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2020.07.28

あの光源氏にも落とせない女性がいた!『源氏物語』唯一、プラトニックラブの行方

この記事を書いた人

2020年4月4日から5月23日まで放映されたNHKドラマ「いいね!光源氏くん」。千葉雄大さん演じる光源氏がとても雅で、和歌を詠み上げるシーンなど平安時代の風雅をそのまま感じることができました。桐山漣さんの頭中将(とうのちゅうじょう)も烏帽子を被ったホスト姿が素敵でしたね。えすとえむさん原作のこのドラマが好評だったおかげで、オリジナルの『源氏物語』も改めて注目されています。

今更ですが、光源氏はイケメンで財力もあり、とても魅力的な男性です。

ところが『源氏物語』には、そんな光源氏の求婚を拒み続けた女性がいます。「槿(あさがお)の君」と呼ばれる彼女に用意されていたのは光源氏の正妻の座。にもかかわらず15年もの間、二人は文(ふみ/手紙のこと)のやりとりだけのプラトニックな関係を続けたのです。

ここでは光源氏と槿の君、一風変わった二人のエピソードをご紹介します。

槿の君って、どんな女性?

イラスト・るぶらんさん(イラストACより)

光源氏と15年もの長きに渡り、文のやりとりだけを続けた槿の君。一体、どんな女性だったのでしょうか?

槿の君の父は桃園式部卿の宮(ももぞのしきぶきょうのみや)。天皇である桐壺帝の弟です。つまり彼女は皇族のひとり。光源氏のいとこにあたる、正真正銘のお姫様です。

その身分の高さと知性的な美しさから、葵の上(光源氏の最初の妻)亡き後には光源氏の正妻になるのではないかと世間でうわさされるくらいでした。父の桃園式部卿の宮はかなり早くから光源氏との婚姻を彼女に勧めていたようです。

それでも槿の君はそれを拒みました。彼女がそこまで頑なな態度をとったのには、さまざまな理由があったのです。

光源氏と槿の君、エピソード1. 
第二帖「帚木」
~落とせなかった初恋の彼女~

イラスト・くろろさん(イラストACより)

『源氏物語』で最初に槿の君の名が出てくるのは第二帖「帚木(ははきぎ)」。

前半は有名な「雨夜の品定め」で、光源氏の良きライバル、頭中将らが今までに付き合った女性を品定めするお話です。現代風でいえば男子の恋バナでしょうか。この時、光源氏は17歳。積極的に参加するでもなくほぼ聞き役に回っています。

この後、方違え(かたたがえ/凶の方角を避けて自宅以外の場所に泊まること)のため光源氏は中流貴族である紀伊守の別宅で一夜を過ごす流れとなります。

それほど身分の高くない紀伊守の女房たちは、思いがけない光源氏の来訪に大はしゃぎ。もちろん直接顔を合わすことなどないのですが、
「あの光の君が来ておられるのですって!」
「きゃ~っ、案外、お近くのお部屋かも~!」
「なんてラッキーな私たち!」
光源氏の耳にもはっきりと声が届くほどの盛り上がりようです。
そんな中、
「光の君はね、先だって槿の君にお歌を贈られたそうよ」
「あのいとこの、お姫様の?お似合い~!」
「そうそう。風情のある朝顔の花を添えられて……」
ここで女房たちのうわさ話は途切れ、光源氏の
「う~ん、実際はちょっと違うんだけどな」
とのつぶやきだけで、槿の君は『源氏物語』からしばらく消えてしまいます。

光源氏のつぶやきの、「ちょっと違う」の詳細はここで明かされてはいないのですが、
「実は……思うように彼女を落とせなかったんだよな……」
という雰囲気が暗に漂うエピソードです。

槿の君は、17歳の光源氏の初恋の相手だったのかもしれません。

光源氏と槿の君、エピソード2. 
第九帖「葵」
~ゆれるこころ~

イラスト・ヒューさん(イラストACより)

次に槿の君が登場するのは第九帖「葵(あおい)」。先ほどのエピソードから約5年後、光源氏が22歳頃のお話です。

物語の中心になるのは京都・賀茂神社での葵祭。華やかな祭の行列に光源氏が正装して加わることとなり、見物の牛車がごったがえす様子が描かれます。

その中には光源氏の年上の恋人、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が乗る牛車もありました。彼女は天皇家に連なる高貴な身分の女性。奥ゆかしく教養に富み、宮人の誰もが一目置く存在です。

ところが、この日はお忍びでやってきたにもかかわらず、光源氏の正妻・葵の上と従者同士が派手に争うこととなってしまいます。遅れてやってきた葵の上の牛車を良い場所に割り込みさせようと、従者たちが祭の高揚感そのままに、六条の御息所の牛車を無理やり押しのけたのです。しかも牛車の柄が折れてしまうほどの乱暴ぶり。
「愛人VS正妻だ!」
祭見物に来ていた人々は、上流貴族のトラブルを面白がって大騒ぎ。六条御息所は世間の辱めを受けてしまいます。

その様子を遠く桟敷から見ていたのが槿の君です。
「なんということを……」
六条御息所とは同じ上流階級の者として近しい間柄。風流人としての彼女をよく知る槿の君は深く心を痛めます。

あの六条御息所が衆人の好奇の目にさらされている……光源氏と関係を持ってしまったばかりに。

いとこである光源氏の華やかなうわさは槿の君の耳にも届いています。それだけに、
「私は光の君をとりまく女人の一人にはならない」
そう考えるのが槿の君の、自然な心の動きだったのではないでしょうか。

ところが、そんな槿の君の目の前に、衣冠束帯、正装姿の光源氏がやってきます。葵祭の華やぐ行列の中でも自然とそちらに視線が吸い寄せられるほど、気高く整った面差し。槿の君の心は大きく揺れるのでした。

光源氏と槿の君、エピソード3. 
第十帖「賢木」
~危険なラブレター~

イラスト・ヒューさん(イラストACより)

次の帖「賢木(さかき)」では、光源氏の人生は一転、雲行きがずいぶんあやしくなってきます。

年上の恋人・六条御息所との決別、藤壺の宮(年若い義母)への禁断の恋心、そして父・桐壺院の逝去。中でも桐壺院の逝去は大きな痛手となり、光源氏はいきなり政治の中心から外されてしまいます。

宮中に居場所をなくした光源氏は失意のまま「雲林院」という寺院に籠り、僧たちと勤行に励むのですが、一方では親しい女性たちのことをつらつらと思い……まったく煩悩を手放せません。ついには賀茂神社の斎院となっている槿の君に文を贈ります。

斎院は賀茂神社の神に仕える身。穢れを避けて帝の祖先である神を祀り、子々孫々の繁栄を祈ることがお役目です。当然のことながら色恋沙汰はご法度。にもかかわらず、光源氏が贈ったのは、

「かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷(ゆふたすき)かな」

(神に仕えるあなたには言葉にするのも恐れ多いのでございますが、二人きりで過ごしたあの昔の秋をしみじみと思い出すこのごろです)

まるで一夜を共にしたことをほのめかせるような和歌。賀茂神社の神様のもとで艶めいたラブレターを受け取った槿の君はさぞ驚いたことでしょう。
それでも、

「そのかみやいかがはありし木綿襷心にかけてしのぶらむゆゑ」

(その昔、何があったとおっしゃるのでしょう?二人きりで過ごしたというその秋のことを、ぜひきちんとお聞かせ願いたいものです)

槿の君はピシャリと切り返しました。
「何を寝ぼけたことを」的な気持ちが上品な和歌に包まれ、棘がチラチラと見え隠れしています。鬱々と山寺に籠っていた光源氏にとって、この鋭さは爽快だったのではないでしょうか。
「やはり期待通りの反応が返ってきた」
そんな光源氏の声が聞こえてきそうな、槿の君との丁々発止な関係です。

もっともこの文のやり取りはどこからか世間のうわさに上り、
「神に仕える斎院に恋文を贈るとは。帝への反逆に等しい」
と、光源氏が須磨に落ちてゆく原因のひとつにもなってしまうのでした。

光源氏と槿の君、エピソード4. 
第二十帖「朝顔」①
~進展する?二人のカンケイ~

イラスト・十野七さん(イラストACより)

光源氏と槿の君、次に二人のエピソードが描かれるのは約10年後、光源氏32歳とされる頃。タイトルが示すとおり、槿の君と光源氏のやりとりが中心となる章です。平安時代は現在よりも寿命が短かったため、32歳はすでに中年期。華やかな恋の盛りは過ぎ、落ち着いた大人の恋愛を楽しむ時期となります。

光源氏と槿の君にとってこの章はとても大切なエピソードですので、ここからは少しばかり物語風にご紹介しますね。

一時、天皇への謀反を疑われ、辺境の須磨・明石での隠遁生活を余儀なくされた光源氏でしたが、この頃には再び政治の表舞台へと返り咲き、宮中で権勢を誇ります。

私事では六条院という豪邸を建設中。屋敷の東西南北それぞれの部屋に近しい女性を呼び寄せて一緒に暮らそうという、ハーレム生活が実現間近となっています。もちろんそれだけの財力もある、ということです。

……が、それでもまだ、光源氏の槿の君への思いは続いています。10年の年月を経ても文のやりとりを交わしつつ、変わらず彼女に思いを募らせているのです。

そんな光源氏に「槿の君が賀茂神社の斎院を解かれた」との朗報が。父の桃園式部卿宮が亡くなったため、10年ぶりに旧邸の桃園の宮に帰ってきたというのです。男主(おとこあるじ)のいない屋敷で、年老いた叔母である女五の宮とひっそり暮らしているとのこと。

光源氏がこのチャンスを見逃すはずはありません。
「これはプラトニックな関係から一歩踏み込める好機」
とばかり、早速、豪勢なお見舞いの品を桃園の宮に贈ります。

そして、
「寂しくお暮しになっておられる、老いた女五の宮さまをお慰め申し上げる」
との口実を立て、訪ねる算段をするのでした。

一方、同じく中年期を迎えた槿の君。父が亡くなり訪問者もまばらになった屋敷で、秋深い庭の風情を愛でながら一人穏やかに過ごせることに安堵しています。
婚期の10年を斎院として生きたため、意に添わぬ結婚を強いられることもなく、権力や嫉妬とは無縁のまま、静かに神に仕えた日々。人の世の営みを外側から眺めて過しただけに、その虚しさにも気付いてしまった年月でした。

「ありがたいことに私もすでに落ち着いた年齢。これからも変わらず穏やかに、一人で生きてゆきましょう。疎遠になっていた仏道に心を傾けて」
そう考えていたところへ、光源氏から豪華なお見舞いの品が届けられます。槿の君にとっては、思いもかけない爆弾のようなものでした。
「光の君……まだこのようなことを……」
今や光源氏は宮中でも並ぶ者のない時の人。少しでも彼と関われば、自分も世間の目にさらされることは必至です。
「困ったものです。表立ってこのように豪勢なお見舞いをされては、また世の人が根も葉もないことを言うに違いない」
浮ついたうわさが流れれば、またどれだけ多くの女人が不安を覚えることか……。そのような渦中に巻きこまれることを、槿の君は望んではいませんでした。

ただ……ふっと胸によぎるのは、年を経てより深みを増したであろう光源氏の気高い面差し。そして斎院として神に仕えていた時、不意に「雲林院」から届けられた艶めいたラブレター。
「八方塞がりでもやもやしている光の君に、喝を入れてさしあげましょう」
そう考え、あえて鋭い切り口の和歌を返したこと……。

揺り戻してくる光源氏への想いを押しとどめるように、槿の君は大きく息をつきました。

難儀なことに神職を解かれた今は、文のやりとりだけでは収まらない状況が出来上がっています。お互いの立場や年齢などお構いなしに、光源氏は意気揚々と屋敷にやって来ることでしょう。
「光の君には、当たり障りのないお礼の文だけは差し上げましょう。でも、決してお会いすることは……」
何かを決意したようなまなざしで、槿の君はキュッと口を結んだのでした。

光源氏と槿の君、エピソード5. 
第二十帖「朝顔」②
~いざ、直接対決!~

イラスト・十野七さん(イラストACより)

光源氏が桃園の宮を訪ねたのは、それから間もなくのことでした。寂れた屋敷で心細く暮らす女五の宮を丁寧に見舞った後、
「ご一緒に住んでおられる前の斎院にもご挨拶をしなくては失礼にあたるでしょう」
もっともらしい理由をつけて、本命である槿の君の所へ向かいます。

桃園の宮の縁側を東から西へ、槿の君の部屋へと渡ってゆく光源氏の目には、枯色をまとった秋の落ち着いた風景が好ましく映り、槿の君と重ね合わせてはより思いを募らせます。
「長い年月を経て、いよいよ彼女に会うことができる。どのような素晴らしい逢瀬となるだろう」
折々に贈った文には必ず、ピリリと機知に富んだ和歌を返してくれた槿の君。媚びることのない凛とした彼女とどのような一夜を過ごすことができるのか……。

夕闇迫る刻、薫物の香が風に流れる中、光源氏は期待に胸をふくらませて槿の君の部屋の前に立ちました。

ところが、出迎えてくれたのは宣旨(せんじ)。宣旨は高貴な女性の言葉を取り次ぐ女房で、姫君は直接話したりはしませんよ、という鉄壁のガードです。槿の君は御簾の奥深くにおり、かすかな気配が感じられるのみ。

これには光源氏も面喰いました。17歳からの付き合いのいとこに、ここまで警戒されるとは意外な展開。彼女が自分を嫌っているはずはない、との確信があった光源氏ですが、その自信が揺らいでしまいます。すでに盛り上がっていた気持ちの置き場もなく、
「これは……今さらまだ私を若輩扱いされるのですね。ここに至るまでどれほどの年月、苦労を重ねてきたことか……。せめて御簾の内へ入れていただけると信じておりましたが」
と、迫ります。
でも、槿の君が宣旨を通して返した答えは
「どれほどの年月も、まるではかない夢。夢から覚めた今もやはりこの世ははかないものと感じます。あなたがご苦労なさったことは、これから一人で静かに考えさせていただきましょう」
ゆるりとはぐらかすようなものでした。

対して、光源氏はこんな和歌を詠んでなおも槿の君に迫ります。

「人知れず神の許しを待ちし間にここらつれなき世を過ぐすかな」

(他の人に知られないようあなたを思いつつ、私は長い間、神の許しを待っていました。なんと辛い世を過ごしてきたことでしょう)

「今はもう斎院ではないのですから、神のお諫めもないはずです。せめて私が経験したさまざまな苦労の一端でも、御簾の内で親しく聞いていただけませんか」
政治の中心から外された時のこと、そしてその後、須磨、明石へと流浪の日々を送ったこと……苦しかった年月を聞いてほしいと光源氏は情に訴えます。そんなことを話せるのは君だけだ、と。

「なべて世のあはればかりを問ふからに誓ひしことと神やいさめむ」

(あなたがこの世で受けたご苦労を一通りお慰めするだけでも、誓いに背くと神に諫められることでしょう)

光源氏が詠んだ「神」を逆手にとって、槿の君はそう和歌で返します。どうしても御簾の内に入れるつもりはない、ということです。

「おやおや、神がどうしてそんなことをお咎めになりますか。この世の罪という罪は神の風がほら、このように吹き払ってくださってますよ」
「神」を間に立てつつ、あえて軽い調子で返した光源氏に、
「その神の風は果たして、恋を許すための禊(みそぎ)となったものでしょうか。許されることはないと私は思います」
やはり「神」を挟んできっぱりと返した槿の君。伝える宣旨ですら光源氏が気の毒になるほど冷たい言葉です。

そしてそれから先、槿の君は御簾の奥深く、ずっと沈黙してしまうのでした。

さすがの光源氏もお手上げ。直接アタックの第一回目は惨敗です。
「きまりの悪いものですね。恋にやつれたこの姿を見ていただきたかっただけなのに、それすら叶わないのですから」
女房たちにそんな捨て台詞を残し、桃園の宮を去るしかなかったのでした。

光源氏と槿の君、エピソード6. 
第二十帖「朝顔」③
~光源氏の思い~

イラスト・十野七さん(イラストACより)

不完全燃焼な恋心を抱いたまま屋敷に戻った光源氏は、眠れぬ夜を過ごします。まるで若者のように、
「何がいけなかったのだろうか。自分のことを嫌っているはずがないのだけれど」
槿の君を思いつつ自問自答を繰り返しているうちに、いつの間にか東の空がしらじらと明け始めました。朝霧に霞む庭に目をやると、秋草の中に咲き残った淡い色の朝顔の花が。光源氏は、その朝顔に心を託して和歌を詠み、槿の君に文を送りました。

「先ほどはあなたにきっぱりとあしらわれてしまい、体裁の悪い思いがいたしました。そんな私の後姿を、あなたがどんな気持ちで見ておられたのかと少々不愉快ではございますが……」

「見しをりの露忘られぬあさがほの花のさかりは過ぎやしぬらむ」

(過ぎし日……あの少年の日にお逢いしたあなたを、やはりずっと忘れることができません。朝顔の花の盛りはもう過ぎてしまったのでしょうか?)

恨み言を少しと、それから「花の盛りを過ぎた」と女心を試すような和歌に庭の朝顔を添えて、文は槿の君に届けられました。

桃園の宮では、光源氏からの文を見て女房たちが大騒ぎ。
「なんて大人びた粋な文。槿の宮さま、少しくらい光の君のお気持ちをわかって差し上げてください」
「本当に、こんなにも長い年月、槿の宮さまを思ってくださるなんて」
返事をしなくては、女房の誰かが光源氏の手引きをしそうな勢いです。

槿の君は少し考えてから、このような文を送りました。

「秋はてて霧の籬(まがき)にむすぼほれあるかなきかにうつるあさがほ」
(すでに秋は果て、霧の垣根で枯れてしまった朝顔が今の私でございます)

「あなたの和歌の、あまりにふさわしいたとえに涙があふれます」

一見、しおらしい風情の和歌なのですが、「はいはい、盛りが過ぎたどころか、もうね、すっかりしぼんで枯れてしまっているのですよ。まったく泣けてくるわ」と、ツッコミに対する棘がちらり。

上品な青鈍色の紙にしたためられた、そんな返歌を手にして、
「う~ん、やはりこんなタイプの女人、他にはいない……」
光源氏は新たなファイトを燃やしてしまうのでした。

それからもあきらめず、桃園の宮へと光源氏は通い続けます。まずは女五の宮を見舞い、それから夜も更けるまで槿の君の御簾の前で宣旨を介して語り合います。

晩秋から初冬へ、雪のちらつく夕べもあれば薄雪を月が照らす夜もあり、
「宣旨など通さず、腹立たしい、と一言でも直接お言葉をいただければ、あなたへの想いをあきらめられるものを」
と、思わず心情を吐露して返事を迫ることも。
それでも槿の君は淡々と受け流し、御簾の内に入れるどころか直接言葉さえかけません。

ただ、光源氏が桃園の宮を訪れた際には、来訪を促すように格子戸が何枚か開けたままにされており、まったく拒絶する風でもないのでした。

光源氏と槿の君、エピソード7. 
第二十帖「朝顔」④
~永遠に君を守る!~

イラスト・ちゃるさん(イラストACより)

「わがままかもしれないけれど、光の君とは季節の移り変わりのこと、世の無常なこと、そのような文のやりとりを親しく続けたい」
槿の君の対応の端々からは、彼女のこんな思いが見えてきます。男女の絆は婚姻関係があってこそ、と誰もが考えていた時代、現代の「友情」に近い感情はかなり異質だったに違いありません。

けれど次第に、光源氏はそんな彼女の心に気付いてゆきます。「朝顔」の帖ではまだ、最後まで恋心を捨てられずにいますが、次の帖、「少女(をとめ)」の冒頭では、一年後、喪の明けた槿の君にたくさんのお見舞いの品を贈り、
「槿の君には、これからも心をこめた言葉を差し上げる。無理をせず、彼女が心を許してくれるまでじっくり待つことにしよう」
そう考える光源氏の様子が描かれています。

少年の頃からずっと思いを募らせ、足繁く桃園の宮にも通い続けて、光源氏の出した答えは自分の思いを遂げることではなく、槿の君の心を守ることでした。

『源氏物語』の中で二人が主となる帖はここまでです。が、これ以降にも光源氏と槿の君が親しく文をやりとりしている様子が所々に描かれます。

時を経て、光源氏の一人娘は帝に嫁ぐこととなるのですが、その折、槿の君は彼女の嫁入り道具のひとつとして、自ら合わせた香や見事な筆跡の書を贈ることで光源氏を助けています。平安の都を舞台に、二人のプラトニックラブは変わることなくずっと続いてゆくのです。

スーパースター光源氏の恋愛遍歴を装いながら、紫式部が本当に描きたかったのは当時の女性の群像劇だったのではないでしょうか。昔も今も、架空の物語は自由に世界を創ることができます。当時、決して表には出すことのできなかった女性の本音、心情を「物語」としてあからさまに描くことによって、紫式部は男性優位な時代の流れに一石を投じたのかもしれません。

『源氏物語』は与謝野晶子、瀬戸内寂聴、荻原規子など、多くの人が現代語訳を世に送り出している作品です。全体の大筋は変わりませんが、原文の解釈には幅があり、それぞれに特徴のある現代語訳となっています。

今回、私も想像力を働かせて自分なりの解釈をした部分がありますので、そのあたりはご了承いただければありがたいです。

アイキャッチ画像:シカゴ美術館より

書いた人

和歌山県在住。自然豊かな環境で育ったため、今でもうっかりカエルやクモと会話してしまう日々。和歌山の自然と生き物、神社仏閣をこよなく愛しつつ、「蒼海」俳句会にて俳句修業中。(社)自分史活用協議会「自分史アドバイザー」。