はかなく消えた国産線香花火、下町の玩具問屋が挑んだ復活のストーリー

はかなく消えた国産線香花火、下町の玩具問屋が挑んだ復活のストーリー

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夏を感じる遊びやイベントは数ありますが、なかでも花火は夏の夜の風物詩のひとつですね。
線香花火は日本発祥で、日本人にとって一番身近で馴染み深いとも言える手持ち花火。しかし20年ほど前、国産の線香花火がいったん市場から姿を消したことをご存知でしょうか。
はかなく消えた国産線香花火。その復活に尽力した老舗玩具問屋の山縣常浩(やまがたつねひろ)さんにお話をうかがいました。

なぜ“線香”花火なの? 江戸にはじまる線香花火の歴史

まずは線香花火の歴史から。
そもそも、なぜ手持ち花火に“線香”花火の名がついたのでしょうか。

西川祐信作「絵本十寸鏡」(1748年)より

上の図中、縁側のふたりの女性が見ている鉢のようなもの。突き刺さった棒の先に、チカチカと光を発する何かが描かれていますね。
これ、香炉にさした花火なんです。
線香花火のはじまりは江戸時代。細い藁の先に火薬をつけた花火を、香炉や火鉢の灰に立てて遊びました。花火を立てた様子がまるで仏壇に供える線香のようなので、“線香”花火の名が付いたと言われています。
今、子どもたちがこんな風に遊んだら相当怒られそうな気もしますが……。

藁(藁スボ)を持ち手とした線香花火は「スボ手」と呼ばれ、関西でメジャーな線香花火のスタイルです。関東では稲作がそれほど盛んではなく藁が入手困難だったので、江戸で「スボ手」は広まらず、代わりに細長くカラフルな和紙で火薬を包んだ「長手」が流行します。これは現在関東を中心にスタンダードとなっている線香花火と同様のものです。

上が「長手」、下が「スボ手」の線香花火

江戸時代の日本で始まり、庶民に愛されてきた線香花火。約300年ほどの歴史を誇る人気アイテムは、江戸時代からさほど形を変えることなく現代まで継承されてきたんですね。

国産の線香花火が消えた!

線香花火の産地は、全国各地にありました。特に、福岡、愛知、長野は花火の生産が盛んで、多くの花火職人や花火業者がいました。
当初はもちろん100%国産でスタートした線香花火でしたが、1970年代から徐々に外国産の商品が流入するようになります。80年代になると価格差におされて廃業する花火業者が出はじめ、まず長野県、次いで愛知県で線香花火を生産していた全社が店をたたむことに。外国産の線香花火はその後もシェアを拡大し続けます。
そして1998年、福岡にあった最後の一社が廃業したことで、ついに国産の線香花火は市場から姿を消してしまったのです。

復活に向け老舗玩具問屋が立ち上がる

そんな事態を受けて「江戸時代から続く日本の線香花火をなくしちゃいけない」と立ち上がったのが、東京の蔵前にある玩具問屋・山縣商店の山縣常浩さん。
山縣商店は1914年(大正3)創業の老舗。雑貨商から始まり、今はおもに花火や玩具を扱っています。山縣さんは5代目、現在は6代目が社長を務めます。

株式会社山縣商店取締役会長 山縣常浩さん

一度途絶えてしまったものを復活させるのは大変なこと。廃業した業者に技を教わるわけにもいかず、国産線香花火の再興はゼロからの出発でした。
山縣さんは、同志を探します。

ある時、山縣さんは愛知県岡崎市の花火製造業・三州火工のご当主のもとに、かつて線香花火製造で有名だった店の娘さんが嫁いできたことを知ります。さらに、その女性は嫁入り道具として、線香花火の秘伝のレシピが書かれた文書と、火薬を包む和紙を持参してきたというのです。

 これは偶然だったんだよ!

山縣さんは三州火工のご当主に会いに行き、一緒に国産線香花火を復活させようと熱意をもって直談判。お互いに100万円ずつ出資して、ダメもとでやってみようと話がまとまりました。

「なんでうまくいかないんだ?」一筋縄ではいかなかった作業工程

線香花火を形作る要素は、火薬と和紙と縒(よ)り手。
まず和紙は、楮(こうぞ)を原料にしたものが最適で、繊維が長くて強く、薄い和紙でなければ線香花火に向きません。山縣さんは三州火工の奥様が持っていた和紙の見本を手掛かりにして各地を探し、静岡県で同じ品質のものを発見。染めも思い通りの仕上がりで、国産線香花火復活に向けて、大きな一歩を踏み出しました。

和紙のカラフルな色遣いも、「長手」線香花火の魅力のひとつ
写真:山縣商店

和紙の「縒り」は、国産線香花火が消滅する最後の最後まで仕事を続けていた、名人のおばあさんに頼みこんで手ほどきを受けることになりました。

そして、火薬。

線香花火の火薬は硝石と硫黄、松煙を混ぜて作る
写真:山縣商店

火薬等を配合する混合比率は、三州火工の奥様が秘伝のレシピを持っていてくれたおかげであらかじめわかっていました。ところが、

 レシピの通りやるんだけど、なんか違う。昔の線香花火みたいに火花が美しくない。なんでうまくいかないのかわからなくて。

山縣さんの記憶にある、美しい火花の散る線香花火はなかなか実現できず、お金と時間を費やす日々が続くことになります。

「大江戸牡丹」、誕生

試行錯誤を繰り返すうちに、火花の美しさは、火薬に混ぜる松煙の質が左右していることがわかってきました。どんな松煙を使えばいいのかという情報は、秘伝のレシピにも書かれていません。
そこで、日本一高級な松煙を手に入れてみましたが、やっぱりダメ。

 松煙というのは松を燻して作る煤(すす)なんだけど、高級かどうかというより、高温で燻すのか低温なのか、それから、新しい木なのか古いのか、松の根に近い部分を使うのか先端なのか……どうもそういう、非常に細かい条件が影響してるんじゃないかとつきとめたんです。それで、とにかくいろいろ試したわけ。

取り組みはじめて約2年がたったころ、ようやく理想の線香花火ができあがりました。

約2年をかけて、理想の線香花火が完成

 完成したのが2000年。地下鉄の大江戸線が開通した年だったから、名前に『大江戸』とつけました。『牡丹』は江戸で一番華やかだった花だよ。

国産線香花火「大江戸牡丹」は人気商品に。
その後は国内で線香花火を製造する会社が増えて、今では3社が手掛けています。最近では一部のスーパーや身近な小売店でも、外国産と並んで国産の線香花火を置く店が出てきました。

贈答品としても人気。オリジナルの化粧箱も作っている

国産線香花火復活のストーリーを知ると、線香花火で遊びたくなりませんか。

「大江戸牡丹」は、ネットでも販売しています。外国産のものに比べてお値段ははりますが、遊んでみると違いがわかります。職人が火薬を手で調合し、一本一本、和紙を縒って作る線香花火の美しさを、この夏にぜひ試してみてください。



山縣商店 店舗情報
住所:東京都台東区蔵前2-2-2
電話:03-3862-3927
営業時間:平日9時~17時、土曜9時~昼頃(7月8月のみ)
定休日:日曜、7月8月以外の月の土曜
公式サイト
山縣商店オンラインショップ

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