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Culture
2020.09.03

これぞ奇石の人!3年間投獄されても研究に没頭した石マニア、木内石亭

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石の上にも三年とはよく言ったもの。
木内石亭(きうち/きのうちせきてい)の人生は、これだけ愛されたら冷たい石も燃えるような熱を発するかもと思えてくる。
石亭は学者の家に生まれ、あの平賀源内とともに江戸で学んだ。そんな彼のあくなき石愛は、11歳のころ突如として開花したという。
罪に問われ投獄されても、石に没頭し続けた石亭が記した著書は、あのシーボルトも参考にするほど。愚直なほどに生涯を石に捧げた石亭とは、一体どのような人物だったのだろう。

弄石ブームに乗り石に興味を持つ

石亭は享保9(1725)年、近江国志賀郡下坂本村(現在の滋賀県大津市坂本)に生まれたのち、幼くして母の生家である木内家の養子に出された。木内家は膳所藩(ぜぜはん)の郷代官の家柄で、いわゆる家の手伝いをするのが普通の農家の子とは違った少年時代を過ごしたと考えられる。しかも近江南部は名石や奇石の産地で、珍しい石を収集する弄石(ろうせき)が流行していた。

こうした背景を考えると、石亭が石に傾倒していったのは、もはや明らか。目の前のものに好奇心を抱くのは幼い子どもなら普通のことだ。「なぜ、わざわざそんな研究を?」と思わず尋ねたくなる人は現代でもたくさんいるが、石亭と同じ流れでハマった人も少なからずいるのではないだろうか。

平賀源内にもなびかない?固い意思の持ち主

石亭は自著『雲根志(うんこんし)』のなかで「11歳のころ突然、石に興味を持った」と振り返っている。
先述したように石亭の家は郷代官。お金も時間も十分にあったのだろう。やがて身のまわりの石を集めるだけでは飽き足らず、本格的に石を研究したいと志し、物産学者の津島如蘭や医師の田村藍水のもとに弟子入りする。
石の勉強のため医師に弟子入り……。石亭が入門先を間違えたわけでも、そして別にダジャレでもない。田村は医師でありながら本草学という博物学の学者でもあり、早くから朝鮮人参の有効性に着目するなど見聞広い人物だった。ちなみに同じ頃、あの平賀源内も田村に弟子入りしていて、石亭と源内は活発に交流したと考えられている。

源内といえば「万能の天才」。師の田村も医師と学者の二足の草鞋を履く人物。しかし、そんな環境にあっても石亭の興味は石にしか向かなかった。
気の合う仲間と石展を開催するなど、ますます石について研究を進める石亭だったが、20歳の頃「貧吏の罪」に連座して3年の禁錮刑を受ける。具体的な内容は伝わっていないが、藩内の権力闘争に巻き込まれたのではとの説が有力だ。

投獄されて逆にラッキー?石の上にも3年の獄中研究

3年も牢屋の中で過ごさなければならないとなると常人には相当に堪える。しかし石亭にとって閉鎖された空間と豊富な時間は、もはや恩恵と言える代物だったのだろう。同じ罪で刑を受けた同僚が病などで亡くなっていく中、石亭は健康そのもの。石愛もとどまるどころか加速する一方だった。時が過ぎるのを忘れ、石を研究し続けたのである。
またこのとき石亭は結婚もしていて、彼の妻も一緒に獄中生活を送っていた。そしてこの妻がまた大の石好き。ふたり仲良く石のことを語らう様子が目に浮かぶ。
禁固刑ですら研究の糧にしてしまう石亭だが、当然良いことばかりではなかった。この事件にともない養子先つまり母の生家である木内家はあらためて養子を迎え、石亭は分家扱いとなる。いや、そんなことですら石亭なら「跡取りという重荷から解放され、ますます石のことを勉強できるぞ」と考えたかもしれない。

石とともに転がり続けて80年!日本の考古学の基盤を築く奇石の人となった石亭

石亭は文化5(1808)年に他界する。80余年の生涯の中で、諸国を渡り歩き収集した石は2000種以上。また集めた石を分析・分類し科学的に見つめる手法は、明治以降ヨーロッパから入ってくる考古学と共通している点も多く、当時の日本にとって非常に画期的なことだった。
そんな石亭の功績は、出島の三学者といわれたシーボルトにも認められた。彼の著書『日本』の執筆で参考とした石器や曲玉は、石亭の研究成果を用いている。

国立国会図書館デジタルコレクションより

筆者がまだ子どもだった頃、テレビ出演していた直木賞作家の石田衣良氏が「小説家になっていなかったら何をしていましたか」の質問に「小説は好きなので、仕事にできなくても書いていたと思いますよ」と即答していたことを思い出す。
石亭もきっとそうなのだろう。みずからの研究成果が後世の役に立つことは喜ぶべきことだが、本人は案外ひょうひょうとしているかもしれない。シーボルトに認められたといっても、二人が生きた時代を考えると実際に交流があったとは考えにくい。もし出会っていたとして、どんなやりとりがあったのか知りたかった気もするが。
素人の筆者には、石亭の研究の崇高さはわからない。しかし、彼の人生の充実ぶりはそれこそストーンと腑に落ちる。時代や環境に関係なく進みたい道を進む生き方がどういうものか、石亭は教えてくれる。

トップ画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション

書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。