日本には国の天然記念物に指定されている有名な五大桜があります。そのひとつが埼玉県北本市にある石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら・以下、蒲ザクラ)。植物学的にもとても珍しい樹種で、鎌倉時代の伝説が残る樹齢800年以上の古木です。蒲ザクラの歴史と見どころ、花の見頃まで、たっぷりと紹介します。
日本五大桜ここにあり、東光寺の石戸蒲ザクラ
蒲ザクラがある場所は、北本市石戸宿の東光寺(とうこうじ)です。その昔には武士の館がいくつもあったと伝えられている北本市。東光寺の周辺は石戸氏という有力な御家人が支配していて、堀ノ内館跡という大きな館の跡が見つかっています。その館を護り、一族の先祖を供養するために建てられたのが東光寺です。
見どころは独特の枝ぶりと霞のような白い花
東光寺の境内にある蒲ザクラの見どころは、太い根元から四方に幹を伸ばした独特の姿です。国の天然記念物に指定された大正11(1922)年の記録によると根回りは約10.8m、太い支幹が4本伸びてその枝の広がりは平均13m。春になって花をつけると、隣の市からも白い小山のように見えたというほどの大きさで「遠くからだと、とても1本の桜には見えない」と新聞に紹介されたこともありました。
「花時上尾付近より遠く望めば到底一本の桜と見る能わず」
大正6(1917)年の東京日日新聞に掲載された蒲ザクラの記事より
花は白っぽく小ぶりで、可憐。満開から散り際にかけては霞がかかったようで幽玄にも見えます。
花の見頃はその年の天候にもよりますが、例年ソメイヨシノよりもやや遅めの4月10日頃。ただし温暖化の影響によって、最近は少し早めに咲くことが増えているそうです。
800年の歴史と源範頼伝説がある桜の木
「蒲ザクラ」という名前は、蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれた武士・源範頼(みなもとののりより)にちなんだもの。範頼は源頼朝(みなもとのよりとも)の異母弟で、平氏追討では義経とともに活躍しますが、謀反の疑いをかけられて伊豆の修善寺に幽閉され、建久4(1193)年に亡くなります。しかし実は生きのびて北本市近辺に逃れてきたという説があるのだそう。範頼がついていた杖を土にさしたところ、それが根付いて桜の巨木になったという伝説があります。
蒲ザクラの歴史が鎌倉時代までさかのぼるとすれば、樹齢はざっと800年以上。
それを証明するかのように、桜の根元には古い板碑(いたび)がいくつも建てられていました。板碑は板石塔婆(いたいしとうば)とも呼ばれ、範頼の供養塔だと伝えられています。
文人たちも愛した江戸で話題の一本桜
江戸時代になると、蒲ザクラの評判は江戸市中にまで届き、遠くから見物に訪れる人がいるほどでした。
現在の埼玉県と東京都、そして神奈川県の一部にあたる武蔵国(むさしのくに)について詳細に記した地誌である『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』や、滝沢馬琴(たきざわばきん)の随筆『玄同放言(げんどうほうげん)』、長崎の平戸藩主だった松浦静山(まつらせいざん)の『甲子夜話(かっしやわ)』など、本の中でも紹介されています。
桜博士に認められ国の天然記念物に
その評判を聞いて、大正時代に蒲ザクラの調査に訪れたのは、東京帝国大学の植物学者で桜博士とも呼ばれる三好学(みよしまなぶ)博士でした。
欧米では急速な工業化によって環境が汚染され、減っていく動植物を保護する取り組みが始まっていました。三好博士はその危機がやがて日本にも訪れると考え、天然記念物という仕組みを導入しようとしていたのです。
昔は国宝と呼ばれた桜
蒲ザクラが国の天然記念物に指定されたのは、大正11(1922)年10月12日のことです。当時は天然記念物も「国宝」と呼ばれていたそう。このとき同時に天然記念物の指定をうけた全国の5本の桜は、国の宝である日本五大桜として全国にその名を響かせました。
令和4(2022)年で国の天然記念物に指定されてからちょうど100年を迎えます。
国指定天然記念物・日本五大桜
【福島県】三春滝ザクラ(みはるたきざくら)
【山梨県】山高神代ザクラ(やまたかじんだいざくら)
【埼玉県】石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら)
【岐阜県】根尾谷淡墨ザクラ(ねおだにうすずみざくら)
【静岡県】狩宿の下馬ザクラ(かりやどのげばざくら)
自生するのは世界に1本
蒲ザクラを見た三好博士は「外観はヒガンザクラのようであり、ヤマザクラのような点もあるが、これらと違うことがわかる」と記録を残しています。
「日本の巨木として著しい有名な桜があるが、そのなかでも特殊」であり、「神代ザクラと淡墨ザクラはヒガンザクラ、下馬ザクラはヤマザクラ、滝ザクラはベニシダレザクラであるが、この蒲ザクラは前述のごとく特殊な桜だ」と予見したように、その後の詳しい調査によって蒲ザクラはヤマザクラとエドヒガンの雑種であることがわかり、学術的にも「カバザクラ」という独立した種に分類されました。自生するのは1本だけの貴重な桜といえるのです。
枯れ死寸前から奇跡の復活
国の天然記念物として大切に保護されてきた蒲ザクラですが、戦後一気に樹勢が衰えて、昭和40年代には花を咲かせなくなり、新聞に「枯れ死寸前」と書かれたことがありました。
「年には勝てません/北本・天然記念物の蒲桜/特効薬なく枯死寸前」
昭和44(1969)年4月17日 読売新聞に掲載
水上勉の小説『櫻守』には、天然記念物に指定されて観光客がどっと来たはいいが、自動車の排気ガスで桜が衰えてしまうと主人公が嘆くシーンがあり、その例として蒲ザクラが名指しされます。
「蒲ザクラは、周囲をみかげ石で囲まれ、せっかく伸ばそうと思う根ェも張れんぐらいにしばられてます。」
水上勉『櫻守』より
北本市は桜の根元にあった板碑を別の場所へ移し、石垣を取りのぞいたり柵を広げたりして根が伸びるようにしました。また虫食いなどによって腐った部分を削って、ウレタンを詰めるなどの「外科的な治療」も施しました。花は少しずつ戻ってきたものの、木の大きさは以前の半分ほどにまで小さくなってしまったといいます。
平成16(2004)年には新しい試みとして、土の中に液体肥料を噴射する「フクラシステム」を導入。木を傷めずに土壌をやわらかくし、根を洗うようにして栄養を与える方法です。
これが功を奏し、花のつき具合や新芽の成長が大きく改善。現在では木の高さは12mとなり、遠くから小山のように見えたという巨木の面影を取り戻しました。
侘び寂びを感じる老木の根元から「ひこばえ」と呼ばれる若芽を伸ばし、悠久の時の中で生まれ変わるように命をつないできた蒲ザクラ。花の季節に一度は足を運んで、会いにいきたい桜の木です。
石戸蒲ザクラ基本情報
住所:北本市石戸宿3-119 東光寺境内
電話番号:048-594-5566(文化財保護課)
アクセス:JR北本駅西口から北里大学メディカルセンター行きバスで15分、「北里大学メディカルセンター」バス停下車、徒歩約10分
見学自由
無料駐車場120台
取材・写真協力:磯野治司(埼玉県北本市役所 市長公室長)
【連載】石戸蒲ザクラ国指定100周年 きたもと桜国ものがたり
1 一生に一度は見たい!源範頼伝説が残る、世界に1本の名木「石戸蒲ザクラ」とは?
2 トマトは昔、鑑賞用だった!全国に名を轟かせた「石戸トマト」の秘密に迫る
3 源範頼の墓が桜の下に?埼玉・北本市で石戸蒲ザクラと範頼伝説を探ってみた
4 高さ12mの巨木!?渡辺崋山が弾丸取材した、埼玉・北本の石戸蒲ザクラと範頼伝説
5 小さなお寺に貴重な文化財を発見!源範頼の逃亡伝説を紐解く
6 樹齢約800年の桜に想いを!日本五大桜の一つ「石戸蒲ザクラ」をモチーフにした七宝作品が完成!
7 ふるさと納税で登場!蒲ザクラ800年の歴史輝く「5種の七宝作品」開発ストーリー