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読み物
Culture
2021.12.02

ある蔵の物語~前編 一二八年後の目覚め

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江戸時代に建てられ、関東大震災と東京大空襲を生き延びた浅草の土蔵。現在はギャラリーとして運営されていますが、2021年12月31日(金)をもってクローズすることが決まりました。

歴史ある蔵にはどんな物語が秘められているのでしょう? 蔵の歴史を感じながらお楽しみください。

ある蔵の物語~前編 一二八年後の目覚め

階段の塗装をしていた男性の動きがまた、止まった。
思った以上に蔵の様子が変わっていくので、彼は不安になったのだ。
たまたま小耳に挟んだ話に矢も盾もたまらなくなって、改修をさせてほしいと名乗り出たのは、確かに自分だ。
だがしかし、百二十八年の重みを背負いきれるのか。果たして自分の手に負えるのか。

「こんなことしていいのかな……」

背中を屈めて無意識に、彼は口中で呟いた。
と、視界の片隅をすっと人の影が過った。一瞬だったが、藍縞の着流しに素足であるのが、なぜか明瞭に見て取れた。
蔵には自分ひとりのはずだ。思った途端、

「かまへん、かまへん」

真横で男の声が聞こえた。
彼は反射的に顔を上げ、頭に巻いたタオルを取ると、きょろきょろと周囲を見回した。それから、そうっと腰を立て、足音を忍ばせるように慎重に蔵から退いた。

「村守さん!」

蔵の外で聞こえた声は、一転、動揺しきっている。

「ほうら、びっくりしちまったじゃないか」
「そやかて、ええことしとるのに」
「こういうことはね、まずお蔵様に伺わなくっちゃ。せっかくの腕っこきの職人が逃げちまったらどうすんだい。ね、お蔵様。うちの人が、あいすいません」
「……いいさ。何の愚痴もねえ」

いたく眠たげな声が答えた。
 
一九九六年。
幕末に生まれたこの蔵は今、改修工事の最中だ。ビニールシートが張り巡らされたその二階、階段奥の暗がりだけが、ほかと少し気色が違う。形のあるようなないような、半ば蔵と重なりながらも別の空間が広がるようだ。

その奥、しだらなく床に頬杖突いて、お蔵様は欠伸を噛み殺す。

つい最近、目覚めたばかりだ。
なりは人だが、身の丈は七尺を優に超えていよう。容(かんばせ)は髪に隠れて定かではない。豊かで重い黒髪は床に流れるほどであったが、そこに一房二房の赤茶色が交ざっているのは、先の戦災で焼けた名残だ。
肩にひっかけるのは打ち掛けか、または夜具の掻巻か。裾綿もたっぷりとしたそれもまた、床に弧を描くほど長かった。

しかし、着物は薄汚れ、ところどころに焦げ目があったり、ほつれたままになっている。その中、片袖だけが新しく、光るような白に替わっていた。
前に膝を揃えて座るのは、浪花訛りの抜けない三代目竹屋長四郎と妻の”い勢”。それでなくとも江戸前で語調のきつい女房に長四郎は頭が上がらなかった。が、理由は彼が婿養子だったというだけではないらしい。
見上げると、太く立派な松の梁に誇らしげな墨書きがある。

慶応四戊辰年 八月吉日 三代目竹屋長四郎 妻 い勢 伜 小三郎 建之

この蔵が建った慶応四年即ち一八六八年、長四郎は既に亡くなっている。家長亡きあと、懸命に家を支えた女房は、建て替えられた蔵の梁に三代目の名を残したのだ。

「せっかくの助っ人をおっかながらせてりゃ世話ないよ。おまいさんが江戸間じゃせせこましいって、いっつも言っていたからさ。建て替えるときに京間にして、屋根まで京風にしたってのに」

何かという出る愚痴を、い勢は繰り返した。

「わかっとるって」
「生きてりゃ、きっと喜ぶだろうって」

語尾が涙声になる。

「かんにんな、苦労かけたな」

長四郎は慌てた様で、女房の背に手を添えた。
いつものことなのだろう。お蔵様は生欠伸だ。
今日の作業は仕舞となったか、電気が消えて蔵の扉が閉められた。揺れていた空気が埃と共に静かに下に落ち積もる。
沈黙が支配する中で、ふと、お蔵様が首を巡らせた。
本来、闇ばかりの空間に丸い光が漂っている。ひとつは微かな歌を忍ばせ、ひとつは七色に光り、ひとつはぷつぷつ呟いている。

「いきなり現れたね。どっから来たん」

お蔵様は眩しいように一旦片手で光を遮り、そのまま長い腕を延ばして三つの玉を摑み取った。

「なんです、それは」

長四郎が首を傾げる。

「音玉、色玉、言玉」

と、お蔵様は頷いて、玉を再び解き放ち、

「どうやらこの先、この場所は音曲や絵画や話芸やら、様々なものが行き交う場所になるようだ。その先触れで様子見に……」
 
言葉の途中でもうひとつ、輝く玉が現れた。そいつは床を転がって、着物の裾にまとわりついた。

「猫玉もここに来るんかい」

喉奥で、お蔵様が小さく笑った。猫玉と呼ばれた輝きは、その懐に駆け込んで、少し回転したのちに早速くつろぐ様子を見せた。
残りの三つは周囲にふわりと浮いている。お蔵様は少し身を起こし、それらの呟きを聞き取った。

「何、あたしの話を聞かせてくれって? 柄じゃない。好かねえ。うん、困ったね。……そうかい。まあ、腹ん中が綺麗になってきて、だいぶん気分もよくなったから、ちっとは聞かせてやろうかね」

懐の猫玉を抱き取って、お蔵様は座り直した。
何年ぶりのことになるのか、長四郎とい勢はぎょっとして、躙り下がると手を突いた。お蔵様は首を振り、ゆっくり壁にもたれかかる。

「いつから、お武家になったんだい。あたしをこさえたのは、お前さんがただろ」
「でも」
「あたしゃ長生きしただけさ。それだって丁寧堅牢に造ってくれた人のお陰だ。こないだ、ここに入ってきた御仁がびっくりしてたじゃねえか。あたしの体の色んなとこをひっぺがしたり測ったりして、言ったがこうだ。ここはただの土蔵ではない。文庫蔵と呼ばれるものだろう。一階正面には天袋つきの押入。二階にもきちんと押入がある。土台は石積み、二階の小屋組は和小屋とやらで、京間で桁行二間半、梁間は二間、柱は檜で梁は松。窓に嵌まった鉄格子は文化文政の頃のもの。扉は黒い漆喰で塗り固めて縦二メートル、横は七十センチ、その厚さは三十センチだ。壁も同じ厚みがあって、土壁の下地は普通は竹だが、太い木で組まれて棕櫚縄でしばって、その上から何層も漆喰を重ねて塗ってある。その上、屋根は置屋根じゃなく、土居塗りの上に直接瓦葺きをして、大棟ののし瓦は九段積み、鬼瓦は屋号の入った尾州産。ああ立派だ、素晴らしい。とても丁寧に造ってあるって。あたしゃ言葉の半分も理解できなかったけど、決して悪い気はしなかった」

聞いて、い勢は胸を張る。長四郎は腕を組み、「たいしたもんや」と頷いた。
お蔵様は猫玉の背中辺りを撫でながら、燦めく光に語り始めた。

――最初から、えらく賑やかだったよ。

もちろん、蔵になる前からさ。あたしたちの命ってのは、そう簡単なもんじゃない。柱も土もそれぞれの色んなお国で育ってきて、ここに集められたんだ。当時はみんな、各々の目と耳で世間を見ていたよ。

大川のこっちは材木町河岸で、川の向こっかしは向島。春になると桜がきれいで、川向こうの薄桃色が霞のように見えたっけ。
あたしが建ったこっちの河岸は観音様にもほど近い。川っぷちにはお寺に納める物揚場もあったから、今戸の竹屋の渡しから駒形堂の辺りまで、殺生禁断だったのさ。

吾妻橋はもう架かってた。そこを挟んだ南北に材木や竹の問屋が並んで、中でもこの竹屋……きちんと言うなら、竹長材木店は羽振りが良かったって話だよ。

いつからここで商売をしていたかは知らないけどさ、あたしの体は建て替えだ。今でも足元を掘りゃ、昔の蔵の欠片が出てくる。新参もんじゃなかったろう。

川岸には問屋が軒を連ねて、立ち並ぶ材木は林のようだ。川には筏に組まれた丸木や白帆を立てた運搬船、猪牙舟なんぞもちょろちょろと。

〽夕暮に 眺め見あかぬ隅田川 月を風情に待乳山 帆上げた船が見ゆるぞえ

まったく唄の通りだったね。

職人はみな威勢がよくって、陸(おか)を望めば遊山がてらの観音参りがぞろぞろ歩って、そりゃ面白いとこだった。

でもさ、その頃の人の心にゃ、遠い火事のけぶりみたいな不安が漂ってたね。なんでも江戸がなくなっちまうとか、将軍様がいなくなるとか。そのうち、上野のお山のほうで戦があったって話になって、世間はひどくざわついてきた。

そうそう、その時分だよ、ちょっと面白いことがあった。

お山で沢山の人が死ぬ少し前の頃だったかね。お寺の小僧さんが息せき切らしてやってきたんだ。ずっと駆けてきたらしく、顔色も悪いようなのが、普請中のここを見て覚悟を決めた様子でさ、大工のひとりに声を掛けた。

「もし。お仕事中、まことにご迷惑さまでござんすが、ひとつ、お願いの儀がございます」 

如何にも育ちのよさそうな口と物腰で頭を下げた。

何かというと、両手で抱いてた風呂敷包みを地面に埋めてくれってさ。どうも、物騒になった上野の寺から言いつかって逃げてきたらしい。この辺りは寺が多いから、小僧さんが歩っててもさして目立ちゃしないけど、妙にきれいな顔をしてたね。

大工は仰天したけれど、さっとそれを受け取って、パッと土を掛けちまった。
小僧さんは泣きそうな顔して頭を下げて、

「必ず取りに参ります」

それだけ言って、元来た道をひっかえしてった。

将軍様所縁の品だったのか、ただのへそくりだったのか。結句、取りには来なかったがね。あの小僧さんはどうなったんだろ。

そこまで聞いて、長四郎は乗り出すようにい勢を見た。

「ほんまか」
「ええ、知らないよ。だって普請の間は花川戸に仮住まいしてたし」

首を振ってから、改めてい勢はぽんと手を叩く。

「ねえ、こないだ、変な人が訪ねてきたろ」
「それこそ、知らへん」
「おまいさん、見てなかったかい。蔵の工事を始めたときに、知らない人が入ってきてさ、紙に鉛筆で字を書いて主人に見せたんだ。『私はろうあ者です。蔵の柱の対角線のところを掘ってみてください。何かが埋まっています』って」
「それか!」

長四郎は色めき立ったが、お蔵様はかぶりを振った。

「どのみち、わっちらのもんじゃねえ」
「まあ、そうやけど」
「今の家主も、今更地面をほっくり返す気はないようだしね」
 
夫婦が顔を見合わせる。
お蔵様はゆっくりと猫玉を撫でて話を続けた。

――川の傍から材木置き場、道を挟んで店、住まい、その奥に蔵。

あたしがひとつの体になって立ち上がってから、ふた月後だ、元号が明治になったのは。

暦が変わって、お侍がいなくなって、丁髷が消えて、電気が点いて、世間は目まぐるしく変わっていったね。

あたしの名前は衣装蔵とも言うらしいけど、最初に帽子とかいう珍奇なものが持ち込まれてきたときは、さすがに笑っちまったよ。

明治になったら通りの向こうが埋め立てられて、川は遠くになったけど、その分、材木置き場は増えて、商売も繁盛したらしい。

まあ、なかなかに面白かったね。そんときゃ、あたしもまだ若かった。途中、外国との戦もあったが、昭和のときに比べれば、こっちにゃなんの痛みもねえ。むしろ景気がよくなって、長櫃や柳行李が沢山持ち込まれたもんだ。

最初に、おっかない目に遭ったのは地震のときだ。

関東大震災っていうらしい。

今に比べりゃマシだけど、その夏は妙に暑くてね。屋根瓦に止まった雀が脚を火傷するほどだった。ちょうど、お昼時分でさ。竹屋の若い衆が汗を拭って昼飯をかっこもうとしたときに、地面が大暴れに暴れたんだよ。

大きな揺れが幾度も幾度も浪のように襲ってきてね、最初は堪えてたんだけど、そのうち瓦は落ちるは、壁は崩れるは、堪忍してくれと祈ったね。

それでもなんとか踏ん張って、あたしは立ち続けたよ。やっと揺れが収まって、気づいてみたら観音様の奥に建ってた凌雲閣――十二階が途中からポッキリ折れていた。そのうち、あちこちで火の手が上がって、今度はみんな、火から逃げるのに命懸けだ。
炎はどんどん広がってってさ、夜になっても燃え続けたね。赤い舌が迫ってきて、さすがにこっちも覚悟を決めたが、ご加護があったんだろう。途中で風の向きが変わった。観音様と浅草公園に逃れた人も助かったってさ。

大川の向こうはもう真っ赤でね、地獄が広がってるようだったねえ。

(つづく)

後編へ

題材になった蔵はこちら

ギャラリー・エフ 浅草
公式サイト
Instagram

※アイキャッチ写真:塩澤秀樹
※記事中のモノクロ記事は『関東大震災画報:写真時報』 写真時報社編 国立国会図書館デジタルコレクションより

書いた人

1992年、『人丸調伏令』で小説家デビュー。小説やエッセイなど幅広い分野で活躍。小説に『祝山』『目嚢』など、ノンフィクションに『墨東地霊散歩』『加門七海の鬼神伝説』など、怪談実話に『怪談徒然草』『怪のはなし』などがある