私の親友の娘は、尾上右近くん(ケンケン)のことが大好きである。1歳半の頃、我が家であった集まりで初めてケンケンに出会ったのだが、その時の写真を何気なく見返していたときに、彼女がどの写真でもケンケンを見ていることに気付いた。小さくても男前のことがちゃんとわかるんだなぁと微笑ましく思っていたら、なんとその数か月後、歌舞伎のチラシに掲載されているケンケンの顔写真を指さし、「パパ」と言い出したのだそうだ。(ちなみに本物のパパとはかすりもしないくらい似ていない)
幼いころから本物に触れられる「歌舞伎」
ケンケンのどの写真を見ても、「パパ」と言う。面白いのでしばらくそのままにしていたらしいが、外で言うといろいろ差支えがあるだろうということで、「ケンケンパパ」と言うように教え込み、以来ケンケンパパはずっと彼女のヒーローである。歌舞伎座のチラシを抱きしめながら保育園に行ったり、ケンケンの写真集のページを至福の表情でめくっていたり、ケンケンに書いたお手紙を、一所懸命に手を伸ばしてポストに投函したりしている写真が親友から送られてくるたびに、愛だなぁととてもあたたかい気持ちになる。
そんな彼女が「ケンケンパパのかぶきが見たい」と言い出したのは、4歳の頃だっただろうか。実はその時初めて知ったのだが、歌舞伎座の入場に年齢制限はない。様々な劇場や施設で「未就学児の入場はご遠慮ください」などと書いてあることが多いが、さすが歌舞伎は懐が深い。子役の活躍する演目も多いし、その同級生の子たちが見に来ることも多いのだろう。私自身、歌舞伎を初めて見たのはおそらく初等科の3年生のころ。中村勘三郎(当時勘九郎)さん親子の連獅子だったが、同い年の勘九郎(当時勘太郎)くんが、大勢のお客様を前に舞台上で堂々と毛振りをする姿に大いに刺激を受けた。この経験がなかったら、私が「また歌舞伎を見に行きたい」と思うことはなかっただろう。幼いころから本物の伝統芸能に触れることで、子どもが得るものはとても大きいと思う。
4歳でケンケンの「櫓のお七(やぐらのおしち)」を1時間半静かに見られるか、両親は心配していたが、所々楽しそうに笑いながらしっかり座ってみていたそうだ。お七が欄間に隠れているときは、「あそこ」と指さしたり、木戸が閉まっていて出られない場面では「自分で開ければいいのに」とつぶやいたり。きちんと話が理解できていることに感心してしまった。
「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」の弁天小僧菊之助をケンケンが演じたときは、1階席から間近で見るケンケンに大興奮。でも、ここで問題が。話がわかってしまうだけに、「あれは誰?」「ケンケンパパはどこに行ったの?」などと質問が止まらない。母はたまらず彼女を連れて退席したのだが、「席に戻りたい!」「ケンケンパパを見たい!」と大号泣。ロビーの係員の人が、モニター前に椅子を置いてくれたり、後方の席を準備してくれたりしたそうなのだが、「こんな後ろじゃ見えない!」とぐずってまた退席。結局涙にくれる娘に、ちゃんと静かにできるかを確認して、落ち着いてから元の席に戻ったそうだ。
その後は、花道で見得を切るケンケンに手を振ったり、うっとり見つめたり。幕切れではケンケンと目が合い、笑顔をもらえたことに大喜び。うれしさのあまり、興奮気味に母に抱きつき、「ママのおかげよ!」とほっぺにキスをしてくれたそうだ。家に帰ってからは、弁天小僧の絵本を読みながら、1日のおさらいをしていたらしい。心から歌舞伎を楽しんでいることがわかり、頭でっかちな知識など、楽しむためには必要ないのだと感じさせてくれる。
1歳半のときに芽生えた愛が、彼女が小学生になった現在まで継続していることもすごいと思うし、その愛が歌舞伎へと派生して、今はケンケン以外の役者さんが出ている歌舞伎も見に行っているのだから、きっかけが何になるかはわからないものだと思う。
日本文化は、理解しようとするのではなく、感じる
「古典芸能は、子どもには難しくてわからないだろう」と思うのは、大人のエゴなのだと改めて実感する。心游舎の歌舞伎ワークショップのときも、子どもたちはこちらが何か誘導しているわけでもないのに、いつの間にか自分の興味を引くものを見つけている。それは「中村屋!」の掛け声であったり、美しい衣装であったり、独特なリズムの音楽であったり、見たことのない白塗りに赤い線の入った隈取であったり、おもしろい三つ編みのかつらであったり、右手右足が同時に出る六方の動きであったり。何が子どもの琴線に触れるかはわからないけれど、本物の力は必ず子どもに伝わっている。
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そういえば、外国人の反応も子どもと似ているかもしれない。外国の友人を歌舞伎に連れて行くとき、イヤホンガイドを借りるかと聞いても断られるときがある。終わった後に感想を聞くと、言葉は全くわからないのに、筋はしっかりわかっているし、「足踏みをするのはどういう意味があるのか」とか「あの侍が頭に巻いていた紫色の紐はなんだ」とか、あれこれ質問される。歌舞伎を見慣れていると、そういうものだとなんとなく流してしまうことでも、質問されることで改めて意味を知ることもあり、とても刺激をもらっている。
正直なところ、言葉がわかる私も、義太夫とか清元とか、BGMとして心地よく聞いているだけで、何を言っているのか未だにほとんどわかっていない。外国人や子どもたちのように、歌舞伎を理解しようとするのではなく、感じることが何より大切なのだと思う。先入観を持たずに文化に触れることで、純粋にその魅力を知る。これが本当の文化の楽しみ方なのではないだろうか。