

修験道は日本人の気質の縮図?

庶民の身近な存在、つまり修験道の考え方が一般に広く浸透していたということだが、前述の通り、修験道は日本古来の思想も、中国や中国経由のインド思想もない交ぜにして取り入れている。

そこに何の軋轢もなかったかといえば、そうでもないようだが、結果的に同居を果たして溶け合った。日本の根本気質を考える上で、これが非常に重要になってくるように思う。

日本文化=多文化融合?

日本の古くからの考え方として、アニミズム的発想・多神教というのがある。あらゆるものや場所に神が宿り、それぞれ異なる神が存在する、という思想だが、これが根本にあって連綿と受け継がれてきたことで、他の文化も受容しやすい土壌が育まれたのではないか。

日本の信仰の特色でもある「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」は、先進国の象徴としての仏教を取り入れるための案である(近代の欧米化傾向もこれと同様の現象に思える)。神道の神々を仏の化身と見なす考え方であり、一見、仏教に神道が飲み込まれたようにも思えるのだが、神道的思想が人々の心から消えることはなかった。双方ともに否定せず融合させたことが広く受け入れられた要因であったのだろうし、何より八百万(やおよろず)の神々といった多様性を受容していた当時の人々にとって、それが自然な結果だったのだろう。

修験道では、神仏習合を始めとした多数の思想の融合が見られるのみならず、真言(しんごん)や陀羅尼(だらに)という形でサンスクリット語が翻訳されずに唱えられている(真言や陀羅尼は密教の影響)。また、この世にあるすべての存在は否定されるべきものではない、といった考えをも持つ。

否定して消し去るのではなく、受容して独自に発展させる。そうした根本姿勢が日本文化最大の特徴であるように思うのだ。

八百万の人々と

文字も、中国由来の漢字からひらがなやカタカナが生まれ、また国字(こくじ)と呼ばれる独自の漢字が作られた。戦国武将たちも、敵方を徹底的に攻撃して壊滅させるのではなく、しかるべき対処をした後に自軍の戦力とした。無論、綺麗ごとのみでは終わらなかった事実は多々ある。それでも、発想の源の1つとして融合の精神が鎮座し続けていたのは間違いあるまい。

現代日本人の心にも、自身と異なる存在や意見を尊重し、共に生きる心が確かに受け継がれている。そう信じている。

書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。