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2020.06.21

謎の美女、小少将とは何者?戦国人物解説!朝倉家を滅亡に導いた?義景に溺愛された?

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玄宗皇帝の寵姫・楊貴妃のように、美しさのあまり国政を揺るがす「傾国の美女」がたびたび歴史上に登場します。“小京都”と呼ばれる美しい城下町を築いた朝倉家滅亡の遠因も、一人の美女だったのではないかと言われます。その女性の呼び名は「小少将(こしょうしょう)」。朝倉家最後の当主・朝倉義景の妻で、美しさのあまり義景が政務を放棄してしまうほどだったそう。謎の多い傾国の美女・小少将の生涯を探っていきましょう。

小少将のプロフィール

この時代の女性はプロフィールがはっきりしないことが多く、小少将も生年や名前はわかっていません。1568(永禄11)年以降に15才前後で嫁いだとされているため、1550年頃の生まれだと推測できます。父は朝倉氏の家臣だった斎藤兵部少輔(さいとうひょうぶしょうゆう)だと伝わります。

小少将という呼び名も本名ではありません。「少将」や、一乗谷にある朝倉邸の諏訪館に住んでいたことから「諏訪殿」と呼ばれることもあります。

失意の義景に嫁ぐ

義景には、鞍谷(くらたに)氏の娘・小宰相(こざいしょう)との間に阿君丸(くまぎみまる)という跡継ぎがいました。しかし、母の小宰相は出産後に病で死亡、阿君丸も幼くしてこの世を去ってしまいました。

朝倉家では、阿君丸の乳母の座を狙った毒殺事件や、一族内での席次争いがあったとも言われているため、阿君丸の死には不審な点が残ります。義景はたった一人の息子を失った悲しみと、朝倉家が自分の代で断絶するのではという不安からひどく落ち込み、次第に政務を放棄するようになりました。妻子の死のほか、家臣の離反など、このころの義景には辛いことが続いており、落ち込むのも無理はなかったと言えるでしょう。

そこで新たに迎える女性として白羽の矢を立てられたのが、若く美しい小少将。小少将は言葉も巧みだったそうで、落ち込む義景を励まし、世継ぎを生むことを期待されました。

妻にのめり込み酒池肉林に溺れる

周囲の思惑通り、義景は美しい妻・小少将にのめり込み、次第に活力を取り戻していきます。ところが寵愛するあまり、莫大な資金を投じて小少将の住まい「諏訪館」を建設したほか、贅沢好きの小少将の言うがままに華美な生活を送っていたと言われています。

一乗谷朝倉氏遺跡

昼も夜も華やかな宴会が催され、その様子はまさに酒池肉林。これでは結局、政務にしっかり向き合うことはできなかったのではないでしょうか。

待望の嫡男誕生!寵愛が深まる小少将

小少将は1570(元亀元)年、待望の男の子・愛王丸(あいおうまる)を出産します。その名前からして、いかに小少将の子が義景から溺愛されていたか想像がつくでしょう。義景は、大事な跡継ぎを生んだ小少将をますます寵愛するようになりました。

朝倉家は足利将軍家からたびたび上洛を求められていましたが、義景はそれを全て無視。その後勃発した「姉川の戦い(1570年)」でも、総大将として姿を見せることはありませんでした。これは小少将と一緒にいたかったからではないか、とまで言われることがあります。

また、小少将は義景の寵愛をいいことに政治にも口を挟み、義景はその言いなりになったため、これが朝倉家の滅亡を早めたとする説も見られます。贅沢三昧の生活を送り、政治にまで口を挟む……。小少将は調子に乗りすぎてしまった印象を受けますが、家臣の娘が主君に嫁ぎ、しかも男の子まで生んだのですから、無理もないことかもしれません。

朝倉氏の滅亡

「姉川の戦い」の後、武田信玄の死、室町幕府の滅亡など、戦国の世は大きな転換期を迎えます。朝倉氏も例に漏れず、小少将との睦まじい生活は終わりに近づきます。義景は「一乗谷城の戦い(1573年)」で織田信長勢に敗北。いとこだった朝倉景鏡(あさくら かげあきら)のすすめで賢松寺に逃れていましたが、景鏡が裏切り信長と通じます。賢松寺を攻められた義景は自刃。享年41でした。

小少将と愛王丸は、信長の命を受けた丹羽長秀(にわ ながひで)によって殺害され、朝倉家は滅亡。愛王丸はわずか4才でした。ただし、小少将と愛王丸は落ち延びたとの説もあり、どこかでひっそりと暮らしていたのかもしれません。

多くを語られない女性たち

たとえば源頼朝の妻・北条政子のように家を盛り立てる女性もいれば、小少将のようにお家滅亡の遠因をつくってしまう女性もいました。もちろん、妻たちの生活全てが史実に記されたわけではないため、小少将が朝倉氏を滅亡に導いてしまったとは言い切れません。むしろ、ありとあらゆる手段を使って、なんとか義景を元気にさせようと一生懸命だったのかもしれません。また、朝倉家滅亡の原因を小少将に向けようとする意図もあるのかもしれません。

表舞台に立たない女性は、生まれた年や父母すら記録に残っていないことも多いもの。同じ女性として、少しでも彼女たちの生涯をすくい上げていきたいと思っています。

参考:『朝倉始末記』,『城と女 上巻』楠戸義昭著

書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。