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ひと言でいえば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である(国分功一郎『暇と退屈の論理学』)
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ひと言でいえば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である(国分功一郎『暇と退屈の論理学』)

読み物
Culture
2022.07.19

大河の予習に『慈光寺本承久記』を読んでみたら、最後の1文がめちゃくちゃカッコよかった。

この記事を書いた人

前代未聞の武士VS朝廷の戦いは、宣戦布告から敗者の処遇を決めるまで、わずか3カ月で終わりました。『慈光寺本承久記』の最後の章は、戦の後に京都がどう変わったのかを書いています。

慈光寺本承久記シリーズ、今回で最終回です(´;ω;`)

戦が終わってめでたい

後鳥羽上皇政権の時代から、今はすっかり変わってしまった。けれどその分めでたいことが多い。

軍記物語は戦によって多くの命が失われ、生き残った人にも甚大な被害があり「あはれ」さを描くものですが、『慈光寺本承久記』はちょっと違い、戦が終わっためでたさを描いているのです。

まず、後鳥羽上皇が京都からいなくなったため、新しい政権が発足します。

GODIVA夫人ならぬ、まさかのGOTOVA上皇…!?↓↓↓


全裸で乗馬!?尾上松也演じる後鳥羽上皇が西面武士を作った理由とは【鎌倉殿の13人】

VIVA! 後高倉政権

承久3(1221)年8月16日に、後鳥羽上皇の兄・守貞(もりさだ)親王は、後高倉(ごたかくら)上皇となって、政治を思いのままに取り仕切った。出家した身で上皇となったのは、なんにせよめでたい事だ。

守貞親王こと後高倉上皇は、後鳥羽上皇の同母兄です。源平合戦の時に平家に連れ去られた安徳(あんとく)天皇の次に誰が天皇になるか決める時、後鳥羽上皇と一緒に最終選考まで残っていました。

最終選考って言うと、ASAYANオーディション思い出しちゃうなぁ。

結局、弟の後鳥羽上皇が選ばれて、後高倉上皇は出家することになりました。しかし承久の乱が起きて次の天皇を誰にするかを鎌倉幕府が決めることになります。そこで選ばれたのが後高倉上皇の息子・後堀河(ごほりかわ)天皇でした。

そして天皇の父である後高倉上皇は、なんと天皇になっていないまま、上皇となったのです。その事を『慈光寺本承久記』でも「驚くべき事」と書いています。

8月23日、後高倉上皇は大炊(おおい)の屋敷に引っ越した。上皇が今まで暮らしていた所は、ヨモギや雑草が思いのままに生い茂っていたのに、今は涼しげな美しい庭がある。

この庭にある松の木は常緑樹だから、後高倉上皇の御代がずっと続くことの象徴に思える。後高倉院がこのように栄えるために、あの戦乱があったのだろう。

これは……物凄い讃えっぷり! さてはこの作者、後高倉院が最推しですね!? そしてこの記述から、後高倉上皇の前のお住まいを知る間柄なのでは? という推測もできます。

とにかくめでたい!

承久の乱は、後高倉上皇のためにあった! と言い切る『慈光寺本承久記』。この後はひたすら「めでたい」を連呼しています。

何をめでたいと言っているかというと……。

承久3(1221)年10月10日、親幕府派として監禁されていた西園寺公経(さいおんじ きんつね)が内大臣(うちのおとど)になった。就任の儀式があり、大宴会をした。

11月、新嘗祭(にいなめさい)の舞姫4人を、新しい政権の大臣たちが推薦した。

12月1日、後高倉上皇の御子、後堀河天皇の即位式があった。天皇の姉・邦子内親王が養母となり、皇后の宮殿の管理責任者となった。

と、朝廷の人事が新しくなり、素晴らしい未来が待っている。そんなような書きぶりです。ここら辺が『平家物語』の、物悲しい余韻が凄まじい「あはれ」の世界とは全く違います。

どちらが好みかは人それぞれでしょうが……現代でも愛好者が多いのはどちらかというと、やっぱりしんみりとした「あはれ」の方が、日本人好みなのかもしれませんね。

日本人って、ちょっと暗いストーリーを好む傾向がある気がする。

めちゃくちゃカッコイイ最後の一文

でも! 『慈光寺本承久記』のラスト1行、私はめちゃくちゃ好きです。

めでたさも、あはれさも、この世のありさま、おおむねかくの如し

めでたい事も、悲しい事も、この世とはおおむねこんな感じである。

『慈光寺本承久記』は、大きな戦があっても、悲観しません。悲しい事があれば、めでたい事もある。それがこの世だと、胸を張っているような感じがします。

陰謀渦巻くだの、ドロドロだの言われる鎌倉時代ですが、そんな鎌倉時代に生きていた人も、それなりに人生を謳歌していたんでしょうね。

確かに、人生は辛いことも悲しいこともあれば、おめでたく嬉しいこともある。人生そのものが『慈光寺本承久記』に詰まっていました。

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。