刺繡のオートクチュールとオリジナルの芸術作品
京都・西陣に伝わる「京繡」の技法により、緻密な刺繡を施して絢爛豪華な能衣装や着物を彩る刺繡作家の長艸敏明さん。能や歌舞伎など伝統芸能の衣装はもちろんのこと、エルメスとコラボレーションした刺繡制作も手がけ、豊かな色彩と艶やかな光沢を生み出す高い技術によって、海外のハイブランドのファッションデザイナーたちを魅了してきました。
長艸さんの制作の基本は、「このようなものをつくってほしい」という発注を受けてのお誂え。発注者の希望を聞いてつくられる着物や衣装は、その人だけの世界で一着のものであり、いわば、刺繡のオートクチュールです。オーダーを受ける一方で、自らの世界観を表現するオリジナルの作品制作を長年続けている長艸さん。大胆な構図を繊細な刺繡で浮かび上がらせる華麗な作品群は圧巻です。「利益は度外視。迎合はしない。なかなか売れません」と笑いながら、「能衣装などは、舞台の上で動いたときにどう見せるかを考えます。大向こうを唸らせたいと思ってつくっています。納期や予算を考えないから面白いものができる。…と言いつつ、売れる商品も大事なんやけど(笑)」(長艸さん・以下同)と語ります。
長艸さんの刺繡の最大の特長は構成力と配色力。父・長艸芳之助氏が起こした「長艸繡巧房」から受け継いだ膨大な図案と美術書を研究し、現代的な感性で長艸さんならではの独創的な世界観が生まれます。
緻密に計算されて美しく見せる刺繡の技
生地を張った台の前に座り、刺繡針にスッと糸を通すと、長艸さんは真剣な眼差しに。右手で上から下へ生地に針を刺し、生地の裏にある左手が下から上へと針を刺し上げます。生地の裏側は固定されて見えないけれども、正しい場所へ針が上がってくるのは熟練の技。音のない静かな工房に、プツッ、プツッと、ひと針、ひと針、生地を繡(ぬ)う微かな音が響きます。
「歌舞伎の衣装は、公演中の約25日間、毎日着続けなければならないため、丈夫で軽い。生糸は縒(よ)りをかけたほうが強いので、歌舞伎の衣装には縒糸を多く使いますが、お能で同じ衣装を着る公演は、一般的に1年に数回程度。お能の衣装は、舞台の上で光の反射を受けて輝くように、生糸に縒りをかけない平糸を使って刺繡をすることが多いです」
糸は手で触りすぎると、絹糸の表面のたんぱく質が取れて、光沢が失われます。ため息が出るほど艶やかな刺繡は、糸をできるだけ触らずに繡うことができるからこそ。同じ場所に幾重にも重ねて針を刺すことで立体感が出て、使用する糸の色を変えながら微妙な色合いのグラデーションをつけることによって、陰影が生まれます。
日本人ならではの色、芸術、文化を映す
「利休、茜、紺、紫、黄土…古代五色と言いますけれど、僕は、その濃淡の糸を使っています。四十茶百鼠というくらい、茶色には40色、鼠色にも100色あるほど、日本人は色の感覚が鋭い。一般的な人で8000色くらいは見分けることができるようです。こうした東洋の色使いに心惹かれて、ジョン・ガリアーノも長艸の工房を訪ねてくれました」
皇室や公家が使う糸の色の中心は暖色系、町衆の好みは寒色系。古い着物を見たり、文献を読んだりして研究して培った知識は、作品にも反映されます。若い頃から習い始めた能の謡や舞囃子も、和歌の本を読んだり美術作品を見たり、花街で遊ぶのも、すべて制作に欠かせない教養になったと長艸さんは言います。
「歌舞伎の衣装をつくるときに、演目が『道成寺』と聞いたらどのような鱗にするか? お能の『熊野(ゆや)』であれば、母を思いながら桜の下で舞うときの蔓帯は? と瞬時に思うことができます。すぐに身につくものではないから、日々勉強です」
京都・祇園祭の山鉾の水引幕の復元新調をはじめ、全国各地の祭事の飾り幕の修復や復元など次世代へ日本の刺繡文化をつなぐ仕事にも尽力する長艸さん。文化財の仕事は工房制作で6年から10年近くかかるといいます。2023年は約20年のライフワークであった日本最古の刺繡の『天寿国繡帳』の復元が完成し、中宮寺の聖徳太子二歳像の被衣(かづぎ)として奉納されたこともよろこばしい出来事でした。
▼『天寿国繡帳』復元についてはこちら
公開は9/30まで! 中宮寺 聖徳太子像がまとう国宝『天寿国繡帳』京繡作家・長艸敏明さんが技法復元
「繡えども、繡えども、また繡えども、です。終わりはありません。次から次へとしたいことが湧き上がってきます」
ひと針、ひと針。繡えども、繡えども。気の遠くなるような緻密な世界の刺繡と丁寧に向き合い、長い時間をかけて完成する長艸敏明さんの作品。工房には制作中の作品の刺繡台が何台も置かれていて、長艸さんの挑戦に終わりがないことを教えてくれます。
文/高橋亜弥子 撮影/篠原宏明