テレビアニメの「おじゃる丸」や雛人形のお内裏様が持っているイメージが強い「笏(しゃく)」。ところで、笏を持って歩く時、どのように持って歩くか、今からちょっとイメージしてみて下さい。
「・・・・・・(イメージ中)・・・・・・・・」
どうですか、イメージできましたか?
筆者も含め、あなたが今イメージした姿は、恐らく間違った姿です。笏を胸の正面に両手で持って歩く姿をイメージしたのではないでしょうか?
祭式作法として、笏を持って歩く時の正しい持ち方は、こちら!
両手を腰に添え、右手で笏を持ち歩くのが正解です。
この笏の持ち方などを含む、現代に通じる祭式作法の体系化が完成したのは、第42代文武天皇(683~707年)の大宝元年(701)、唐の制度にならって制定された「大宝律令」(律令の「律」は現在の刑法にあたり、「令」は現在の行政法や民法などにあたる)から。
笏の持ち方のように、古代から変わらず続く作法が残っているにもかかわらず、現代の私達が間違ったイメージを思い描いてしまうのは、なぜなのでしょうか。
その疑問に答えてくれたのが、「吉川八幡神社」(大阪府豊能郡)の第69代宮司・芳村一実(よしむらもとみ)さん。
多才な顔を持つ、旧祭式作法に関する専門家・吉川八幡神社の芳村宮司
「吉川八幡神社」は、お仕えする御神馬(ごしんめ)「いづめ様」(通称いづたん/4歳)が何度もニュースに取り上げられ話題になるほど、多くのファンを抱える神社です。公式Twitterアカウントのフォロワー数2万の人気を誇るいづたんは、なんと御自らスマホを駆使してツイートしており、「おかあたん、おどどん。ちゅーちたどどん」などキュートな呟きが大人気。芳村宮司は、「いづたん」のおかあたん(お母さん)としても知られています。最近では、おかたんと一緒にドライブスルーに降臨したツイートがバズって注目を集めました。
吉川八幡神社 御神馬いづめ公式
Tweets by yoshikawa8izume
※御神馬は、神様がお乗りになる馬で、神社に奉納された馬のこと。いづたんは神事に従事している御神馬であるため、神社を訪れて、勝手に触れたり、撮影したりすることは不可(要事前確認)。
宮司(神職)であり、「いづたん」のおかあたんであり、さらに音楽家である芳村さんは、吉田神道の文化や歴史を現代に伝え、御神楽(おかぐら)などの旧祭式作法に関する専門家でもあります。
そのため、吉川八幡神社の公式Twitterアカウント(吉川八幡神社)では、神饌や神事、祭式作法を分かりやすく教えてくれる呟きもあり、神社ファンを中心に人気を集めています。
では、本筋に戻って、なぜ誤ったイメージで笏を持って歩く姿が一般に定着してしまったのでしょうか?
日本人の笏(しゃく)の持ち方が聖徳太子イメージしすぎ問題
芳村宮司は、「何度もお札になった聖徳太子の絵の影響が大きいか思います」と説明します。
日本のお札に登場した回数が最も多い人物である聖徳太子。昭和5年(1930)に発行が始まった「乙百円券」に初めて採用されて以来、戦前に2回、戦後に5回の計7回お札に登場しました。
–なるほど、お札の威力は絶大ですね。長い年月、お札として日常で触れ合ってきたことで、我々日本人のイメージにお札の聖徳太子像が刷り込まれていき、そのまま聖徳太子の笏の持ち方のまま歩くイメージを勝手に抱くようになったのですね
芳村宮司:奈良時代であれば、笏の間違った持ち方は官位剥奪ものですよ(笑)。神職が笏を使用するにあたっては、「笏法」があり、「持笏」「懐笏」「置笏」「把笏」「正笏」の五法があります。聖徳太子の絵は、笏を両手で正しく体の中央に持つ「正笏(しょうしゃく)」の姿です。詔を出す時に「正笏」の姿はあり得ますが、その持ち方のまま歩くことはあり得ません
この聖徳太子の笏の持ち方の思い込みは、かなり強固なものとして一般に広まっていると考えられます。奈良県で開催されるイベントなどでは、奈良時代の天平装束を身に着けた人々が度々登場します。しかし、天平行列などで、聖徳太子の絵のイメージまま笏を持って歩いてしまう人が実は多いのだとか。
–では、神社業界の方々は心の中でツッコミを入れていた訳ですね?
芳村宮司:だと思います
実は、身近なところに奈良時代が残っている
芳村宮司:奈良時代と聞くと、遥か昔のことと思いがちですが、現代に受け継がれている神社の祭式作法なかには奈良時代が源流になっているものが実は多いのです。100年にも満たない奈良時代ですが、遣唐使により唐(大陸)の文化がもたらされた時代。イメージでいうと明治時代の文明開化のような(海外の文化を取り入れ)日本の文化が大きく発展した時代だったんですよ
–その奈良時代を神社で現代の我々も感じることができるのですね
芳村宮司:他にも笏つながりで、雛人形のお内裏様の冠を思い出してみて下さい。平安時代からの冠は現代の神社でも使用されていますが、その構造は奈良時代のものと同じです
奈良時代は薄い布製でした。4本の紐のうち、2本で頭頂部を覆って結び、後ろ2本で冠の上から髷(まげ)を結んで固定し、余った部分を後ろに長く垂れ下げました。
芳村宮司:後ろに垂れ下がった2枚の纓(えい)が今も残っており、その冠は伊勢神宮(三重県)の神職が今も被っています。
–なるほど。神社で執り行われる神事を見て、平安時代みたいだなと思ったことはあります。でも宮司様のお話を伺って、これからは、その源流である奈良時代に想いを馳せたいなと思いました
芳村宮司:ぜひ、神社で奈良時代を身近に感じてみて下さい。他にも神様に献上する食事である「神饌(しんせん)」もご覧になって頂けたら。現代に通じるものの源流が分かりますよ
–例えば、どのようなものがあるのですか?
芳村宮司:神饌にお赤飯で円錐状の山形のものがあるのが分かりますか?これはあるものの原形です
–あ! もしかして……
芳村宮司:そう、「おむすび」の原形です。山はご神体なので、「むすひ」の力を頂く神聖なものです。奈良時代創建の宇佐八幡宮(大分県)や手向山八幡宮(奈良県)では、今でも同じく円錐のむすひ(むすび)の神饌です
–おむすびの原形は結構大きいのですね! こうやってお話を伺うと確かに身近に感じます
芳村宮司:奈良時代が令和の時代でも残っています。それを伝統的な祭式作法から感じて頂けたら嬉しいです
古代からの伝統を身近に感じる活動
音楽家でもある芳村宮司は、関西の神社に奉職する神職、巫女、伶人らによる音楽ユニット「天地雅楽」の活動もおこなっています。演奏に用いられる雅楽器を様々な異国楽器等と組み合わせた演奏は、古代と現代の融合により、伝統文化をより身近に感じさせてくれます。
※本記事は、奈良県の冬季誘客イベント【大立山まつり2021 奈良ちとせ祝(ほ)ぐ寿(ほ)ぐまつり】を取材した内容です。同まつりでは、古代の正月の宮廷行事「御斎会(ごさいえ、みさいえ)」をモチーフとしたセレモニーがオンラインで執り行われ、天地雅楽の演奏を楽しむことができます。さらに芳村宮司の講演もおこなわれる予定。
2022年1月22日、23日に開催
【大立山まつり2022】奈良 ちとせ祝ぐ寿ぐまつり