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馬場あき子選、王朝時代を代表する恋の歌3首
思ひ川たえず流るる水の泡のうたかたびとにあはで消えめや
伊勢
読み:おもひ(い)がわたえずながるるみずのあわのうたかたびとにあは(わ)できえめや
意味:私の深い思いにくらべれば、あなたの思いはまるでうたかたのようにはかないものです、とはいえ、どうしてあなたに逢わすに消えることができましょう。
【解説】
伊勢は懇意にしていた男に黙って、宮参りなどをして山にこもります。しばらくして帰ってきたら、男から、「僕に黙ってどこに行っていたの。心配で心配で、消えてしまったかと思った」という手紙が届く。それに対して、すぐさま返答した歌です。
「思ひ川」は歌枕であり掛詞です。「うたかたびと」は、浮気でしょっちゅうついたり消えたりするような男を表しています。そんな泡のような男であっても、私は好きですよと伝えているのです。ふたりの恋は所詮は遊び。でも、その遊びの中に真実があるのです。
こういう歌がすらすらと出てくるところなど、伊勢の歌の巧さは並大抵ではありません。言業選びが巧みで、贈られた男は嬉々とする。そんなことから、たくさんの男が伊勢に心惹かれていったのです。
黒髪の乱れも知らすうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき
和泉式部
読み:くろかみのみだれもしらずうちふせばまづ(ず)かきやりしひとぞこいしき
意味:思いも乱れて、黒髪を乱したままで床にうちふしていると、まっ先に恋しく思いだされるのは、この黒髪をかきなでてくださったあの人のこと。
【解説】
奔放な恋に生きた歌人として知られる和泉式部(いずみしきぶ)ですが、最後まで愛情に満たされることはなかったのです。いつも孤独な魂の飢えを感じながら、その魂が救われることを願い続けた。そのようなことから、彼女の恋の歌はたいがい、屈折していて暗いのです。しかし、この歌には温かさがある。和泉式部の面目が出ていると思います。
伊勢のように技巧的ではないのですが、だからこそ、場面が直に伝わってくるし、情に訴えかけてくるのです。王朝時代の和歌は、技巧に富んではいても、情に欠けやすくなります。和泉式部のこの歌には直情的な力があるゆえに、ひときわ魅力を放っているのです。
藤原定家の本歌取りをはじめ、待賢門院堀河や与謝野晶子など、この歌に影響された歌人は少なくありません。
桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならす人を待つとなけれど
式子内親王
読み:きりのはもふみわけがたくなりにけりかならずひとをまつとなけれど
意味:庭に落ち積もった桐の葉を、だれかが静かに踏みしめながら、近づいてくるような予感がして、その気配が身にしみている。必ずしも人を待っているわけではないのだが。
【解説】
この場面を想像してみると、屋敷にひとり耳を橙ました式子内親王(しょくしないしんのう)がいます。桐の葉は大きくて、踏むとガサッという音がするのです。それを踏む人はいないかと、じっと耳を澄ましている。そして、内親王の心情が下の句の否定の言葉に表れる。そこには、否定しても否定してもにじみ出てくる、艶な余情の美が感じられます。
この歌は式子内親王が50歳前後のころにつくられたもので、病苦を押して詠んだ百首歌の中にあるものです。内親王の生涯は、決して恵まれていたとは言えません。天皇の皇女という地位ゆえに自由な恋愛は許されず、だれに嫁ぐこともなく出家しています。しかし、その歌は見事な物語性と情感にあふれていて、「忍ぶる恋」の主人公を生涯かけて演じ切ったと言ってもいいでしょう 。
Profile 馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:https://www.ikuharu-movie.com)でも注目を集めている。
※本記事は雑誌『和樂(2005年9月号)』の転載です。構成/山本 毅
参考文献/『男うた女うた 女性歌人篇』(中公新書)、『女歌の系譜』(朝日選書) ともに著・馬場あき子