Culture
2021.12.09

おしゃれの本当の意味、喜びとは?白洲正子の長女がつづる「装いのプリンシプル」

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白洲次郎・正子夫妻の長女が、初めて登場し、自身のおしゃれ、信条を語った新刊『武相荘、おしゃれ語り』が話題を集めています。

白洲次郎といえば、第二次世界大戦終戦直後、日本国憲法の制定にも深く関わったとされる人物、その妻である白洲正子は、名随筆家として今なお私たちの心を惹きつけてやみません。夫妻の終の棲家であり、現在、「旧白洲邸 武相荘」として東京町田市で公開されている茅葺屋根の家で撮影を行い、夫妻の長女である牧山桂子さんが29の装いとエピソードを披露した『武相荘、おしゃれ語り』は、娘のみが知りうる白洲夫妻のチャーミングなエピソードも登場し、読み応えも見応えもたっぷりな一冊です。

オートクチュールからプチプライスまでを自在に着こなす牧山桂子さんの圧倒的なセンスは、おしゃれをすることの本当の意味、喜びを私たちに気付かせてくれます。また、娘のみが知りうる白洲次郎・正子夫妻の逸話をはじめ、信条(=プリンシプル)に支えられた暮らしぶりは、これからをどう生きるかについて考えさせてくれるでしょう。

「自分が選んだものこそが自分のブランドで、その人だけの心の中にあります。自分で選んだ友達こそが、自分に対するセレブです。金持ちでも有名人でもありません」(本書より)。 

今回は、白洲正子のファッションに対する考えが垣間見えるエッセイ一編を抜粋、ご紹介します。

忘れられないコート姿

文・牧山桂子

過ぎ去った昔といってもよいようなある日、買い物好きの母と池袋の西武百貨店でぶらぶらしておりますと、突然、獲物を見つけた野獣のように母の目が光りました。

その眼差しの先には、いかにも母好みの仕立てのよさそうなグレーのチョークドストライプのパンツスーツが、ショーウインドウの中に、あたりを払うようにして飾られていました。〝サンローラン オートクチュール〟と案内板に書いてあり、私の記憶では、「お問い合わせは家庭外商まで」というような説明文が付いていたように思います。彼女はあっという間に、その外商カウンターに駆け付けて、注文してしまいました。驚いた事に、オートクチュールなのに店舗も何もなく、後日、自宅まで採寸に来てくれるとの事でした。当日は大名行列もかくや、というようなご一行が現れて、採寸や細々とした事を取り決めて、嵐のように去っていきました。

何度かの仮縫いの後に、とうとう完成して届いた時の彼女の満足そうな表情は、欲しかった骨董を手に入れた時と同じで、満足に満ち溢れたものでした。確かに、オートクチュールは細部にわたり目が行き届いていて、素晴らしいものでした。母とあまりサイズの違わない私は、何かの時に借りようと思って、密かに着てみた事がありました。しかしオートクチュールの洋服はあまりにも注文主にぴったりに出来ているらしく、私にとって着心地のよいものではありませんでした。その上そのスーツが「お前なんか十年早い」と言っているようで、それ以後、最近まで袖を通す事はありませんでした。

しばらくの間、母の〝サンローラン〟熱は続きましたが、最初から母の面倒をみて下さっていた責任者の方がお亡くなりになったと同時に、終わりを告げました。品物だけではなく、そこに介在している人も自分の好みの大事な要素の一つだという日頃の母の考えを、如実に表していました。

同じ頃に〝ニナ リッチ〟のオートクチュールも、銀座の松坂屋にあったように記憶しております。私の夫の叔母が息子さんの結婚の披露宴のために、〝ニナ リッチ〟のオートクチュールのイブニングドレスを注文した事がありました。出来上がったドレスを見せていただきましたが、夢の国を表しているような素晴らしい色彩と仕立てのドレスでした。

松坂屋の〝ニナ リッチ〟のメゾンにフランスから派遣されたスタッフは、ドレスが出来上がった日に、叔母の持っているアクセサリー、靴、バッグ、夜用のコートまでも自分達が選ぶので、持ってくるように彼女に依頼したそうです。その話を母にしますと、「ずいぶん失礼な店だ、私なら怒ってやる。お客様をバカにしている」と我が事のように怒っておりました。義侠心に富んでいるようなところのある母ですので、私の思ったとおりの反応でした。しかし結婚式の後に、写真を見せていただいて、母の怒りは見当違いだと気が付きました。そのイブニングドレスを着た彼女の姿は、自信に満ち溢れて素晴らしいものでした。アクセサリーやコートにいたるまで、すべてが完璧といえる程でした。

〝ニナ リッチ〟のスタッフは、自分達の手がけたドレスの魅力を知り尽くし、愛し、その見せ方を心得ているのだと感じました。伝統あるフランスのオートクチュールに携わる人達に、日本の職人にも通じるような、自分の仕事に誇りを持っている、という心意気を感じました。

一九六〇年代のパリで見かけた女性

今まで、コートを着た人を見て素晴らしいと思った事が二、三度あります。自分がそのようにコートを着こなしてみたいというのではなく、あくまでもその時の光景が素晴らしいものだったのだと思います。

既に遠い過去となった一九六〇年代、パリのサントノーレにある「ブリストル」というホテルに、滞在していた父の友人をお訪ねした時の事です。ホテルのロビーで待っておりますと急に明るくなったような気がして、あたりを見回しますと、エレベーターのドアが開き、カップルが降りてきました。
ディナージャケットを着た男性は、スキンヘッドで有名な、当時の大スターだったユル・ブリンナーでした。スターというものは、このようにあたりが明るくなるほどのオーラが出ているのだと感じました。

その大スターより私の目を引いたのは、彼の隣にひっそりと寄り添っている女性でした。

彼女は、当時はまだ市民権を得ていたミンクのコートを袖を通さずに肩にかけ、シンプルな半袖の黒いワンピースにスエードの手袋と小さなバッグを、胸のところで合わせた手に持っていました。アクセサリーは小さなパールのイヤリングだけが目につきました。彼等が私の前を通過したのは、三十秒程だったと思いますが、数十年後の今でも、昨日の事のように目に浮かびます。

最近の出来事で、またその時の事を思い出す機会がありました。それは菅前総理大臣の初めての海外訪問の時の報道です。菅夫人は元総理夫人とは違い、総理の少し後ろからタラップを上り、壇上で見送りの人達に向かって深々とお辞儀をなさっていました。大スターだったユル・ブリンナーにそっと寄り添っていた女性を私に思い出させました。あの態度は海外では受け入れられないと、一部のマスコミは言っておりましたが、感じのよい振る舞いというのは万国共通のものではないかと思います。

映画『昼顔』のコートスタイル

一九六七年に、カトリーヌ・ドゥヌーヴ主演の『昼顔』という映画が上映されました。彼女が着るすべての衣装のデザインがイヴ・サンローランでした。

本物を見たわけではないのですが、特にコートが素晴らしいと思いました。自分の日常を仕立てのよいコートと共に脱ぎ捨てていくように見える場面は、素晴らしいものだと思いました。見事に〝サンローラン〟のコートを着こなしているドゥヌーヴは、同年代の私には考えられない事でした。

写真で着ている〝サンローラン〟のオートクチュールのコートは、母が着ていたものです。このコートを母が注文した時、内心「しめた!」と思いました。『昼顔』を観た頃よりは多少年齢を重ねていた私は、母のそのコートを着こなせるのではないかと思い、恐る恐る袖を通してみました。しかしその態度をコートに見透かされたように、鏡に映った姿はカトリーヌ・ドゥヌーヴとは程遠いものでした。年齢だけの問題ではないようです。追い打ちをかけるように、母まで「あんたにゃ似合わないよ」と言いました。

それから数十年、やっと〝コート様〟よりお許しが出たようです。

白洲正子がおそらく七〇年代にオーダーしたという〝サンローラン〟のオートクチュールのコートは、今でも立派に現役。膝が隠れる丈のコートには、長年愛用しているという〝タニノ・クリスチー〟の艶やかな黒のロングブーツを合わせて。撮影をした武相荘の門の前には、白洲次郎が彫ったという新聞・郵便受けが、今でも置かれている。

書籍紹介


白洲次郎・正子の長女がつづる「装いのプリンシプル」武相荘、おしゃれ語り
著/牧山桂子
定価/¥1,980(税込)
判型頁/A5判208ページ
小学館刊

著者プロフィール

1940(昭和15)年、白洲次郎・正子夫妻の長女として東京に生まれる。2001年10月、白洲夫妻が暮らした東京都町田市能ヶ谷(のうがや)の自宅を「旧白洲邸 武相荘」として公開。著書に『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』(新潮社)、『武相荘のひとりごと』(世界文化社)などがある。

※アイキャッチは、書籍の写真をトリミング。撮影/浅井佳代子