2021年7月23日の夜に行われた東京2020オリンピック競技大会開会式では、選手入場や様々なパフォーマンスが話題になりました。
私は歌舞伎好きなので、市川海老蔵さんの『暫(しばらく)』のパフォーマンスに注目。
「ジャズピアニスト・上原ひろみさんとのコラボも面白い!」
「『暫』は、見た目が歌舞伎っぽくていいのかも?」
「予定では、團十郎を襲名していたはずだったよね……。」
と思いながら観ていたのですが、このパフォーマンスに、SNS上では「衣裳に座布団が2枚?」「“見得”と “にらみ”、どっちなの問題」などで盛り上がっていた様子。(「“見得”と“にらみ”」問題は、市川海老蔵さん自身が「元禄見得」であると説明して終了したようです。)
そこで、この記事では、歌舞伎をほとんど知らない方向けに、歌舞伎『暫』について解説します。
そもそも、歌舞伎『暫』とはどんなもの?
歌舞伎『暫』は、「歌舞伎十八番」の代表作。色彩美・様式美に富んだ舞台、演技、演出が見どころです。
超人的なパワーを持ったスーパーヒーローの主人公・鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)が登場する時の「しばらく」の大音声(だいおんじょう)から、『暫』と呼ばれるようになりました。
歌舞伎『暫』の誕生は、江戸時代
元禄10(1697)年正月、初代市川團十郎(1660~1704年)が江戸・中村座で『参会名護屋(さんかいなごや)』の中で演じたのが最初と言われています。
江戸の歌舞伎界では、例年、11月の興行を「顔見世(かおみせ)」と呼び、三座(中村座、市村座、森田座)ではそれぞれ向こう1年間の専属俳優が披露され、「顔見世狂言」が演じられます。そして、「顔見世狂言」の中に必ず入る場面として『暫』が上演され、役名や演出は、その都度替えられていました。
独立した演目となったのは、明治11(1878)年11月、東京・新富座で九代目市川團十郎(1838~1903年)が上演してからで、現在の台本・演出は、明治28(1895)年11月東京・歌舞伎座の九代目團十郎が上演した時のものを基本としています。
歌舞伎『暫』のあらすじ
鎌倉・鶴岡八幡宮の前では、天下を狙う悪公卿・清原武衡(きよはらのたけひら)が、対立する加茂次郎義綱(かものじろうよしつな)たちを成敗するよう家臣に命じます。
悪人側のボス・武衡は「公家悪(くげあく)」と呼ばれる青い藍隈(あいぐま)で、いかにも悪人風の不気味さ。武衡の家臣たちも個性的な扮装で、赤い顔をした胸をはだけた大柄のボディーガードは「腹出し」と呼ばれます。三つ編み状の髪の毛を顔の横に垂らした「鯰坊主(なまずぼうず)」こと鹿島入道震斎(かしまにゅうどうしんさい)は道化方(どうけがた/三枚目)の役で、蛸や貝などの海の生物がデザインされた衣裳です。赤と黒の衣裳の女性・照葉(てるは)は、頭の左右に長い髪を垂らしていることから「女鯰(おんななまず)」とも呼ばれます。
その時、どこからともなく「しばらく」という大音声が響きわたります。一同が不審がっているところに、声の主、鎌倉権五郎が登場!
花道にどっかと座り、「ツラネ」と呼ばれる長セリフで市川家の芸の言い伝えや故事来歴を大きな声で一気にまくしたて、悪人たちを圧倒します。
武衡は、突如現れた邪魔者を追い払うよう家来に命じますが、皆、軽くあしらわれてしまいます。
権五郎は悠然と舞台中央まで進み、豪快な「元禄見得」を披露。
そして、権五郎は武衡に向かって様々な悪行を責めるだけではなく、武衡が奉納した名剣・雷丸(いかずちまる)は偽物で、謀反の願いをかけていることを見破り、義綱が紛失した重宝も武衡が持っているはずだと追及します。
すると、照葉が「武衡のもとにあった重宝を自分がこっそり持ち出した」と言い出します。実は、照葉は権五郎の従姉妹で、悪人側の仲間と見せかけて重宝を探索していた女スパイだったのです!
紛失していた重宝と名剣・雷丸は義綱の元に戻りました。「家の再興もかなう」と喜ぶ義綱たちは、権五郎に後を託して帰路につきます。
一人残った権五郎を武衡の家来たちが取り囲みますが、権五郎は巨大な太刀を抜きはなち、片っ端から斬り捨てます。権五郎の圧倒的な強さを目にした悪人たちは、もはやなすすべもありません。悪事が露見して悔しがる武衡を後にして、権五郎は大太刀を肩にかつぎ、「ヤットコトッチャウントコナ」の声とともに意気揚々と花道を引きあげるのでした。
スーパーヒーローは、江戸っ子にも大人気
歌舞伎『暫』は、日本のヒーローものの元祖ともいうべき超人的な力を持つスーパーヒーローが主人公。歯切れの良いセリフと、颯爽とした行動力で、悪人たちをやり込めます。悪に染まった体制側に逆らう正義の味方に、観客たちも拍手喝采をしたにちがいありません。
ちなみに、鎌倉権五郎景政は平安時代の武将で、後三年の役で片眼を射抜かれてもそれに屈せず、敵方を射返したという武勇伝があります。
「荒事」とは?
荒々しい芸を見せる「荒事(あらごと)」の創始者が、初代市川團十郎です。
当時の江戸の町は発展中の新興都市で、全国各地から集まった気性の荒い人々で活気があふれていたと言われています。そんな江戸の人々には、やけに力が強いヒーローが登場する豪快な芸が好まれました。
「歌舞伎十八番」とは?
「歌舞伎十八番」とは、七代目市川團十郎(1791~1859年)が定めた「成田屋のお家芸」のこと。
初代團十郎以来演じられてきた荒事主体の18の演目を、市川團十郎家(成田屋)の芸として制定しました。その中には、すでに上演が途絶え、内容がわからなくなっていた演目も含まれています。
「歌舞伎十八番」には、三つの特徴があります。
一つ目が、超人的なパワーを持つスーパーマンの主人公が活躍すること。若者が主人公に設定されることが多いのは、「幼い者に神仏のパワーが宿る」という、古くからの民間信仰からきたものです。
二つ目が、「荒事」という、豪快かつ誇張された演技で表現されること。「荒事」は荒武者や鬼神の勇猛な力を表現しており、厄払い的な役割もあるとされています。見得や隈取りなど、いかにも歌舞伎らしいスタイルを、誇張された演技・衣裳などで表現します。
三つ目が、物語構成がシンプルなこと。「荒事」ならではの力強さを見せることが目的なので、ストーリーは極めてシンプル。主人公の超人的なパワーで観客を圧倒します。
『暫』は、この三つの特徴がわかりやすく表現されており、歌舞伎に詳しくない人も「なんか、スゴイ……。」と思うこと、間違いなしです!
ド派手な衣裳と、化粧にも注目!
『暫』の主人公・鎌倉権五郎は、荒事の中でも最高峰の役で、スーパーヒーローそのもの。超人的な力を象徴するようなド派手な衣裳も特徴です。衣裳、鬘(かつら)、大太刀の総重量は60㎏以上もあると言われます。これだけの衣裳を身に付けて、豪快な演技で観客を魅了する役者も江戸っ子のヒーローであり、人気アイドルでした。
市川團十郎家の色と定紋がデザインされた衣裳
市川團十郎家の定紋は「三升(みます)」と呼ばれ、米を図る升の大・中・小を入れ子にして上から見た形を図案化したもの。三升の紋は市川家一門が着る裃(かみしも)にあしらわれるだけではなく、「歌舞伎十八番」の主人公の衣裳や小道具にも、三升のデザインが数多くあしらわれています。
権五郎がまとう柿色の大紋(だいもん)の袖には、大きな白い三升が染め抜かれ、221㎝の長さのある大太刀の鍔(つば)にも三升のデザインが使われています。
でっかく見せる衣裳の工夫
荒事独特の車鬢(くるまびん)の鬘に、力紙(ちからがみ)と呼ばれる大きな和紙をつけ、顔は隈取(くまどり)の中でも最も派手な紅の「筋隈(すじぐま)」の化粧。鎌倉権五郎の扮装は、強さ、大きさを表現するために様々な工夫がされています。衣裳をすべて着せるだけでも、大人が数人がかりでようやくできるくらいたいへんなのだとか。
分厚い綿の入った下着を何枚も着こむことで身体を大きく見せ、荒事にふさわしいたくましさを作り上げます。花道の道場シーンでは、柿色の大紋の袖の中に棒を入れて、袖をピンと張らせています。大紋を片脱ぎすると現れるのが、荒事の勢いを象徴する白と紫の太い仁王襷(におうだすき)。背中に大きく蝶結びにされた仁王襷は、普通の人間ではない能力を持った特別な存在であることを示しています。
外からは見えませんが、長袴の中は「継ぎ足」と呼ばれる桐製の高さのある履物を履いています。
ヘアスタイルは「車鬢」で、頭の両側面の髪の毛を何本かに分けて太い棒のように固めたもの。『暫』の鎌倉権五郎は左右に5本ずつあるので、「五本車鬢」です。また、前髪があるのは元服前の若者の証です。
力紙は、奉書紙を折りたたんで元結代わりに髪の毛を結んだもので、呪力を表します。力紙は大きいほど勢いがあるとされ、左右に大きく張り出した結び方は、神様にお供えするお酒・御神酒(おみき)の口に結んだように見えることから「御神酒結び」と呼ばれます。
「見得」と「にらみ」はどう違う?
ところで、歌舞伎には「見得」「にらみ」と呼ばれる演技がありますが、この違いをご存じでしょうか?
動作を静止させることで注目させる演技が「見得」
劇中で、いったん身体の動作を停止させ、にらむような顔の動きを見せる、歌舞伎独特の演技が「見得」。『暫』では、花道から登場した権五郎が舞台中央に進み出て、豪快な「元禄見得」を見せます。
「見得」は、高揚した気持ちを表す演出でもあり、激しく打たれるツケと呼ばれる効果音と相まって、観客の目を「見得」をする役者に集中させます。
舞台上手(客席から見て、舞台の右側)に拍子木を打ち付けて効果音を出す「ツケ打ち」という係がいます。誰かが走ってくる時は「バタバタバタ」、物を落とした時は「バタッ」と打って誇張したり、見得をした時は「バーッタリ!」と大きく打って役者の動きを強調します。「ツケ」は歌舞伎独特の効果音なのです!
「にらみ」は目に注目!
市川團十郎家の襲名口上などの儀式に欠かせないのが「にらみ」です。
口上で、
「吉例に倣(なら)い、ひとつ睨(にら)んでご覧にいれまする。」
と述べて、左手に巻物を載せた三宝を持ち、三升紋のついた柿色の裃(かみしも)の片肌を脱ぎ、右足を大きく一歩踏み出して客席をグッとにらむ。これが市川團十郎家独特の見得「にらみ」です。見得をする際、にらむように片目のみを寄り目にし、左右の瞳が別々の方角を向いているのが特徴です。これは、「いろいろなところを同時に見渡す」という意味もあるのだとか。
團十郎の「にらみ」は邪気を払う不動明王の霊徳を表したものとされ、瘧(おこり/熱病)を治すと言われていました。「にらみ」はそもそもは正月興行の仕初(しぞ)め式の際に行われていたもので、團十郎の眼力によって邪気を祓(はら)い、観客たちの無病息災を約束。これを見た観客は1年間風邪をひかないとされていたのです!
現代よりも医療が発達しておらず、何度も疫病に襲われた江戸の町。團十郎の「にらみ」を見るためだけに歌舞伎を観に行く人もいたのだとか。市川團十郎家だけに許された「にらみ」は、現在でも歌舞伎ファンにとってかけがえのないものです。
1964年に行われた「ナイト・カブキ」
オリンピック・パラリンピックは、開催国の文化芸術を世界に発信する機会でもあります。
昭和39(1964)年10月8日から16日まで、東京オリンピックの開催にちなみ、歌舞伎座では外国人向けの「ナイト・カブキ」が行われました。開演時間は午後9時45分で終演時間は夜中0時、『暫』『手習子』『楼門』の歌舞伎のほか、文楽の『櫓(やぐら)のお七』、赤坂芸妓による『舞妓』というプログラムで、『暫』の鎌倉権五郎は、十七代目市村羽左衛門さんが勤めました。
「ナイト・カブキ」の来場者は、オリンピックの出場選手や関係者が多かったと言われています。
歌舞伎を観に行きませんか?
歌舞伎『暫』は、悪人の横暴によって善人たちがピンチに陥ったところにスーパーヒーローが現れて、悪人を懲らしめるという、典型的な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の物語。すべてが「お約束」として成り立つ、ナンセンスの極致のような演目で、ストーリーはあってないようなもの。江戸歌舞伎の醍醐味を凝縮した一幕で、古風でおおらかな雰囲気を楽しめるので、現在でも人気が高い演目の一つです。
開会式を観て、そしてこの記事を読んで、「なんか面白そう!」と思った方は、ぜひ、歌舞伎を観に行くのはどうでしょうか? 残念ながら、現在は様々な制約もあり、『暫』の上演は未定ですが、他にも面白そうな演目が上演されていますよ!
主な参考文献
- ・『歌舞伎の101演目解剖図鑑:イラストで知る見るわかる歌舞伎名場面』 辻和子絵・文 エクスナレッジ 2020年4月
- ・『歌舞伎衣裳展図録』 松竹株式会社 1998年
- ・『歌舞伎ファッション』 金森和子文、吉田千秋写真 朝日新聞社 1993年6月
- ・『歌舞伎十八番と家の芸(『演劇界』臨時増刊)』 演劇出版社 1997年11月
- ・歌舞伎演目案内「暫」(歌舞伎on the web)
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