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2022.01.08

ここでおさらい。河内源氏の系譜を3分で解説【鎌倉殿の13人】

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令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、鎌倉時代より前の歴史を学ぼうのコーナー!

毎回毎回、3分で読み切れないって? うん。オレも3分じゃ無理だと思ってるが、人生は開き直りも大事だぞ。

っというわけで、前回までは河内源氏(かわちげんじ)や坂東武者が関わる戦について紹介したが、源義家様から孫の世代までは坂東武者とあまり関わりは深くない。河内源氏は京で、坂東武者は坂東でそれぞれ活躍しているので、今回は源氏が再び坂東にやってくる直前までを紹介しようと思う!

▼前回までの記事はこちら!

河内源氏ってなんぞや?

頼朝様の一族は、源氏の中でも「河内源氏」と呼ばれるグループだと、他の記事でも何度か紹介したな。
平家と平氏の違いとは?関連人物と合わせて解説!【鎌倉殿の13人予習シリーズ】
武田信義とは?人物解説!八嶋智人演じる男は武田信玄の先祖だった?【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

河内源氏とは、さらに清和(せいわ)源氏と呼ばれる大きなグループの1つなんだ。

天皇の皇子のうち、皇太子になれない皇子に姓を与え、家臣とすることを臣籍降下(しんせきこうか)という。清和天皇は源姓を子孫に与えた。それらを清和源氏という。

なるほど~。清和源氏=清和天皇に源姓をもらった一族なんですね!

運がいいのか、悪いのか……河内源氏の祖・経基王

清和源氏の中で最も栄えたのが、清和天皇の孫にあたる経基王(つねもとおう)の流れだ。経基王は平将門(たいらのまさかど)の乱の少し前、武蔵介(むさしのすけ)として赴任していた。将門公とも因縁があって、乱の時は勢いよく出陣しようとしてたんだけど、その前に将門公が討ち取られちゃったんだ。

ズコーッ_(┐「ε:)_

その後も、有名な戦に関わろうとしてはすでに平定されているというタイミングの悪さを発揮するが、なんだかんだで出世して、当時の武士の最高栄誉である鎮守府将軍(ちんじゅふ しょうぐん)にまでなる。

そして晩年になって、臣籍降下を命じられ、源経基(みなもとの つねもと)と名乗った。

菊池容斎『前賢故実 巻第5 源経基』(国立国会図書館デジタルコレクション

臣籍降下って、ちょっと不名誉な事なのかな? って思っちゃうけど、そうでもないみたい。皇族とは言ってもピンキリみたいでさ。皇族かどうかもあやふやな、末席の端っこの方なら、臣籍降下を命じられることによって「皇族である」と認められるようなもんだろ? 経基王もどうやらそのパターンだったみたいだ。

多田源氏の祖・源満仲

そんな経基王の嫡男が、源満仲(みなもとの みつなか)公! このお方も次々と出世して、鎮守府将軍となる。その為、他の武家からも嫉妬されるほどだったらしく、悪い噂をたてられたり、家に放火されたりしている。

菊池容斎『前賢故実 巻第5 源満仲』(国立国会図書館デジタルコレクション
嫉妬ってコワイ……。

満仲公は摂津国多田庄(現・兵庫県川西市多田周辺)を本拠地としたので「多田源氏」と呼ばれ、「多田満仲」とも表記される。

摂津源氏と河内源氏

その満仲公の子息に、酒呑童子退治で有名な源頼光(みなもとの よりみつ)公、平忠常の乱で活躍した頼信(よりのぶ)公がいる。そして、前九年の役の頼義(よりよし)公、後三年の役の義家(よしいえ)公と繋がる。

菊池容斎『前賢故実』左から源頼光頼信頼義(>国立国会図書館デジタルコレクション)

菊池容斎『前賢故実 巻第6 源義家』(国立国会図書館デジタルコレクション

清和源氏の嫡流は、満仲公の嫡男である頼光公が継ぎ、頼光公の系統は「摂津源氏」と呼ばれる。弟の頼信公は河内国石川郡壷井に本拠地を持ったため「河内源氏」と呼ばれる、というわけだ。

まとめるとこんな感じ

さて、ここまでが、前回まで。

武士や貴族ってややこしい! でも大河ドラマを楽しむために、みんな頑張ってついていこう!

源義家一家のご家庭事情

後三年の役の後、義家公は当時の上皇である白河上皇のお気に入りとなって出世をし、上流階級の仲間入りをするが、力をつけたために他の公家たちから警戒されてしまう。そして義家公の勢力を抑え、弟の源義綱(みなもと よしつな)や、平清盛殿の祖父である平正盛(たいらの まさもり)を重用するようになった。

そんな中、義家公が没すると、深刻な後継者争いが勃発する。義家公の子と兄弟が争ったり、また別の子が大暴れして平正盛に討伐されたり。

ある日義家公の嫡男・義忠(よしただ)殿が暗殺された。犯人は義家公の弟・義綱(よしつな)殿とされた。しかし義綱殿は身の潔白を証明するために立てこもるが、もう1人の弟義光(よしみつ)殿と、義家公の孫・為義殿がその暗殺犯を討伐した。でも実は……犯人は義光殿だったという疑惑もあるんだ……。

その義光殿は甲斐の国へ基盤を移し、甲斐源氏の祖となる。結局河内源氏の嫡流の座は、最後まで生き残った為義殿のものとなった。とはいっても、京都ではすでに本家である摂津源氏がいるし、平家も台頭しはじめていたので、出世は見込めない。そこで目をつけたのが、東国……。先祖が恩を売っていた坂東だ!

おぉ~!! いよいよ鎌倉に近づいてきました!!

為義殿は相模国に長男の義朝様を、武蔵国に次男の義賢殿を派遣する。それからどうなったかは、次回へ続く!

▼おすすめ書籍
河内源氏 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書)

アイキャッチ画像:板谷慶舟『勿来関図』東京国立博物館所蔵 「ColBase」をもとに作成

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

▼ガイドブックもチェック
NHK2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全読本 (NIKKO MOOK)

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承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。