現在、バッグは女性の外出に不可欠なものとなっています。そして、持ち主のライフスタイルやこだわりによって、バッグの大きさも中身も変わります。
最近は、アクセサリーのような小さなバッグが流行る一方、テレワークで荷物が増えて大きいバッグが必要になった方もいる模様。雑誌やインターネットサイトでは、「おしゃれ女子の、気になるバッグの中身、大公開!」というような、バッグとその中身を紹介する記事が人気を集めています。もしかしたら、バッグとその中身には、服以上に持ち主のおしゃれのセンスが出るものかもしれません。
ところで、日本の女性がバッグを持つようになったのは、洋装が入ってきた明治時代以降と言われています。ドレスを着た女性たちが持っているハンドバッグがおしゃれで使いやすそうだったことから、真似したのだとか。
それでは、それ以前、例えば江戸時代の女性は外出の際はどうしていたのか? 買い物をするのにお金は必要だし、外出先で化粧直しをしたくなることもあるはず。何も持たずに外出するわけにはいかないと思うけれど……。
そのヒントは、江戸時代の美女たちを描いた錦絵にありました。
江戸の女性は、手ぶらで外出!
江戸時代の女性たちが外出する際は、基本的に手ぶらでした。手鏡、櫛、懐紙といった化粧小物や財布は、着物の懐(ふところ)に入れたり帯の間に挟んだりしたほか、手ぬぐいなどのかさばるものは袂の中に入れていました。もし、それ以上何か持って行きたい時は小型の袋「巾着袋」を持ちます。さらに大きな物を持ちたい場合は風呂敷で包んでいたのです!
錦絵に描かれた女性たちをよく見ると、現代のようにピッタリとした衿元ではなく、半衿や襦袢もしっかり見えて、現代よりも着付けがゆったりしています。母親と娘のようですが、二人とも帯に懐紙を挟んでいます。
現代は着物をぴったり着付ける場合が多く、懐には茶道で使う小型の懐紙や袱紗(ふくさ)くらいしか入りません。明治以降、着物姿でもおしゃれと実用を兼ねたハンドバッグや巾着袋を持つことが基本となりましたが、江戸時代の女性に比べて、現代の女性は何かと持ち物が多くなっているような気がします。
おしゃれと実用を兼ねた小物「筥迫(はこせこ)」
「筥迫」とは、江戸時代に女性が懐中して用いた紙入れの一種で、「箱迫」「函迫」「筥狭子」などとも書きます。
「紙挟み」から筥迫へとモデルチェンジ
懐中する袋物として生まれた筥迫の原点は「紙挟み」であり、「懐中詠草入れ」でした。「詠草」とは和歌や俳句などの草案、下書きのこと。それらを入れるための「紙袱紗(かみふくさ)」をヒントにして「紙挟み」が作られました。「紙挟み」の多くは、革または織物を袱紗のように仕立てたものだったようです。
江戸後期、文政13(1830)年に刊行された喜多村信節(きたむら のぶよ)の随筆集『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』には、
武家の女の用ゆるハコセコと云(いう)もの昔の紙入れなり。其ころハ男女共に此形の紙入れなり。はこせこハ筥狭子なるべし。箱にてせまき意にや
と、「筥迫の祖先は紙入れであり、筥迫とは“箱の狭いもの”という意味から名付けられたもの」とあります。
筥迫は、わざと見せて持つのがルール
江戸時代中期頃から、筥迫は御殿女中や武家の女性が打掛を着た時、つまり正装の際には必ず持つべきものとされました。そして、懐から少しはみださせて、わざと見せて携帯するのがルールでした。
上野・寛永寺に花見にやってきた御殿女中は、揚帽子(あげぼうし)を被り、総柄の振袖姿が華やかです。胸元に筥迫があるのがわかりますか?
贅を尽くした華やかな筥迫は、持ち主の地位を示すアクセサリーでもあったのです! 外出に必要なものを入れるという実用を兼ねた筥迫は、現在のパーティバックのようなものだったのかもしれません。
筥迫ブームとその終焉
筥迫は、初めの頃は限られた女性たちのものでしたが、女性がきれいなもの、美しいものに魅了され、憧れるのはいつの時代も変わりありません。次第に真似して筥迫を使う女性が増え、美しい筥迫が女性たちの胸元を飾るようになりました。
筥迫の需要が増えると、江戸の町に筥迫専門の職人が生まれ、筥迫を扱う店も誕生します。
職人たちは腕を競い合い、さまざまな形やデザインの筥迫を作ることに情熱を燃やしました。得意先の多くは御殿女中たちであり、中には、話題の絵師にデザインを描かせる者もいたとか。また、花や鳥などの絵を部分ごとに切り離し、綿で立体感を出し、美しい布地で包んで厚紙や板に貼った押絵細工を施された、とても手の込んだ筥迫もありました。
しかし、需要が増えると、効率を優先するようになることもあります。筥迫職人も、次第に特定の客よりも需要の多い一般の客に受けるデザインの筥迫を作るようになります。技の粋を集めた筥迫の時代は、江戸末期までとなってしまったのです!
筥迫の構造はどうなっている?
筥迫本体の外側は、錦の艶やかな布が使ってあるもの、豪華な刺繍を施してあるものなど、とにかく華やかです。形も比較的大ぶりで、堅くできていました。
筥迫を開くと、懐紙が挟めるようになっていて、鏡がついているものも多かったようです。
筥迫が勝手に開かないように真ん中で留めているのが「胴締め」です。「胴締め」には紐がついていて、先に「落とし巾着」がぶら下がっています。「落とし巾着」の中には香袋やお守りが入っていて、これを帯にはさむことで筥迫が落ちないようするストッパーの役割があったとか。
そして、筥迫の上部、胴締めに飾り房が差し込まれています。飾り房と同じところに、「歩揺(ほよう)」と呼ばれる銀のびらびらのついた簪(かんざし)を飾りとして差し込むこともあります。「歩揺」は懐中から外に出して飾りとして見せます。
筥迫の中身、大公開!?
それでは、筥迫の中には何が入っていたのでしょうか?
筥迫には、お金、懐紙、鏡、櫛、白粉、紅板(口紅)、紅筆などの化粧道具、お守り、お香などを入れていたようですが、残念ながら、具体的に筥迫の中身を公開した図版は見つけられず……。筥迫はわざと見せても、中身はプライベートなもので、他人に見せるものではなかったからかもしれません。
画像は、筥迫ではなく「綴織化粧入(つづれおりけしょういれ)」という江戸時代の化粧ポーチと、その中身です。おそらく、筥迫にも、このような化粧道具を入れていたのではないかと思われます。
女性用の袋物「袂落とし」とは?
筥迫と前後して流行り始めた女性用の袋物に「袂落し(たもとおとし)」があります。
「袂落し」は、二つの小さな袋物を細い紐で結び、左右の袂に落として使います。袂が長い場合でも、紐を引っ張ることで簡単に取り出すことができるのです! 袋の中には、手ぬぐいや香料、小銭などを入れました。小銭入れは織物や染物、手ぬぐい入れは藤の枝や鯨のひげを極細に編んだものが多く作られました。
現代に残る、装飾品としての「筥迫」
明治時代に入ると、筥迫は庶民も身につけるようになりましたが、サイズが小さくなり、装飾的な要素だけが残りました。
現代では、筥迫は七五三の祝着や花嫁衣装の装身具として残っています。七五三の筥迫は、色づかいや模様が女の子らしくてかわいらしいものが多いようです。一方、花嫁用の筥迫は、懐剣や抱え帯、扇子などとセットになっていて、凛とした美しさがあります。
小さな箱形の入れ物に細工が施された筥迫には、日本人の美意識も感じられます。七五三の祝着や花嫁衣装の装身具に限定させておくのはもったいないような気がしますが、いかがでしょうか?
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▼主な参考文献
- 『世界大百科事典』 平凡社 「筥迫」の項目
- 『日本大百科全書』 小学館 「箱迫」の項目
- 『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』 谷田有史、村田孝子監修 三樹書房 2020年2月
- 『時代考証家のきもの指南 歴史・文化・伝統がわかる』 山田順子著 徳間書店 2019年11月