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2020.04.29

なぬ?ホグワーツ日本校だと!歴オタ的ハリー・ポッターJAPAN大解説!

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世界的な大ヒット作品、「ハリー・ポッター シリーズ」は魔法学校に通う少年少女たちの冒険を描いた作品です。

ハリー・ポッターが通うイギリスの魔法学校は「ホグワーツ」ですが、実はハリー・ポッターの世界の中に、日本の魔法学校がある事はご存知ですか?

その名も「マホウトコロ」!

平成28(2016)年に、ハリー・ポッター シリーズの公式サイト「Wizarding World」でその概要が発表されました。

この情報に日本のハリー・ポッター ファンたちは大歓喜しました。私もその1人です。

そこで、ハリポタマニアかつ日本史ガチ勢の1人として日本の魔法学校について全力で妄想してみます!

マホウトコロという名前についての妄想

まず、マホウトコロという名前……歴史好きにはピンと来るでしょう。

「侍所(さむらいどころ)」「政所(まんどころ)」……もしかしたらマホウトコロは「魔法所」と書くのでしょうか。

「〇〇所」というのは朝廷や幕府の機関なので、マホウトコロは元々は魔法使い省庁の名前なのでしょう。魔法使いの官僚・役人を育てる、超エリート教育機関だといえます。

「魔法」という言葉は、江戸時代ごろに使われ始めたといわれています。明治時代の英和辞典で「magic」の和訳に「魔法」と当てられたことから、一般的に「西洋魔術」のイメージで広まりました。

これはマグル(魔法使いではない人間)の認識なので、もしかしたら日本魔法界では早い段階から西洋由来の魔術を「魔法」と呼んでいたのかもしれません。

いったいいつから魔法学校が存在していたのかは、おいおい考えてみるとして、まずは……。

日本の魔法学校の生徒は英語がペラペラに違いない

This ancient Japanese school has the smallest student body of the eleven great wizarding schools and takes students from the age of seven (although they do not board until they are eleven).

この日本古来の学校は、11の大魔法学校の中で最も生徒数が少なく、7歳から生徒を受け入れています。(ただし、11歳になるまでは登校しません)

ハリーポッターは11歳の秋から魔法学校の1年生としてホグワーツに入学し、17歳の7年生で卒業します。

これは、イギリスの学校制度が、11歳~15歳の5年間が中学生で、その後2年またはそれ以上の職業教育を受けるからです。

一方マホウトコロはというと、公式サイトによれば7歳から生徒を受け入れているようです。ただし授業が始まるのは11歳から。

これはやはり、日本の教育制度では7歳~12歳の6年間が小学生だからでしょう。

しかし、魔法学校の授業が始まるのがイギリスと同じ11歳から……ということは7歳~10歳の4年間は何をしているのでしょうか。

もしかしたら、初等教育として、英語やラテン語などの基礎を学んでいるのではないでしょうか。

魔法界の大本営がイギリスなので、英語は必須でしょう。しかも本場のイギリス人魔法使いでも、魔法の呪文の発音に苦労する様子が、シリーズ内では出てきます。

ただでさえ「L」と「R」、「B」と「V」の発音の区別が上手くできないと言われがちな日本人。魔法の呪文は発音が正しくないと発動しないので、いざという時に致命的なミスとなってしまいます。幼い頃からしっかりと叩きこむ必要がありますね。

あなたの周りにいるネイティブレベルで英語ペラペラなあの人は……もしかしたら、魔法使いなのかもしれませんね!

日本の魔法学校は国際色豊かなのでは?

The ornate and exquisite palace of Mahoutokoro is made of mutton-fat jade, and stands on the topmost point of the ‘uninhabited’ (or so Muggles think) volcanic island of Minami Iwo Jima.

羊脂玉で作られた豪華絢爛な宮殿「マホウトコロ」は、南硫黄島の「無人島」(とマグルには考えられている)火山島の山頂に建っています。

公式サイトによれば日本の魔法学校は、日本の無人島「南硫黄島」にあります。

領土は日本ですが、日本の本土から通えるのならば、東南アジアの国々からも通えそうな位置です。

そして南硫黄島の山頂に「マホウトコロ宮殿」があるというのですが、宮殿は「mutton fat jade」でできています。これは現在のウィグル自治区のホータン地区で採取されるネフライトの最高級品「羊脂玉」のことです。

このことから、マホウトコロ創設には、日本だけではなく他民族が大きくかかわっている可能性が高いでしょう。

日本の魔法学校には寮が無い! 通学には巨大な鳥を使う

While day students, wizarding children are flown back and forth to their homes every day on the backs of a flock of giant storm petrels.

昼間、生徒である魔法使いの子供たちは、群れた巨大なウミツバメの背中に乗って、毎日のように家と学校を往復しています。

ホグワーツは全寮制の学校で、寮ごとに分かれてお互いがライバル心を持って切磋琢磨しています。

マホウトコロはというと、寮はなく、毎日「巨大なウミツバの群れ」に乗って通学してくるようです。

現実の南硫黄島は世界で唯一観測されている、クロウミツバメの繁殖地です。通常は30センチほどの大きさですが、人を乗せて飛べるほどの大きさというと、魔法生物なのでしょうか。

日本には「大きな鳥」にまつわる伝承は、多くありません。

愛媛県に「波山(ばさん)」という巨大な鳥の伝承がありますが、羽音だけで姿が見えないとされています。想像図は火を吐く鶏のようですが、これは昔マホウトコロの生徒が愛媛県にいて、姿くらましの魔法をかけて登校していたので、「音だけの大きな鳥」という伝承が残ったと言えるでしょう。

実際のクロウミツバメは、非繁殖期には南下して、フィリピン沖の方まで行くようです。日本本土の方にはあまり来ない鳥なので、気候的に日本で飼うのは難しそうです。

マホウトコロの通学に使う「巨大なウミツバメ」は一家に1羽というものではなく、スクールバスのような乗り物で、学校から生徒たちの家々を周回しているのかもしれませんね。

マホウトコロの制服

Students are presented with enchanted robes when they arrive, which grow in size as they do, and which gradually change colour as the learning of their wearer increases, beginning a faint pink colour and becoming (if top grades are achieved in every magical subject) gold.

生徒たちは入学すると、魔法のローブを渡されますが、そのローブは成長するにつれて大きくなり、着用者の学習が進むにつれて徐々に色が変わり、淡いピンク色から(すべての魔法科目で最高点を取れば)金色に変わります。

マホウトコロの生徒には、専用のローブが支給されるようです。そのローブは成長に合わせて大きくなるようで、買い替えなくてもよいのは羨ましいですね。

しかも、学年や成績によって色が変わるようです。

最初はみんな薄いピンクのローブ

はじめは、男女関係なく全員淡いピンクのローブを身につけます。なぜピンクなんでしょう……桜の色だからでしょうか。

「Wizarding world」の、世界の魔法学校についてのページには、世界地図の画像があります。

その左下に、ウミツバメに乗ったピンクのローブの魔法使いが描かれてますが、現代の日本マグルから見るとダサ……いえ、風変りな気もします。

もうちょっと現代風のアレンジが加えられている事を期待しましょう。

成績優秀者は黄金のローブ

学習が進むにつれてローブの色が変わり、全ての教科で最優秀の成績を修めた生徒のローブは黄金に輝きます。

これも、現代日本のマグルから見るとダサ……いえ、奇抜に映りますね。

黄金を尊いとする文化といえば、過去の日本でも平安時代後期~末期の「平泉」が思い浮かびます。世界遺産にもなっている中尊寺の金色堂をはじめ、金をふんだんに使っていました。

それから足利義満が造った「金閣寺」、豊臣秀吉の「黄金の茶室」など派手好きの施政者は日本にもわりといて、黄金が持てはやされた時期もあります。

現代でも昭和のいわゆる「バブル期」には、なんでもかんでも金ぴかにしている人がいたようです。

もしかしたら、マホウトコロの創設時はそういった、景気の良い金ぴかブームの頃だったのかもしれません。

危険な白いローブ

If the robes turn white, this is an indication that the student has betrayed the Japanese wizard’s code and adopted illegal practices (which in Europe we call ‘Dark’ magic) or broken the International Statute of Secrecy. To ‘turn white’ is a terrible disgrace, which results in instant expulsion from the school and trial at the Japanese Ministry for Magic.

ローブが白くなった場合、その生徒が日本魔法界のルールから外れた違法行為(ヨーロッパ魔法界では「闇の魔術」と呼ばれているものです)を行ったか、国際秘密厳守条約を破ったことを示しています。「白くなる」ということは、大変な不名誉なことであり、その結果、即座に退学処分となり、日本の魔法省で裁判を受けることになります。

「白いローブ」はとんでもない不良とされるようです。

なぜ白が不名誉なのでしょう。もしかしたら「死装束」ということなのでしょうか。

そういえば日本の幽霊って、よく白い服を着ていますね。白い着物・白いワンピース……映画「リング」にでてくる怨霊「貞子」の衣装は、そのまま「白いローブ」にも見えます。

ハリー・ポッター シリーズの魔法使いの掟には「魔法学校の生徒は学校の許可なくして、学校外で魔法を使用してはいけない」「マグル(普通の人間)に魔法を見られてはならない」「魔法で人を傷つけたり、支配したり、殺してはならない」というものがあります。

もしかしたら、よくある日本の怪談に出て来る幽霊は、マホウトコロの生徒たちが夏休みにハメを外してしまったものなのかもしれませんね。

日本はクィディッチの強豪国

Every member of the Japanese Quidditch team and the current Champion’s League winners (the Toyohashi Tengu) attributes their prowess to the gruelling training they were given at Mahoutokoro, where they practise over a sometimes turbulent sea in stormy conditions, forced to keep an eye out not only for the Bludgers but also for planes from the Muggle airbase on a neighbouring island.

日本のクィディッチチームのメンバーや現在のチャンピオンリーグ優勝者(トヨハシ・テング)は皆、マホウトコロでの過酷な訓練を受けてきました。時には荒天の中、荒れ狂う海の上で練習し、ブラッジャー(相手選手を攻撃するボール)だけでなく、隣の島のマグル空軍基地からの飛行機にも目を光らせることを余儀なくされている。だからこそ、その実力が発揮されたのだと思います。

ハリー・ポッター シリーズに出て来る魔法界の人気スポーツ「クィディッチ」は、箒に乗って行う野球とバスケとラグビーとドッジボールを掛け合わせたようなゲームです。学生たちによる、校内大会や、学校対抗の大会、プロチームによるワールドカップも行われています。

日本はクィディッチの強豪国で、プロチーム「トヨハシ・テング」がワールドカップで優勝しています。

マグル空軍基地とは、硫黄島にある航空自衛隊基地のことでしょう。

チームネーム「トヨハシ・テング」の元ネタ

「豊橋」で「天狗」といえば、愛知県豊橋市にある「安久美神戸神明社(あくみ かんべ しんめいしゃ)」の豊橋鬼祭が有名です。

毎年2月10日・11日に行う、春の訪れを祝う祭りで、「天狗と赤鬼のからかい」という演劇のような儀式があります。

天狗と鬼が魔法のような力を駆使して戦い、最後に敗れた赤鬼がタンキリ飴をばら撒いて、観客たちを飴の粉で真っ白にして去って行くというものです。

神社の創設は天慶2(940)年で、儀式自体は神社創設よりも古くからあると言われていますが定かではありません。戦国時代にはすでに天狗と鬼のモチーフは定着していたようで、今川義元が寄進した天狗と鬼の面が神社の宝物としてあります。

もしかしたらハリーポッターの世界では、昔にあった魔法使い同士の戦いの様子となるのかもしれません。

さらに深堀してみた

以上が、公式サイトを元にした妄想ですが、ここからさらに深くマホウトコロについて考えてみましょう。

ハリー・ポッターが通うホグワーツ魔法学校は、993年に創設されたことになっています。日本はちょうど平安時代中期ですね。

マホウトコロの教育制度はイギリス式を参考にしているようなので、少なくともホグワーツ創設の後にイギリス魔法省指導の元作られた事は想像に難くありません。

南硫黄島の歴史

実際の南硫黄島を最初に発見したのはスペインの船。天文12(1543)年の頃です。その後200年もスルーされ続け、安永8(1779)年にイギリス人によって再び発見されます。が、やはりスルーされます。

初めて島に人間が訪れたのは、さらに100年後の明治18(1885)年。北海道から出航した船が遭難し、南硫黄島に漂着しました。10名のうち1名は遭難中に死亡し、島に辿り着いた9名のうち3名が島に残り、3年半のサバイバルののちに救助されました。島を出た6名は行方不明となっています。

そして正式に日本の領土と認められたのは明治24(1891)年です。太平洋戦争後、一時的にアメリカのものとなっていましたが返還後は島全体が国の天然記念物とされ、研究以外での上陸が禁止されています。平成19(2007)年には世界遺産にも登録されました。

以上が、マグル側の南硫黄島に関する歴史です。イギリス魔法省が認識したのは、天文12(1543)年か安永8(1779)年になるのでしょうか。

謎の人物、小笠原貞任

南硫黄島は小笠原諸島の1つですが、小笠原諸島の名前の由来となる人物がいました。それが「小笠原貞任(おがさわら さだとう)」です。

享保12(1727)年の事、信濃国小笠原氏の子孫、小笠原貞任と名乗る謎の人物が現れ、幕府に南の島々の所有権を主張しました。

彼の主張によれば、文禄2(1593年)、徳川家康の忠臣であった曽祖父が、家康から「新しく山か島を見つけてきたら、それをお前にやろう」と言われて南の海へ旅立ちました。そこで見つけた島々が現在の小笠原諸島だというのです。

貞任の曽祖父はその探検・調査の結果を「巽無人島記(たつみ ぶにんじまき)」にまとめてを提出し、家康を通して豊臣秀吉から所有権を認められました。

この出来事を根拠として、所有権の継続を認めてもらうために、貞任が幕府に提出したのが「辰巳無人島訴状幷口上留書(たつみ ぶにんじま そじょう ならびに こうじょう とめがき))」です。

しかしその内容は、

「八丈島の南方へ百里(=約400km。実際は小笠原諸島北端の島まで600㎞)」
「80余りの島々のうち、特に大きい2つの島は、四国ほどの大きさがある(四国はおよそ1万8千平方km。小笠原諸島最大の硫黄島は23平方km)」
「島には蘇芳・梅林がある(熱帯気候で育つのでしょうか?)」
「オットセイが住んでいる(北極・南極圏の動物!)」

というような、てんででたらめなものでした。

オットセイは可愛いですけどね!

そして小笠原諸島には、延宝3(1675)年に幕府が調査団を派遣しています。
寛文10(1670年)に長右衛門という商人が商船に乗って遭難し、小笠原諸島の父島に漂着しました。そこから乗組員たちと力を合わせて新しい船を造り上げて、なんとか帰ってきました。
その報告を受けて、調査しに行ったのです。

貞任の報告書は、長右衛門事件の報告書と照らし合わせて何1つ合っていなかったので、幕府の役人は貞任を詐欺師として享保20(1735)年に逮捕。財産を没収して追放しました。

小笠原貞任は詐欺師と言われてしまいましたが、当時の人々の記憶にはしっかりと残ったようで、この出来事をきっかけに「小笠原諸島」と呼ばれるようになります。

以上がマグルの記録に残る「小笠原貞任」ですが、彼はもしかしたらマホウトコロの校長で魔法使いなのではないでしょうか。

当時の南硫黄島を含む小笠原諸島は正式な日本の領土として確定していたわけではありません。所有国が曖昧なままでは、魔法界でも不都合があったのでしょう。

日本の魔法学校として登録するには、日本の領土として示す必要があった。しかも校長の私有地であるとマグルの政府(幕府)に認められれば、余計な詮索はされない。

そこで報告書を持って所有権を主張しに行ったところ、報告書内では魔法で見せかけている「無人島の姿」ではなく、うっかり「ありのままの姿」を記してしまった。と考えると合点が行きます。(少なくとも私の中では)

距離感は、魔法で移動する魔法使いにとっては掴みづらいのかもしれませんし、島の大きさも魔法で拡張された空間もうっかり含めてしまったのかもしれません。

蘇芳や梅林は、故郷に馴染みのある草花を生徒たちが植えたのかもしれないですし、オットセイも誰かのペットなのかもしれないですね。可愛いですものね、オットセイ。

日本魔法界で起こったできごと

まとめると、16世紀半ばあたりになんらかの出来事があり、イギリスの魔法使いが主体となって日本の魔法界に干渉し、18世紀半ばぐらいまでに日本の魔法使いたちの教育機関「マホウトコロ」を作ったと考えられます。

16世紀半ばあたりの出来事といえば……天文18(1549)年のキリスト教伝来です。

ハリー・ポッターの世界では、明言されてはいないものの、ヨーロッパの魔法使いたちはキリスト教のマグルから度々迫害を受けていたことが示唆されています。

しかもこの頃は、ヨーロッパでは「魔女狩り」が行われていた時期です。きっと危機感を覚えたイギリスの魔法省が、日本の魔法使いたちの保護に乗り出したのでしょう。

日本の魔法使いたち

では、「日本の魔法使い」とはどんな人たちなのか……と考えると、私はマグルに「妖怪」と呼ばれた存在なのではないかなと思っています。

しかし、「妖怪」はハリーポッターの世界ように「魔法生物」として分類すると多岐にわたります。

有名な妖怪で言えば「子泣きじじい」や「砂かけばばあ」「天狗」は魔法使いとして、「一反木綿」や「ぬりかべ」は魔法にかけられた布や壁だとイギリスの魔法界では判断されるでしょう。

「河童」や今話題の「アマビエ」は魔法生物に分類されるのでしょうが、「狐」や「狸」はひょっとしたら、動物が人間に化けるのではなく、動物に化けられる魔法使い「アニメーガス」かもしれません。

国立国会図書館蔵「百鬼夜行絵巻」より

特に日本の昔話では、「鶴の恩返し」や「雪女」など動物や妖怪が人間に化けて結婚する話が多々あります。これらはアニメーガスとマグルの恋愛の話と言えるでしょう。

マグルと交流し、マグルと恋愛し、自分たちがアニメーガスなのか魔法生物なのかすらも全く気にしない。み~んなひっくるめて「妖怪」としている。

この状況、絶対にヨーロッパの魔法使いたちは頭を抱えたはずです。

ハリー・ポッター シリーズでは由緒正しい家柄の魔法使いが「純血」にこだわり、魔法生物を分類して保護する事に力を入れている様子が描かれているからです。

妖怪の分類学

そんな妖怪がきちんと分類されたのは、明治時代になってからです。

妖怪を分類したのは、現在の東洋大学の創始者である「井上円了(いのうえ えんりょう)」。

彼は「日本が世界に後れをとっているのは、妖怪なんて迷信を信じているからだ」として、日本各地を講演して回ります。

「これは科学的に説明のつく自然現象ですよ」「心理的な恐怖からの誤認ですね」「今は説明つかなくても、科学が発展すればいずれ判明しますよ」と言っては妖怪の正体を暴いて行った実在する明治時代の妖怪ハンターです。

妖怪を「迷信だ」と断言しているからか、妖怪好きからは目の敵にされがちな人物です。しかし彼ほどに妖怪を理論的に分類した妖怪研究者は他にいないでしょう。

彼の著書を読むとむしろ妖怪への愛が溢れているように感じます。(本人は「妖怪なんて好きじゃないですよ!」と言いそうですが)
彼の著書は青空文庫でも読めますので、妖怪好きはぜひ一読を!

ハリー・ポッターの世界なら、私は彼こそが日本を代表する魔法使いで、マホウトコロの卒業生なのではないかと思います。

一番、妖怪を分類したがっていたのは、おそらくイギリス主導の魔法界ですからね!

同時に、「人間に妖怪は迷信だと思わせる」=「マグル界と魔法界を切り離す」ことにも成功しています。これもヨーロッパの魔法界ではすでに当たり前にやっていた事です。

こうして日本はマグル界でも魔法界でも、列強の国々と肩を並べられるほどに発展します。

しかし基本的に、日本のマグルたちは「妖怪」が大好きです。そして日本の魔法使いたちもマグルが大好きなのでしょう。
数々の妖怪話が残っているということは、それだけ妖怪が人間の前に姿を現して構いたがっていた証拠です。

きっと魔法使いたちも寂しいけれど、魔法に頼らず、自分の力で立ち上がろうとする日本のマグルたちを見て、子離れする親のような心境だったことでしょう。

こうして日本のマグル界は、「妖怪は迷信だ」として魔法界と独立しました。

しかひ社会に不安が広がるとたびたび妖怪ブームが起こります。

今回のウィルス蔓延で突如脚光を浴びた「アマビエ」もそうですね。

「疫病が流行る事があれば、私の姿を絵にかいて人々に見せよと言った」というエピソードを、今回最初にSNSで紹介したのは一体誰なのでしょうか?

これはもしかしたらマグルたちに対する魔法使いたちからの「わたしたちは、見えないけれどあなたたちのそばにいるよ」「ちゃんと見守っているよ」というメッセージなのかもしれませんね。

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。