屋号は音羽屋(おとわや)。清元宗家七代目 清元延寿太夫の次男。曾祖父は六代目尾上菊五郎、母方の祖父には俳優の鶴田浩二。2000年4月歌舞伎座『舞鶴雪月花』松虫で、岡村研佑の名で初舞台。七代目尾上菊五郎に預けられ2005年1月新橋演舞場『人情噺文七元結』の長兵衛娘お久ほかで二代目尾上右近を襲名。2018年2月七代目清元栄寿太夫を襲名。2022年、映画『燃えよ剣』にて第45回日本アカデミー賞「新人俳優賞」を受賞。
その瞬間、バーッと世界に入り込んだ
右近さんが「衣裳の力を感じた」と語る拵えは、『東海道四谷怪談』のお岩。怪談で有名な、あのお岩様です。
「2024年6月に、博多座で初めて演じました。お岩様が羽織る丈の長い褞袍は、衣裳さんに新調していただいたものです。六代目尾上梅幸が演じた際の写真を参考に再現した柄で、武士の娘の堅さや女方の柔らかさを感じさせます。他の方が『四谷怪談』をやる時にもぜひ着ていただき、舞台を重ねることで衣裳として、より良い風合いにくすんで、ヤレて(くたびれた感じに馴染んで)いけばと思います」
実は歌舞伎でお岩様を演じるより先に、右近さんは映画『八犬伝』の劇中劇でお岩様を演じました。限られたシーンをカメラの前で演じただけで「なんてすごい役だろう」と感じ、すぐに撮影現場の方々に「僕、自主公演で『四谷怪談』をやります!」と宣言をしていたそうです。その準備中、思いがけず「博多座で『四谷怪談』をしませんか」と本興行のお話がきたのだとか。まさに「役者が役に呼ばれる」と表現される経験です。
そうして迎えた博多座公演。
右近さんは、お岩様だけでなく、小仏小平、佐藤与茂七も含めた三役を勤めました。小仏小平からお岩様へ急いで着替える場面では、衣裳が持つ特別な力を体感したと言います。
「小仏小平はボコボコにされて猿ぐつわで押し入れに監禁されます。押し入れの襖が閉まったら、僕はすぐにお岩様の衣裳に着替えはじめるのですが、この仕度時間に意外と余裕がありません。急いで猿ぐつわや鬘を外し、小仏小平の衣裳を脱ぎ、一度全身白塗りの裸ん坊状態になります。そこへお岩様の着物を羽織った瞬間に、バーっとお岩様の世界に入り込むような体験をしました。それまで早替りでは、意識的に演技を切り替えて次のお役になるよう演じていました。でもこのお芝居では、衣裳によって別のお役になれた。なんて凄いお役だろう、 と思いました」
お岩様は、右近さんにとって大切な役のひとつとなりました。
「もともと十八代目中村勘三郎さんの『四谷怪談』が大好きで、お岩様のお役は中村勘九郎さんに教えていただきました。ただ舞台に立つ時は、憧れてきた中村屋のお岩様を思い描きながらではなく、あくまでもお岩様と向き合わなくては、と思うんです。そうでないとお岩様が『あ、中村屋が作ったお岩様をやりたいのね。いいんじゃない? 私はこっちから見ているわね』と離れていくように感じられて。僕はあなたになりたいんです、一番そばにいてください!と向き合って初めて寄り添ってくれる。そういうお役なのかもしれません」
「敬愛する横尾忠則さんからは、『お岩さんはいわく付きの役だと言われることもあるけれど、きちんとお参りをしてお守りをそばに置きお岩さんを思って舞台を勤めれば、そのパワーは逆に愛に変わって応援になる。この先役者として一生やっていく大きなパワーになってくれると思うよ』と言っていただきました。それを実感する舞台でした」
右近さんにとってこのお役が特別なものとなったように、かねてより先輩俳優の方々からも「あれほど没入感のある役は他にない。一度は絶対に演じるべき」「自分にとって一番好きな役」とお岩様役をお勧めされていたのだそう。
決して派手ではないこのお役に、演じ手の皆さんが惹かれる理由とは……。
「僕個人の感覚ですが、本質的なものを見て欲しい、とお客さんに求める自分がいるのかもしれません。派手でエネルギッシュなお役も、もちろん魅力的です。その方が多くのお客さんに飽きずに楽しんでいただけるものだと思います。でも歌舞伎の決まり手はパワーで寄り切るだけではありません。すかしたり引き込んだり。静かな表現で引き込む力もあるんです」
象徴的なのは、舞台上でたった一人、お岩様が身支度をする場面。
「薬を飲み感謝をし、やがてその薬の毒が体に廻っていく。映像ならパッと切り替えてカットして繋いで数分で収められるシーンかもしれません。でも歌舞伎では10分ほどの時間をかけてその一部始終をご覧いただきます。お客様にはその過程に引き込まれていくような芝居をお見せしたいし、役者としてそういう芸を磨いていきたい。役者の自己満足だと言われるかもしれませんが、それも含めてお客様に愛してもらえたら、と思うんです」
『二人椀久』にルーツを感じて
2025年1月は、歌舞伎座でお正月恒例の演目『寿曽我対面』、長唄舞踊の大曲『二人椀久』、そして新作歌舞伎『大富豪同心』の3演目に出演されます。
その中でも『二人椀久(ににんわんきゅう)』では、タイトルロールの「椀久」こと椀屋久右衛門を勤めます。自主公演『研の會』で勤めた経験はありますが、本興行では初役。自主公演で選ぶくらい、思い入れのある作品ともいえます。
「尾上流の手ほどきを受けたおかげで、今の僕があります。尾上流出身の歌舞伎俳優として、そのルーツに思いを込めて心して舞台を勤めたいです。お稽古は自主公演の時も今回も、今の尾上菊之丞先生に見ていただいています」
『二人椀久』あらすじ
椀久は裕福な商家の若旦那でした。しかし傾城松山太夫に入れあげてしまい、親族により引き離されて自宅の座敷牢に閉じ込められてしまいます。松山太夫に会いたいあまり正気を失い座敷牢を抜け出します。そんな椀久の前に現れたのは、幻想的なまでに美しい松山太夫でした……。
松山太夫を演じるのは、中村壱太郎さん。自主公演に続くコンビです。
「マイペースに、僕ららしい『二人椀久』をお見せしたいです。『二人椀久』といえば、五世中村富十郎さんと四世中村雀右衛門さんのコンビが、まさに伝説として語り継がれています。それだけに『あの二人を知らないのか?』『あのようにやるべきではないのか?』という声もあるでしょう。もちろん、僕らもあのお二人の『二人椀久』を知っていますし、皆さんが想像される100倍は、あのお二人の『二人椀久』をリスペクトしています。でも、いくら憧れているからといって、憧れを憧れのままお見せするのは違うと思うんです。富十郎さんと雀右衛門さんのお二人は、周囲が論ずるよりもずっと、想像を絶するほどに心と身体が動くまま、おふたりだけのマイペースで『二人椀久』を踊られていのでは、と思うんです。だからこそ、あのお二人とまったく同じに踊ることよりも、今の僕と壱太郎さんの『二人椀久』を、今の僕らが徹したい方向へ突き詰めた芸としてお見せすることに価値があると思っています」
そして「いま思い出したのですが」と右近さん。
「僕がまだ小学生だった頃、富十郎のおじさまがおっしゃっていました。『どんなものでもよく見るんだよ。若いうちは、とにかくよく見て真似をすればいい。絵も1時間とかかけてよく見る。歌舞伎もそう。先輩の舞台をよく見て真似して真似して真似し続ける。そうすればある日、自然と“自分”に出会う時が来るから。ただその時に“自分”を選べないと、役者は一生真似で終わるよ』と。富十郎さんの代名詞的作品のタイミングで、小学生の頃にうかがった言葉を思い出せたのは……その時が来ているのかな、という気がします!」
1月は朝から晩まで歌舞伎座で
1月は『二人椀久』のほかに、『寿曽我対面』と『大富豪同心』にも出演。『寿曽我対面』では、曽我兄弟の仇討ちを手助けする侍の朝比奈を勤めます。
「朝比奈は、同世代の仲間である坂東巳之助さんがよく演じている印象の強いお役です。気心の知れた間柄なので、『みっくん(巳之助)、いつも朝比奈やってない?』って冗談を言っていたくらい(笑)。『でも、みっくんの朝比奈が素敵だから俺もやってみたいな』『まじ? 結構骨折れるぜ?』なんて話をしていました。実際、朝比奈はお化粧に時間がかかるし、衣裳も大きいですし大変なんです。でもいつか、と思っていたところ今回は巳之助さんの曽我五郎に、僕の朝比奈。配役を知った時は、ふたりで大喜びしました」
さらに『大富豪同心』にも出演。中村隼人さんが演じる大富豪の同心を、いつもそばで支える幇間の銀八を演じます。
「同世代の中村隼人さんが主演する舞台です。僕らの世代に1月の歌舞伎座の一演目を任せていただける。ありがたいことです。朝から晩まで歌舞伎座にいられることも嬉しいです」
執着したい、六代目と『鏡獅子』
右近さんが歌舞伎俳優を志したのは、3歳の時。そのきっかけとなったのが、曾祖父である六代目尾上菊五郎の『鏡獅子』の映像でした。それを観て以来「いつか『鏡獅子』を」と憧れてきたと言います。
「六代目と『鏡獅子』は、僕の中でずっと変わらない“これだけは執着させて!”という存在です。六代目は今も受け継がれる『型』を数多く世に残しました。そのクリエイティブな精神に憧れます。同時に、六代目は僕の中で絶対神。クリエイティブも大事だけれど、六代目に関してだけは六代目が作ったままにやることが大事でこれを超えることはない! とも思うんです。」
その上で「六代目の型を守る時に、今の時代の技術、仲間とともに、六代目と同じ熱量で新しい舞台を作り上げることが今の歌舞伎役者としての使命」とも語ります。
「そうでなければ、現在の歌舞伎役者の存在意義がなくなってしまいますし、受け継いでいくものへの責任感がちょっと薄いんじゃない?という気持ちにもなってしまいますので」
新作歌舞伎から古典歌舞伎、さらに映像作品まで八面六臂のご活躍の右近さん。本興行での『鏡獅子』への期待も高まります。
「最近になり、皆さんから『鏡獅子』はまだ? いつやるの?なんて言っていただくことが増えました。以前はいくら自分から『鏡獅子』をやりたい! と言い続けても、自主公演でやっても、誰もそんなことは言ってくれませんでした。役者がよく“役に呼ばれた”といいますが、時期が近づいているのかな……もしそうだったら嬉しいです!」
取材の終わり、右近さんはふと深刻そうな表情で口を開きました。
「いざ『鏡獅子』をやる時がきたら、僕はその1ヶ月をどう過ごしたらいいんだろう……。瞬間瞬間にかけるマインドの作り方や生活の仕方を、オリンピック選手の方とかにお聞きしたいなとか考えちゃいますね。そうだ、僕、昔から室伏広治さんが大好きで、いつかお話をうかがってみたいと思っていたんです。室伏さんにお会いして『鏡獅子』をやる。これが僕の、2025年の目標です!」
関連情報
壽 初春大歌舞伎
歌舞伎座 2025年1月2日(木)~1月26日(日)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/921
歌舞伎NEXT『朧の森に棲む鬼』
博多座 2025年2月4日(火)〜2月25日(火)
https://oboro-no-mori24-25.com/
三月大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』
歌舞伎座 2025年3月4日(火)~3月27日(木)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/929
映画『ライオン・キング:ムファサ』
2024年12月20日(金)公開
シンバの父で後のプライドランドの偉大な王ムファサの日本版声優を右近さんがつとめています。
https://www.disney.co.jp/movie/lionking-mufasa/voice-cast