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Culture
2021.11.02

その年の実りに感謝し、恵みを頂き、生きていることに感謝する日【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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秋になり、スーパーやお米屋で「新米」の文字を見かけるようになると、なんだか嬉しい気持ちになるものです。連載「年中行事で知る日本文化」では、彬子女王殿下が11月23日に行われる新嘗祭(にいなめさい)について、ご自身の思い出とともに解説くださります。

海外で気づいた、ご飯のおいしさ

文・彬子女王

私は子どもの頃からパン党だった。朝食はいつもパンだったし、散歩の途中、パン屋さんの前を通り、いい香りが外まで漂ってくると、お店の扉を開けることを拒否できない。パン好きの友人とおいしいパン屋さんの情報交換は欠かさなかったし、パン屋さんのガイドブックなども熟読したものだ。そんな私が、ご飯のおいしさに目覚めたのは、英国留学中の事だった。

正直に言って、英国ではあまりおいしいパンに巡り合うことができなかった。最初の留学中は、キッチンのついていない寮に住んでいたので、毎日パンとジャガイモ中心の食事が続き、だんだんと体が重くなっていった。そこで初めて気付いたのだ。「ご飯とお味噌汁って最高」と。今まで毎日パンで問題がなかったのは、昼や夜に自然とご飯を食べる習慣があったからなのだろう。日本人の生活習慣、そして体に合うのは、日本人が昔から食べ続けているご飯なのだと実感した。

二度目の留学には炊飯器とお米を日本から持参し、部屋で炊くようになった。朝食をご飯にするときは、しゅんしゅんと炊飯器が音を立てだし、部屋中に甘いご飯の香りが満ちることで目が覚める。カーテンを開けると、そこは間違いなく英国中世の空気が漂う街、オックスフォードなのだけれど、炊きあがったほかほかのご飯をのぞき込むと、そこだけが時空ポケットになったかのように日本を感じた。インスタントのお味噌汁に、簡単なお漬物くらいのささやかな和朝食だけれど、そんな日は、なんだか少しだけいつもより頑張ろうと思えたものだ。

お米に対する理解が変わったきっかけ

日本に帰国し、私が「米変態」と仰ぐ、お米をこよなく愛する友人との出会いがあり、私のお米に対する理解は大きく変わった。彼女がよく言うのは、「世界に様々なお米料理があるけれど、カレーも、炒飯もピラフも、すべて何かが混ざったり、かかったりしている。白いまま食べておいしいのは日本のお米だけ。先人たちがどれだけの努力を重ねて、おいしいお米を開発してきたのか、日本人はもっとそのありがたみを感じなければいけない」ということ。そんな白米至上主義の彼女の家には、個人で契約している農家さんから、年間400キロのお米が届くという。「個人の消費量じゃないですよ!」と言うと、「いえいえ、私なんて大したことございません。昔の人たちは一人1日6合食べていたと言いますし」と一蹴される。御主人がどれだけ召し上がっているかは、敢えて聞かないようにしている。

五穀豊穣を感謝し、国の安寧を祈られる新嘗祭

それだけお米を愛しているのに、彼女は新嘗祭が終わるまでは新米を買わない。新嘗祭とは、天皇がその年収穫された新穀を天神地祇(てんじんちぎ)にお供えになり、御自らも食されるお祭り。もともとは、11月の下の卯の日(三卯あるときは、中の卯の日)に行われていたが、明治維新後は11月23日と定められ、今も皇居内に設けられた神嘉殿で毎年粛々とお祭りは執り行われている。神様や陛下が新米を召し上がる前に、新米を食べるのは畏れ多いと言うことで、神社関係者やお年を召した方など、新嘗祭が終わるまでは新米を食べないという方が多くいらっしゃるのである。

新嘗祭に合わせ、全国各地からお米が献上され、それらはご神前にお供えされる。47都道府県から献上されるお米は、一つの部屋に集められ、お祭りの前に天覧される。昭和の御代に、宮中祭祀を司る掌典職(しょうてんしょく)を務めていた人に聞いたことがあるが、各県のお米のご説明を昭和天皇は一つ一つ足を止めてお聞きになり、お米をそれぞれしっかりとご覧になるので、すべて御覧になるまで一時間近く費やされていたという。日本全国、津々浦々のすべての人たちにお心を寄せられていたことが伝わるエピソードであると思う。

新嘗祭は、夕方6時から行われる夕(よい)の儀と夜11時からの暁の儀に分かれている。身を浄められた陛下が、白のご祭服に身を包まれ、ご神前に新穀をお供えになり、祝詞を奏上され、五穀豊穣を感謝し、国の安寧を祈られる。そして、直会として、お供えされたものと同じものを陛下も召し上がる。松明の明かりに照らされる中、約2時間にわたって行われる荘厳な儀式である。

『稲田垂穂柄鏡』 銘「西村豊後掾藤原政重」 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

「いただきます」「ごちそうさま」に込める気持ち

女性皇族は参列を許されていないので、私はもちろん拝見したことはないのだけれど、夕の儀と暁の儀の間にお帰りになる父から、その神々しいお祭りの様子を聞きながら、子ども心にもとても重要なお祭りなのだろうと思っていたことをよく覚えている。お祭りの間は、「お夜長(よなが)」と言い、我々も身を慎みながらお待ちする。終わったという電話連絡が来ると、なんだか不思議とありがたい気持ちが心に満ちる。その年の実りに感謝し、その恵みを頂き、生きていることに感謝できる機会が一年に一度あるというというのは、とても重要なことのような気がしている。

日本では、食事の前と後に「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言うけれど、これには本当にたくさんの思いが込められていると思う。人間は、何かの命を奪わなければ生きていくことができない生き物である。食事を作ってくれた人、その材料を作ってくれた人、そして、その命をくれた生き物に対する感謝の気持ちがこの二言には集約されている。新嘗祭が終わったら、ぴかぴかの新米を前に、大きな声で言わなければいけないと思っている。「いただきます」と。

※アイキャッチは『引札類 稲作と美人』 
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。