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2020.08.18

念仏を唱えながら客をお出迎え?伝説の遊女「地獄太夫」絶世の美女の正体は?

この記事を書いた人

室町時代、地獄太夫という伝説の遊女がいました。地獄変相を描いた打ち掛けを羽織り、念仏を唱えながら客を迎えていたとか。何とも奇っ怪でミステリアスで気になります。絶世の美女だったという地獄太夫は、意外な人物と師弟関係を結んでいました。寝苦しい夜に最適な、不可思議な美女のお話をお届けします。

自ら地獄太夫と名乗る!

地獄太夫は元々は武家の娘で、幼名を乙星(おとぼし)と言いました。ある時山中で賊に襲われ、そのあまりの美しさゆえに、泉州堺(大阪府堺市)の遊里に売られてしまいます。
乙星はこのような辛い目にあうのは、前世で修行を怠った為だと考えて、自ら「地獄太夫」と名乗ります。そして美貌と風変わりな出で立ちから、人々の注目を集めるようになっていきました。

『新形三十六怪撰 地獄太夫悟道の図』より国立国会図書館デジタルコレクション

師匠は、一休禅師だった!

アニメ『一休さん』で馴染み深い一休禅師は、地獄太夫と出会っていたという話が、『一休関東咄』に記されています。

一休禅師が堺を訪れた時に、地獄太夫はその姿を見かけて歌を送ります。「山居せば深山の奥に住めよかしここは浮世のさかい近きに」(出家して俗世とは無縁のはずのあなたが、山の寺ではなく、こんな俗世極まる所で何をしているんですか)
すると一休禅師は、「一休が身をば身ほどに思わねば市も山家も同じ住処よ」(自分はこの身を何とも思わない。どこにいようと同じ事)と返します。

一休禅師はアニメのキャラクターのイメージが強いですが、実像は反骨心を持った孤高の僧だったようです。権威を拒否して、民衆の生活に入り込んで独自の布教活動をしました。女性と付き合い、肉も平気で食べるといった型破りの行動から奇人扱いされましたが、信者も数多く存在しました。

一休禅師は、どんな遊女だろうと興味を持って会いに出かけます。すると、その遊女が名高い地獄太夫だと知るのです。「聞きしより見て恐ろしき地獄かな」(実際に見ると、聞いていたよりもはるかに美しいし、大した女だ)と一休禅師が歌を送ると、「しにくるひとのおちざるはなし」と地獄太夫は返します。死んで来た人は皆地獄に落ちるという意味合いから、自分の所に来る人は皆が夢中になる。気をつけなさいよと牽制しているのです。地獄太夫が肝の据わった女性だというのが伝わる逸話です。この出会いがきっかけとなって、打ち解けた2人は師弟関係を結びます。

『栗原信充/画 肖像集一休宗純』より国立国会図書館デジタルコレクション

ある時には、地獄太夫が「出家して仏に仕えることができれば救いもあるものを」と嘆くと、一休禅師は「五尺の身体を売って衆生(しゅじょう)※の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」と言って慰めました。有名な狂歌「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」(正月の門松は、死へ向かう途中の目印のようなもの。おめでたいけれど、不吉なものでもある)は、一休禅師が地獄太夫に向けた歌だという説もあります。

地獄太夫が亡くなった時には、一休禅師が手厚く葬ったとも伝えられています。一休禅師は地獄太夫にとって人生の師でありました。

※衆生:人間をはじめ全ての生き物

江戸時代から現代まで絵画や漫画の題材に

地獄太夫と一休禅師のエピソードは、江戸時代の町人の間で人気を博します。多くの読本や歌舞伎で取り上げられ、絵画にも描かれました。現代でも漫画『鬼灯の冷徹』のストーリーの中に登場したり、若者ファッションのデザインに取り入れられたりしています。苦界に落ちながらも、凜とした佇まいで生き抜いた地獄太夫は、ダークヒロインとしてこれからも人々を魅了し続けるのでしょう。

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。