Craftsmanship

2024.07.19

小林一三が見いだした天才漆工・三砂良哉の技が光る『漆芸礼讃』逸翁美術館で開催

大正から昭和にかけて活躍した漆芸家の三砂良哉(みさごりょうさい)は、多くの作品を制作しましたが、世にその名を知られることはありませんでした。優美で高い技術を誇る作品の数々を、初めて大々的に取り上げる展覧会が開催されます。会場となる逸翁(いつおう)美術館は、阪急電鉄や宝塚歌劇を創設した実業家・小林一三(こばやしいちぞう)が収集した膨大な美術工芸品を所蔵していることで知られています。良哉の良き理解者だった一三の思いが込められた空間で、孤高の天才の作品を見るまたとない機会です。

日本画から漆芸の道へ進んだ三砂良哉

良哉は明治20年、西宮で代々酒造業を生業としていた三砂屋に、父・文三郎、母ルイの元に長男として生まれました。本名は良太郎、兄弟は5人いたそうです。実家の三砂屋は良哉誕生の前後頃に廃業。明治32年、大阪市北区金屋町に移り住むことになります。はじめは画家を目指したようで、住吉派の帝室技芸員だった日本画家・守住貫魚(もりずみつらな)に私淑しました。貫魚没後は、貫魚の娘である周魚(ちかな)に日本画を学んだと言われています。明治34年、14歳の頃に、蒔絵師の藤原眞月の門に入り、以後は漆芸一筋の生活を送るようになりました。ただ当時の作品や資料が残されていないため、絵と漆の師匠が誰なのかが、判然としない漆工ということになっています。

小林一三の肝いりで阪急百貨店で単独展を開催

一三と良哉がいつ出会ったのか、明治42年頃には知遇を得ていたことが、近年の研究で明らかになりました。昭和4年(1929)には、一三の肝いりで阪急百貨店内に発足した「阪急工美会」の会員になります。同15年、紀元2600年奉祝大阪市美術展覧会や、同17年に第2回大阪市美術展覧会に出品し受賞するなどしていましたが、良哉による公の展覧会への出品のうち判明しているのはこれが最後となっています。

戦時中や戦後の混乱もあったと思われ、ようやく阪急工美会の活動が再開されたのは、昭和25年になってからでした。復興第一回美術工芸品展覧会が阪急百貨店6階で開催され、良哉も作品を出品しています。同27年9月には阪急百貨店にて「三砂良哉氏作漆芸鑑賞会」が開催され、『良哉漆芸作品集』が刊行されました。良哉の単独展はこれが最初で最後のことだったそうです。

黒地石蕗蒔絵台付盆

この作品は、阪急工美会創立二五周年記念展の出品作です。黒地に色粉を蒔いた後、器面全体に石蕗(つわぶき)の葉を大きく高蒔絵(たかまきえ)※1で入れていて、色鮮やかな葉の緑が印象的です。重なり合う石蕗の葉は立体感が出るように明るさを変えているのがわかります。複数の色漆の粉を蒔いて葉の複雑な色を表現し、葉の葉脈は肉もちのある高蒔絵の技を駆使していて、まるで絵画のよう。石蕗の葉の艶のある様子が上手く表現された作品です。

※1:蒔絵の技法の1つ。模様の部分を肉上げし、その上に蒔絵をほどこしたもの。

異国情緒と超絶技巧のコラボレーション

良哉はたびたび一三の邸宅があった大阪府池田市を訪れて、一三好みの物を多く手がけました。茶道に使う茶器は、ユニークな感性やデザイン力に満ちあふれています。一三が外遊に出かけた際に購入したスペイン製の西洋扇子の内、壊れた親骨部分を使って良哉が香合(こうごう)※2として生まれ変わらせた作品もあります。11点手掛けたうち、現存しているのは5点のみですが、残されている作品を見る限り、内部の意匠はそれぞれ大きく異なるため、総て異なる意匠で作ったと想像できます。

スペイン扇子山水文蒔絵香合

この作品の内部は、金銀の箔を細長い形状に切って貼った野毛(のげ)・切箔(きりはく)や砂子(すなご)などを、手前から奥に向けて、徐々に大きさを変えて貼ったり蒔いたりしています。この手法を使うことで近景から遠景に移り変わっていく様子が表現されています。 また本作のみ上下共に貝の親骨を使用しているのも、趣があります。

※2:炭手前をする時に使う香を入れておく容器のこと。

スペイン扇子山水文蒔絵香合(内部)

宝塚歌劇のレビュー連想する棗

一三は数々の事業を行いましたが、やはり宝塚歌劇団を創設したことが一番知られているかもしれません。こちらの作品は、棗(なつめ)※3の合口部分に、五線譜と音符を金の平蒔絵(ひらまきえ)※4で施しています。均等に入れられた細い線は、胴をぐるりと一周していて、良哉の高い技術がうかがえます。この雛祭の楽譜は、一三が制作した歌劇『雛祭』の劇中歌「色づくし」から採られているそう。一三は制作にあたって良哉に指示書を残していて、趣味の制作にも妥協しない様子が垣間見えて興味深いです。

※3:茶道の薄茶用の抹茶を入れる器。
※4:漆で描いた図柄や文様の上に金属粉を蒔き、透明漆を塗って磨いて仕上げたもの。

黒地歌劇雛祭り楽譜蒔絵棗 逸翁好

尾形光琳に触発されて誕生した茶器

良哉が尾形光琳※5の国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」から触発され、群生する杜若(かきつばた)を独自の表現で茶器の器面を広く使って蒔絵にした作品もあります。杜若の花や蕾(つぼみ)には、鮑貝(あわびがい)の中でも発色の良い部分を用いて螺鈿(らでん)※6で表し、真っ直ぐに天に向かって立ち上がるような葉は金の薄肉高蒔絵と、ごく薄い金属の板で表現しています。金属であることを感じさせない、古色のついたこの板を良哉は好んで自身の作品で用いていました。「法橋光琳」の署名も良哉が真似て入れたようです。

※5:江戸中期の画家・工芸意匠家。独自の造形美を展開して、琳派を確立した。
※6:貝の殻の内側の、真珠色の光を放つ部分を薄く切って、漆器の表面にはめ込む技法。

黒地光琳杜若蒔絵茶器

良哉は昭和50年12月27日、西宮市内にあった親族宅で亡くなります。享年88。生涯独身で弟子も取らなかったと言われ、一代限りの塗師としてその生涯を終えたのでした。三砂良哉の天才的な技術に触れて、漆芸一筋の人生に思いを馳せてはいかがでしょうか。

基本情報

漆芸礼讃-漆工・三砂良哉-

会期:2024年9月21日(土)~11月24日(日) 
休館日:毎週月曜日(ただし9/23・10/14・11/4は閉館、9/24・10/15・11/5は休館)
料金:一般1000円、大・高生800円 中学生以下無料
会場:阪急文化財団 逸翁美術館(阪急電鉄宝塚本線「池田駅」から北へ徒歩約10分)
公式ウェブサイトhttps://www.hankyu-bunka.or.jp/itsuo-museum/

Share

瓦谷登貴子

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。
おすすめの記事

金細工の魔術師「ブチェラッティ」が守り続けるもの。伝統を守るアトリエに息づく究極の職人技

PR 和樂web編集部

クイズ!「わび」と「サビ」の違いって何?逸翁美術館館長に聞いてみた

米田 茉衣子

7mにも及ぶ大作!尾形光琳の『燕子花図屏風』名作に隠された秘密に迫る

和樂web編集部

「付属品とたのしむ茶道具」泉屋博古館

和樂web編集部

人気記事ランキング

最新号紹介

12,1月号2024.11.01発売

愛しの「美仏」大解剖!

※和樂本誌ならびに和樂webに関するお問い合わせはこちら
※小学館が雑誌『和樂』およびWEBサイト『和樂web』にて運営しているInstagramの公式アカウントは「@warakumagazine」のみになります。
和樂webのロゴや名称、公式アカウントの投稿を無断使用しプレゼント企画などを行っている類似アカウントがございますが、弊社とは一切関係ないのでご注意ください。
類似アカウントから不審なDM(プレゼント当選告知)などを受け取った際は、記載されたURLにはアクセスせずDM自体を削除していただくようお願いいたします。
また被害防止のため、同アカウントのブロックをお願いいたします。

関連メディア