起源はインド?ライオンが生息しない日本でなぜ獅子舞は広まったのか

起源はインド?ライオンが生息しない日本でなぜ獅子舞は広まったのか

獅子舞は日本で最も数の多い伝統芸能とされており、1999年の調査によれば約8000もの地域で実施されています。厄払いや豊作祈願の目的で祭りなどに取り入れられ、人々の暮らしに浸透してきたのです。しかし、獅子舞がここまで日本人に身近な存在にも関わらず、そのモチーフの由来であるライオンは日本に生息していません。それでも獅子舞が日本に広まり身近になった背景には、歴史上のある重要な出来事が関わっていました。獅子の起源がライオンであることを再確認するとともに、獅子舞が日本に広まるまでの歴史を辿ってみましょう。

獅子舞はライオンに似ている

ライオンの和名は獅子ですが、獅子舞の獅子はライオンを元にした伝説上の生き物です。両者を比較してみると類似点が見えてきます。獅子は頭部から毛が生えており、眉毛やこめかみ辺りに渦巻き模様が付いているものもあるのです。これはライオンのたてがみと類似していると言えるでしょう。また、獅子舞は厄を払うべく険しい表情や鋭い牙を持ち、激しい動作をしますが、これは百獣の王・ライオンの獰猛さと似ています。それでは、実際に獅子舞が日本に伝来した過程について見ていきましょう。

獅子舞の起源はインドの石柱にあり?

インドでは、アショーカの獅子柱頭デザインの切手がある。柱頭には4頭のインドライオンが背中合わせに並んでいる。

古代文明の発祥とともに、ライオンは王の権威付けとして実際の動物というよりも、強い霊力を持った霊獣として認識されてきました。日本に伝わってきた獅子舞のもととなったのは、諸説ありますがインドで仏教と強く結びついた獅子のようです。紀元前3世紀にインドのアショカ王が仏教を広めるために建設した石柱があります。その一部に、王の権威の象徴として、ライオンをモチーフにした獅子が彫られているのです。仏教において獅子は、仏の威厳を表すものだったと言えるでしょう。

※起源は諸説あり、もしかすると獅子舞の起源は古代オリエントまで遡れるかもしれません。

中国で仮面舞踊になった獅子

インドの獅子はシルクロードを経て中国に伝わり、舞いに取り入れられたと言われています。紀元前2世紀に、漢の武帝が宮殿でライオンを飼っていたという記録があり、その後中国の文献で多数獅子舞に関する記述が登場するのです。中国で獅子舞が定着したというのは間違いないでしょう。

仏教とともに日本に伝来 

日本最初の国立劇場である土舞台の跡

中国の獅子舞は朝鮮半島に伝えられ、それが日本にも伝わりました。612年に朝鮮半島の百済(くだら)の味摩之(みまじ)という人物が、今の奈良県に最初に伝えたとされています。ここで注目すべきは、朝鮮から日本に仏教が伝来したのと時期がほぼ同じだということです。インドのアショカ王が仏教の布教のため、獅子を彫った石柱を建設したことに触れましたが、日本でも仏教が全国に広まるのと同時に獅子舞が普及していきました。味摩之が伝えた獅子舞は、まず奈良の桜井寺(現在の旧豊浦寺跡)や日本最初の国立劇場とされる土舞台という場所で子供達に教えられたようです。当時日本を統治していた聖徳太子が芸能文化の発展のために行ったとも言われています。

日本の宗教史の裏側に獅子舞が登場

奈良から日本全国に獅子舞が広まったのには、日本の宗教史における幾つかの大きな出来事が関わっています。まずは、752年に行われた東大寺大仏の開眼供養です。東大寺の大仏制作には260万人もの人々が関わっており、建造費は現在のお金に換算すると4657億円が投入されたとも言われています。奈良時代の日本の人口は約450万人だったと言われており、人口の半数以上の人がこの東大寺大仏の制作に関わっていたことになるのです。大仏は9年かけてようやく完成。開眼供養には全国から1万人以上の参列者が来たという盛況ぶりでした。そこで、獅子が登場する仮面劇が大々的に披露されたため、それを見て感動した人々がまず全国各地に獅子を伝えたと考えられます。

その後、平安時代の律令制の下で、仏教界に新たな動きが生まれます。共同体の首長や豪族が私的所有地を持つようになったため、公的な日本古来の神祇信仰(じんぎしんこう)が行き詰まり、個人の新たな精神的支柱である仏教へのニーズが高まったのです。それに加え、僧は重税を逃れられたため、仏教を求める人が増えました。それに応えるべく遊行僧が現れ、全国各地で神宮寺の建立を勧めることで仏教を広めたようです。その際に歩きながらお経を読む「行道(ぎょうどう)」が行われ、そこで木製の獅子の頭部をかたどった獅子頭が使用されたため、芸能文化における獅子が広く認知されました。またこの時代は神仏習合により神社と寺院が接近したこともあり、鎌倉時代には伎楽の仮面劇に使うための獅子頭が神社に保管された記録も多数存在します。しかし、この伎楽における獅子は鎌倉時代以降に衰退してしまいました。

江戸時代、浮世絵に描かれた獅子(喜多川歌麿作)。出典:メトロポリタン美術館

室町時代以降には、今の獅子舞の原形となる芸能が生まれました。それが伊勢太神楽(いせだいかぐら)です。現世に失望した人々が来世の幸福を願い伊勢神宮を中心としたお伊勢参りを盛んに行いました。このお伊勢参りを広め、参拝者を接待したのが御師(おし・おんし)と呼ばれる人々です。御師は各地でお伊勢参りを広める際に、伊勢太神楽によって厄払いを行いました。その際に獅子舞を舞ったようです。江戸時代には世の中も落ち着き、現世利益や旅行を目的にお伊勢参りをする人が増加して、最盛期には年間400万人以上が参拝したという記録も残っています。お伊勢参りの広まりとともに、獅子舞も広まったと言えるでしょう。

またこれと同時に、御師に加えて神楽師という職業も生まれ、獅子頭を御神体に神輿を担ぎ全国各地に獅子舞を奉納する人々も現れました。さらに山伏が獅子舞を権現様と称して各家の土間で披露することもあったようです。御師や神楽師は西日本を中心に活動していたのに対して、山伏は主に東北で活動しました。これら一連の流れから、主に江戸時代以降に今の原型である獅子舞が成立して普及したと言えるでしょう。

このように、獅子舞は長い歴史を経て、仏教や神道とともに日本全国に広まりました。元をたどればインドのライオンに行き着くものの、日本でも長い歴史を経て固有の芸能文化として定着したとも言えます。この壮大な歴史があったからこそ、ライオンがいない日本でも獅子舞が普及したのです。この歴史を踏まえて獅子舞を見ることで新しい発見をしたり、壮大な歴史へのロマンを感じたりできるかもしれません。

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