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国は力で支配することはできるが、人の心は力で支配することはできないんだ。(チンギスハン)
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Culture
2022.06.08

言葉を喋り人を呪う…可愛くも恐ろしい、日本の猫たちの世界へようこそ

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萩原朔太郎が書いた短い小説に『猫町』というのがある。散歩中の詩人が突然、無数の「猫」がうようよしている町へ迷い込んでしまうという、恐ろしくも魅惑的な物語である。まあ、かくいう詩人は薬による幻覚症状を見たわけだが、果たしてこの奇妙奇天烈な現象は猫によって引き起こされたのでは、と思えなくもない。

どういうこと?

というのも、猫を不気味なものとして扱う物語が日本にはたくさんあるのだ。9つの魂があると言われる猫だが、生まれ変わるなんて序の口で、人を襲ったり、呪ったり、人語を理解する猫までいるらしい。可愛いだけじゃない、不思議で背筋の凍るような猫たちの世界を覗いてみよう。

鉄砲玉だってなんのその。秘めたる力もつ猫たち

『猫鼠合戦』 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

甘え上手の子猫は人間の生まれ変わりだった

平安時代の中頃に書かれた日本の女流日記文学の代表作『更級日記』には、一風変わった子猫が登場する。5月の夜にどこからともなく現れたその子猫は、甘えるのが上手で、しかも人の言葉が分かるようだった。姉妹は突然現れた子猫をこっそりと飼い始めることにした。

ある時、病に寝ついた姉がその子猫が侍従大納言の姫の生まれ変わりと夢に見た。しかし、事実を確かめるより先に夜中の火事で家と一緒に侍従大納言の姫君の猫も一緒に焼け死んでしまったとか。

更級日記の作者は『源氏物語』オタクだったようです。源氏物語にも猫がキーパーソン(キーアニマル?)として登場します!

狩人の玉を避けてみせる猫

自分の身は自分で守る。そんな胆力のある猫を紹介しよう。
遠野に伝わる『狩人と釜の蓋』には、釜の蓋をひょいと胸にあて、狩人の鉄砲の玉を見事によけてみせる猫が登場する。玉をかわすのでなく、釜の蓋を使うあたりに、この猫の知性が伺える。

この一風変わった話、遠野に伝わるらしいのだが、どこにも出典が見つけられないのが残念である。浮世絵に描かれそうな、面白おかしい場面が私はとても気に入っているのだけれど。

猫の皮で順風満帆な人生?

奄美群島の沖永良部島には『猫の面(つら)』という物語が伝わる。
「面」とは言葉通り受け取るのなら「顔」のことだけど、ここでは上っ面とか文字面などを意味する「表面」のこと。猫の面とは何のことかさっぱりだろうが、物語を読めばおのずと分かるはず。

物語の主人公となるのは、薩摩の殿様が旅先の琉球の伊平屋島で土地の娘とのあいだに生ませた子どもである。この童子はその生い立ちのせいか、いじめられて育ったが、あることがきっかけとなり人生に転機が訪れる。ことの始まりは、猫を殺したことだった。童子は殺した猫の皮を剥ぐと、それを着て琉球の王宮に仕える身になったという。

剥いだ猫の皮を着て、「猫の面」をして仕事をする人間。その奇妙さに周囲がまるで気づかないというのも不思議だが、話はこれで終らない。彼は、その後、首里の王の娘と結ばれて幸せになったのである。

文字通り、猫の面をして仕事につき、さらにはお嫁さんまで手に入れたというわけである。いろいろと腑に落ちないところもあるが、それもまた、全てが語られない昔話の面白さである。

リアルな着ぐるみみたいな……?

浄瑠璃だってお手のもの。もの言う猫たち

『風俗三十二相 うるささう 寛政年間処女之風俗』 月岡芳年/画 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

得意気に和尚と会話する猫

私はまだ会ったことがないが、世の中には人の言葉を話す猫がいるという。18世紀末に書かれたとされる『耳袋』にこんな話があるのだ。

江戸牛込のとある寺でのこと。和尚は、寺で飼っている猫が庭先で鳩を狙っているのを見つけた。和尚が声をあげて追い散らすと、あろうことか鳩を捕え損ねた猫が「残念!」と叫んだのである。和尚は猫の言葉を聞き逃さなかった。
「人の言葉を話すとは、化けて人をたぶらかすつもりか。なぜ喋れるようになったのか、そのわけを話してみよ。」
すると猫はこう答えた。
「十年も生きていればどの猫も口をきくし、十四、十五年もすれば、神変不思議を現ずることができる。また狐と交わって生まれた猫は十年たたなくても人語を話すことができるのです。」

その後、和尚に解放された猫は寺を出て行き、二度と姿を現さなかったという。

ところで、日本には「猫また」という尾が二またに分かれた猫の妖怪がいて『遠野物語』などに詳しいが、どうやら年月を重ねた猫には神通力が宿るらしい。たとえば『徒然草』には、京都に住む法師が帰り道に猫またに襲われて腰をぬかし、近所の人たちに助けられるという話が収められている。まあ、法師が驚いた相手は猫またではなく、実は自分の飼い犬だった、というオチつきなのだけど。

夏目漱石の小説でも「吾輩は猫である」とかいきなり語り出す猫がいますね。

芸達者な猫には要注意

人語を理解する猫は物語世界に多く登場する。たとえば、昔話『猫の浄瑠璃』の猫にいたっては、話すだけでなく芸達者でもある。しかし、見事な芸にはそれ相応の「お代」がいるらしい。

遠野の家中是川という家の夫人は、芝居を見に出かけた主人と子どもの留守を預かっていた。すると側にいた虎猫が「奥様お退屈でしょう」と話しかけてきた。そのうえ、家族が見ているだろう浄瑠璃をひとくさり夫人の目の前で語ってみせたのである。

さて、このことは夫人と虎猫だけの秘密だったが、つい口をすべらせてしまったのがいけない。翌日、咽笛をかみ切られて死んでいる夫人が見つかった。虎猫の姿もない。犯人は、まぎれもなく浄瑠璃を披露したあの猫だろう。

喉元に要注意。人を喰い殺す猫たち

『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』 歌川広重/画 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

嫉妬か遊び心か。人を襲う猫

飼い主と心通じあう間柄であるように見えて、一度でも約束を破ると恐ろしい仕返しをする。そんな猫の化け物性を伝える話が遠野には他にも残されている。ここでも、殺されたのは人間だ。しかも、相手は小さな子どもである。

他家へ嫁いだ娘が子どもを産んで亡くなったために、子どもを家へ連れて帰ってきた人があった。子どもを抱いて寝た翌日、子どもは猫に喰い殺されて死んでいたという。想像するのも痛ましい情景だ。猫が子どもを殺した理由は説明されず、猫がその後どうなったかも明かされない。猫の残虐性だけが際立たつ昔話である。

猫の血を滴らせる南瓜

身の震えるような猫の話はまだまだ尽きない。

あるところに、隣り合わせに棲んでいる貧乏人と金持ち人がいた。貧乏人は猫を飼っていたが貧乏なので猫に食べものを与えなかった。そこで猫は隣の金持ちの家へ忍びこんでは食べものを拝借していた。それに腹を立てたお金持ち。猫を殺して埋めてしまった。すると、猫を埋めた場所から南瓜が生えてきたという。

その実を収穫し、切ってみると、切り口からは真っ赤な血が流れだした。不思議に思って南瓜の根もとを掘ってみると、根が埋めた猫の口に入りこんでいたという。

コワイよぅ。

可愛くて恐ろしい、日本の猫たち

『画図百鬼夜行』 鳥山石燕/画 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

しなやかな手足と愛くるしい瞳で人間を魅了してやまない猫たち。その美しさには、怪しい牽引力がみなぎっている。甘えてすり寄り、見事な浄瑠璃を披露して飼い主を楽しませたかと思えば人に化け、人を騙し、人を襲い、あまつさえ噛み殺してしまう。昔話に登場する猫たちは、その習性のせいか親密さと激しさの二面性を持ちあわせている。

とはいえ、かねてから人間の身近に暮らしてきた猫は、まれに人を助けることもある。『猫檀家』という物語では、神としての力を持った猫が世話になった和尚に恩返しをするというもの。犬より猫派の私としては、扱い方さえ気をつければ、猫は人間の良き友人となりうると信じたい。

【参考文献】
『遠野物語』 柳田国男、新潮文庫、2016年
『日本の昔話』 柳田国男、新潮文庫、1983年
『ビギナーズ・クラシックス 徒然草』  角川書店(編)、角川ソフィア文庫、2002年
『遠野物語小事典』 ぎょうせい、野村純一、渋谷勲、菊池照雄、米屋陽一(著)、1992年
『伊勢物語 土佐・更級日記』 ポプラ社、森三千代(編著)、1965年
『ユリイカ <特集・猫>』 青土社、1973年

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こちらは歌川国芳が描いた猫の世界です!


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書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。