鎌倉時代初期の歌人、藤原定家によって「小倉百人一首」が編まれたのは、770年も昔のこと。以来百人一首は、時を超えて、今なお強い光を放ち続けています。そこには、日本人が紡ぎ続けた言葉の記憶があり、百首の向こうには、何万何十万という奥深く、そして美しい和歌の世界が横たわっています。
「百人一首はなぜ古びないのか?」その問いに対して、古典文学に魅せられた人々はこう答えます。「日本語は和歌を詠むためにできた言葉であり、古典にはすべての新しさが潜んでいる」と。さあ、百人一首を入口に、無限に連なる古典の世界へと出かけてみませんか。
百人一首は和歌への入り口であり、到達点でもある
(解説 神作光一)
「小倉百人一首」(以下「百人一首」)には、現代に生きる私たちをいまだに惹きつけるものがあります。それはこれら百首の歌が、鎌倉時代の初めに、歌人・藤原定家によって巧妙に選ばれたものだからなのです。
「万葉集」以来の秀歌を的確に引き出して、示してくれたのは定家の力量です。定家の晩年の目の高さは、並の歌人のものではありませんでした。定家は平安時代の「源氏物語」の校訂をしていますし、「枕草子」三巻本というのも書写に関わっていると言われています。「伊勢物語」にも定家本があります。
平安時代のものをこれでもかこれでもかと校訂してきて、誰よりもよく読み込んでいた定家。歌の実作の力も併せ持った晩年に、めがねにかなった歌を集めてつくったのが「百人一首」です。ですから、「百人一首」は親しみやすい古典の入門であると同時に、定家の狙ったとおりの奥深さがわかったなら、古典を読む人たちの教養を強烈に刺激するものなのです。古典がわかってきた人が、たとえば「源氏物語」を読み終わって、もう一度「百人一首」に戻ろうとするとき、「若いときには気がつかなかったけど、この歌はこうも読めるのか」と思い当たる。そこで、定家のカミソリのような鋭い選択眼や、見事な感性の集積を感じ取るに違いありません。
「百人一首」は、後世の文学にも大きな影響を与えています。私は、いちばん写実が行き届いているのは「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々(せぜ)の網代木(あじろき)」という権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)の歌だと思いますが、これが実に的確で、後のアララギ派のお手本になるような歌なのです。宇治川の霧が徐々に晴れてきて、魚を獲る仕掛けが時間の経過とともに見えてくる、というのですから。
この中には、作者独自の感性が表現され、日本語の持つリズムの美しさがある歌ばかりが選ばれています。そして、ひとつひとつの素材に対する作者の向き合い方を、しっかりと受け止めた定家の見識の確かさも現れています。たとえてみれば、「百人一首」は高い山のような存在です。1000mの山に登ると、下にいたときは見えなかった2000mの山が見えてきます。2000mの山に登って終わりかと思ったら、後ろに富士山がそびえているのが見えてきます。山に登ると、登った人だけに見える素晴らしい景色があるのです。それが古典文学の奥行きの深さであり、見事さだと思います。「百人一首」を読むときには、それも楽しんでもらいたいと思います。富士山も、登っているときは息苦しい。でも御来光を仰いだら、「ああ登ってきてよかった」と思うでしょう。
古典の世界への入り口であると同時に、ある到達点をも示している存在、それが「百人一首」なのです。
解説/神作 光一(和樂2006年2月号より)
写真/篠原宏明
▼漫画でわかりやすく
超訳百人一首 うた恋い。 (コミックエッセイ)