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2021.03.01

2020年のパスポート新デザインに起用された北斎の赤富士・黒富士の謎に迫る!

この記事を書いた人

皆さんは、2020年3月から、日本のパスポートのデザインが変わるのをご存じでしょうか? そうです、日本が世界に誇るアーティスト、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい・1760-1849)の代表作「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」のシリーズの中から24図が選ばれ、出入国の際にスタンプを押す査証欄のページの地の部分に印刷されることが決定しました。

海外でも「Great Wave」の呼称で親しまれている名作「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」をはじめ、誰もが一度は見たことがあるであろう北斎の描く富士山に、自分の旅の思い出を重ねていけるなんて素敵ですね。発行が今から待ち遠しいです。さて、今回はそんな話題の「冨嶽三十六景」の中から、「Great Wave」に並ぶ「冨嶽三十六景」の代表作である「赤富士」「黒富士」の2作品について取り上げたいと思います。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう」太田記念美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう」太田記念美術館
次期パスポートのデザインに採用された1図。同館にて開催の「没後170年記念 北斎 —富士への道」展(後期:5/3-26)にて展示中。

北斎の富士山は青かった

北斎70代前半の一大制作「冨嶽三十六景」は、当初「藍摺(あいずり)」と呼ばれる、藍色のモノトーンで表現した浮世絵版画のシリーズ(揃い物)として企画されていました。そのことは「冨嶽三十六景」の広告記事で予告されています。当時「藍摺」の作品は大変人気がありました。

『稗史水滸伝』巻末の広告記事
版本の巻末に見える「冨嶽三十六景」の広告。「冨嶽三十六景 前北斎為一翁画 藍摺一枚 一枚ニ一景ズツ追々出版」とある。山東京山訳/歌川国芳画『稗史水滸伝(よみほんすいこでん)』五編下巻(筆者蔵)より。

この「藍摺」ブームには、二つの理由が挙げられます。一つは、海外から「ベロ藍」と呼ばれる鮮やかな発色の青(プルシャンブルー)の絵の具が日本に入ってきた流通・経済の要因。そしてもう一つが、天保の改革による奢侈禁止の風潮の中で、衣服や日用品に用いる素材や色に制限がかかり、庶民が茶や鼠、藍といった地味な色を、工夫をこらして楽しんでいたという社会的背景です。

しかし、さすがにトレンドカラーとはいえ、延々と青い富士山の絵ばかりが並んでは、消費者も退屈だったかもしれません。「作品の輪郭線を藍色で摺る」という「冨嶽三十六景」の基本方針は36図の出版を通じて変わりませんでしたが、色調については、どうも途中で路線変更をしたらしく(36図のリリース順については諸説あり、さらに追加された10図は輪郭線が墨で摺られています。)、36図を見渡すと、必ずしも予告されていた「藍摺」には該当しない、色彩の賑やかな作品が多数あります。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」(部分図) 太田記念美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」(部分図) 太田記念美術館
通常の浮世絵版画では墨(黒)で摺る輪郭線(上図では山の稜線や山腹の点描)を、「冨嶽三十六景」では藍色で摺っている。

日本人の心象の富士「赤富士」と「黒富士」

全図「藍摺」ではなくなったものの、やはり「冨嶽三十六景」の作品には、そこかしこで藍色が印象的に使用されています。そんな中、当初の青の世界観を堂々と裏切っているのが、「赤富士」と「黒富士」の二作品。「赤富士」「黒富士」は通称で、正式な作品名は「凱風快晴(がいふうかいせい)」と「山下白雨(さんかはくう)」です。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」太田記念美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」太田記念美術館

葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」太田記念美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」太田記念美術館

清涼感あふれる藍の世界とはうってかわって、強烈な色彩が量感をもって迫ってくる「赤富士」と「黒富士」。現代の私たちは、学生時代の教科書から街中のポスターに至るまで、余りにあの赤い富士山を見慣れてしまっていますが、当時「冨嶽三十六景」が新商品として店頭に並んだときは、富士山が真っ赤だったり真っ黒だったり、江戸っ子たちには、なかなかセンセーショナルであったと思います。

さまざまな場所から見た富士山を描いた「冨嶽三十六景」全46図中で、「凱風快晴」「山下白雨」は作品名に地名が入っていない3図のうちの2図(もう1図は富士登山の様子を描いた「諸人登山」)にあたり、シリーズの中で特別な位置付けにあったと考えて良い作品です。

そもそも北斎は、作品に地名を入れていても、実際に現地で見える富士山の姿を忠実に描くことを主旨としていませんが、殊この「赤富士」「黒富士」の2図については、特定の場所から見た富士山というよりも、概念や象徴としての富士山と考えた方が良いでしょう。言うなれば、日本人の心象風景を北斎は描いたのです。

納涼パワースポット、夏といえば富士!

さてでは、もう少し赤/黒の富士山を見ていきましょう。「凱風快晴(赤富士)」の「凱風」とは、南風のこと。「凱」にはやわらぐの意味があり、そよ風を指しています。つまりイメージとしては薫風の候、さわやかな初夏の頃の富士山です。(晩夏から初秋にかけての早朝、太陽光で富士山の山肌が赤く見える現象に取材したものとする説もあります。)

そして「山下白雨(黒富士)」の「白雨」とは、夕立、あるいはにわか雨のことで、「白雨」は夏の季語。「あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下に聞く」という学校唱歌「富士の山」の歌詞は、おそらくこの北斎の「黒富士」のイメージをベースにしているでしょう。

葛飾北斎「冨嶽三十六景」赤富士と黒富士の比較
「凱風快晴(赤富士)」と「山下白雨(黒富士)」。タイトルに地名が入っておらず、山のシルエットと画面構図も近似。「冨嶽三十六景」全46図の中でも特異な存在となっている。

つまり、北斎はこの双子のような赤/黒の富士山を、どちらも夏の姿として描いています。今日、富士山と言えば、冠雪した頭の白い姿(実際に一年の半分以上、冠雪しています)が定番のように思いますが、北斎としては雪のない(残雪は確認できますが)期間の富士山を画面いっぱいにドーンと大きく描きたかったようです。

当時、富士山は霊峰として信仰を集め、「富士講」といって庶民の間で富士登山が流行していました。北斎もきっと若い頃に富士山を目指したことでしょう。そうしたことを踏まえると、登る対象としての富士山は、たしかに夏がベストシーズン。(真夏の富士山頂の気温は、晴天時でも最高10度くらい。)当時の江戸っ子には「富士山と言えば、さわやかな夏!」だったのかも知れません。

個人的には、46図もあるなら、赤/黒だけでなく、雪化粧した真っ白な「白富士」があっても良かったのではないかと思うのですが(雪晴れの小石川から遠くの富士山を眺める「礫川雪の旦」という作品はあります)、きっとなにか北斎や版元側で、意図するところがあったのでしょう。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州三坂水面」太田記念美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州三坂水面」太田記念美術館
緑が生い茂る夏の河口湖の風景。ただし、湖面に反転して(!)映り込んだ富士山は冠雪した冬の姿。かなり天邪鬼な北斎。

星に願いを。北斎は占い男子だったかも!?

と、ここで僭越ながら筆者の推測を少々。中国古来の占いである「八卦」(「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の「八卦」)の思想では、8つの卦のうち、「巽(=風)」と「震(=雷)」の2つが青色と結びつけられています。

八卦の相対表
色や属性は、さまざまな考え方や組み合わせがあるため、ここに提示しているのはあくまで一例。

当初「藍摺」の構想、つまり青がテーマであった「富嶽三十六景」のシリーズにおいて、北斎は青色と関連する八卦の「巽(=風)」と「震(=雷)」を、シリーズ中の双璧として、富士山で描こうとしたのではないでしょうか。そこから「凱風」「白雨」という気象のキーワードが生まれてきた、と筆者は推察します。浮世絵版画の制作過程では、絵師が最初に描く版下絵の段階では、色彩については暫定でしかありません。もしかしたら、最初は「凱風快晴」も「山下白雨」も、北斎は真っ青な富士山を想定して下絵を描いていたのでは……。

北斗七星を信仰していた北斎の作品には、ときおり天文学や占いへの関心もうかがえます。晩年の作品の落款(サイン)部分には、富士山と八卦の記号(「兌」あるいは「巽」)を組み合わせたような判子も。陰陽道や五行思想に明るい方が北斎の「富嶽三十六景」を観れば、赤/黒富士に隠された裏テーマが見つかるのでは、などと考えています。

「赤富士」と「黒富士」は、風神さんと雷神さん?

さて、素人の空想はそこそこにして。この「赤富士」と「黒富士」について、興味深い見解を発表している浮世絵研究者がいますので、ご紹介しましょう。
國學院大学の藤澤紫教授は、この「赤富士」「黒富士」が「北斎流の風神雷神の見立て」ではないかとおっしゃいます。なるほど、南風を受けて赤く輝く富士山に風神の姿を、雷雲の上にそびえる真っ黒な富士山に雷神の姿を重ねているというわけです。

風神雷神説の根拠として、藤澤先生は、北斎が30代の一時期に「俵屋宗理」という名前で活動していたことを挙げています。日本美術が好きな方なら、ピンときたかも知れません。そうです、建仁寺の国宝「風神雷神図屏風」の作者、俵屋宗達(生没年不詳)。俵屋宗理を名乗っていた時期の北斎の画風は、勝川派や歌川派といった浮世絵のいずれの流派の画風とも異なり、なんらかのかたちで、俵屋宗達の流れを汲む琳派の影響を受けていたことが考えられます。

宗達は京都の人ですが、その系譜に連なる尾形光琳・乾山の兄弟は、それぞれ江戸に滞在している期間があり、そこで「江戸琳派」の土壌が形成されました。そして江戸琳派の祖であり、北斎と同世代の酒井抱一(1761-1828)が、光琳の百年忌を機に、展覧会や『光琳百図』といった出版物を通じて、光琳の作品を広く世に紹介したのです。このような動向に、北斎が無関心であった筈がありません。

宗達の緑の風神さんと白い雷神さんを、北斎が実際に見ていたかはわかりませんが、風神雷神は、琳派の絵師たちにとって、もはや避けて通れない画題。光琳も抱一も、風神雷神図を描いています。森羅万象を描いた北斎が、琳派からの学習を通じて、風神雷神というモチーフに対して興味を持っていたとしても、なんら不思議はありません。宗達が描いたひょうきんな表情の風神雷神とはだいぶ趣は異なりますが、北斎も『北斎漫画』の中で、袋を持った風神と太鼓を背負った雷神の姿を描いています。

藤澤先生は、この風神雷神説について、以下のようにお話しくださいました。

多くの日本美術の作品には、制作者から鑑賞者へ向けたさまざまなメッセージが隠されています。私は、そうした謎解きを、ぜひ多くの方に楽しんでいただきたいと思っています。
北斎が「冨嶽三十六景」を描いたのは70歳を過ぎてから。現代の私たちは、彼がその後も90歳まで生きることを知っていますが、当時の日本人の平均寿命を考えれば、おそらく本人も周りの人々も、「冨嶽三十六景」こそが彼の70年の人生の集大成になるだろうと思っていたはずです。北斎が、それまでの学習や経験の全てを注ぎ込んだこのシリーズには、まだまだたくさんの仕掛けや彼のエスプリを読みとることができると思います。
そして、日本国内はもちろん、海外からの文化や情報を積極的に摂取していた北斎のマインドは、常に海の向こうにまで開かれていたと思います。そうであればこそ、「神奈川沖浪裏」に代表される「冨嶽三十六景」は、国境を越えて、世界中の人々の心に届くのではないでしょうか。

北斎の「冨嶽三十六景」の中でも別格の存在である「赤富士」と「黒富士」。先生がおっしゃるように、いろいろな楽しみ方があると思います。皆さんは、この二つの富士山の姿を、どのように解釈しますか?

「冨嶽三十六景」だけじゃない! 富士を究めた北斎の展覧会が原宿で開催中

さて、今回ご紹介した「冨嶽三十六景」だけでなく、北斎は長い生涯を通じて、何度も富士の姿を描きました。そんな北斎の、霊峰への飽くなき挑戦を識ることのできる展覧会が、現在、東京・原宿の太田記念美術館にて開催中です。残念ながら「黒富士」の展示期間は終了してしまっていますが、現在「赤富士」が展示中。会場で、赤/黒の富士山誕生のヒントを、ぜひ見つけてくださいね。

太田記念美術館「没後170年 北斎ー富士への道」展覧会チラシ
太田記念美術館「没後170年 北斎 —富士への道」展覧会チラシ

◆没後170年記念 北斎 —富士への道
会 期 2019年4月4日〜5月26日(前期:4月4日〜29日 後期:5月3日〜26日)※前後期で全点展示替え
会 場 太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10)
休館日 4月8日、15日、22日、30日、5月1日、2日、7日、13日、20日
時 間 10:30〜17:30(入館は閉館30分前まで)

公式サイト

取材協力/藤澤紫、太田記念美術館

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書いた人

東京都出身、亥年のおうし座。絵の描けない芸大卒。浮世絵の版元、日本料理屋、骨董商、ゴールデン街のバー、美術館、ウェブマガジン編集部、ギャラリーカフェ……と職を転々としながら、性別まで転換しちゃった浮世の根無し草。米も麦も液体で摂る派。好きな言葉は「士魂商才」「酔生夢死」。結構ひきずる一途な両刀。