撮影/今井裕治
石川県金沢市で日本舞踊を習い始めたことが女方への入り口に
梅雨の合間、そっと編集部に現れた篠井さん。スーツのお姿でしたが、たおやかで柔らかな物腰はすでに舞台のワンシーンのよう。
甘いものがお好きだそうで、編集部の用意した差し入れに笑顔を見せてくださいました。スタッフにもすすめてくださったので、お相伴にあずかり。思わぬもぐもぐタイムを経てからインタビューに応じてくださいました。
——現代劇の女方さんという存在は、今とても珍しくなっていますよね。
篠井英介さん(以下、篠井): どこまでを女方と呼ぶか、ということもあるんですけれども……思い浮かぶ方は何人かおられます。ただ、コンスタントにずっといろんなジャンルで、小劇場から商業演劇まで、呼ばれれば女性役を演じに行く人、しかもそれを40年ぐらいやっているのは(笑)、僕だけかもしれませんね。
——歌舞伎では今も存在していますし、新劇の一派である劇団・「新派」の中にも、かつて女方専門の人間国宝・花柳章太郎さんがいらっしゃいました。
篠井:新派には今も河合雪之丞さんがいらっしゃいますけれども、現代演劇という枠組みの中でという意味では僕ぐらいしか今いないんじゃないかと思います。
きっかけは日本舞踊の女踊り
——今は男性が女性を演じることが、オールメールの座組が増えたことに伴い多くなった気がいたしますが、そもそも篠井さんが女方を目指したきっかけはなんだったのでしょうか。
篠井:出身が、石川県の金沢でして。それで、5歳くらいから日本舞踊を始めました。変わった子ね、とは言われましたけれど……男の子でも踊りを習える文化的な環境が、金沢には根付いていたんです。
——加賀友禅や茶屋街、さまざまな文化が身近にある土地ですよね。
篠井:小さい時に踊りを始めると、女踊りからお稽古するんですよ。なぜなら、その方が体に色気が出ると。歌舞伎の方もそうです。おいおい大人になって、立役(男役)や女方と分かれる時にも、どちらの踊りもできるほうが有利になりますから。 たとえ立役になっても、相手の女方さんの心理や、体の使い方を分かっているほうが、お芝居がスムーズでしょう。だから歌舞伎の方たちも、みんな最初は女踊りから始めます。
——最初は日本舞踊の女踊りから興味が広がったんですね。
篠井:あ、なんか女踊りの方が楽しいとか、こちらの方がなんか上手に踊れる、と子供心で思いました。なんで女方なんですかってよく聞かれますけれど、「自分で確信もないですけど、好きだし、得意な気がするんですよ」とお答えしています。かなり単純な話で(笑)。
日芸から劇団「花組芝居」、そして紀伊国屋演劇賞まで
——その後、日本大学芸術学部に進まれています。歌舞伎の道には進まれなかったんですね?
篠井:歌舞伎も好きなので、もちろん弟子入りも考えました。当時はまだ、歌舞伎のおうちに生まれた方以外は舞台に立つこともなかなか難しくて。日芸に入学したら、東京は広いなと思ったんですけれど、なんと、僕のように女方志望の人がいたんです! 他にもいるんだ、と驚きました。それが、花組芝居の主宰である加納くん。
——運命的な出会いですね。
篠井:お互い歌舞伎研究会に入っていましたが、「僕たちで女方をやれる劇団を作りましょう」という話になりました。場がないんなら、自分たちで場を作っちゃえっていうのが「花組芝居」の始まりで、そこでいろんな役を演じさせてもらいました。
20代はずっとやっていましたね。でも、生活費を稼ぐためにアルバイトをして、次は劇団の公演、それからまたアルバイトに戻って……とずっと繰り返していました。楽しいけど、続けるのはちょっとまずいかもと考えるようになったんです。
——体力的にもハードになってきますよね。
篠井:このままじゃいけない、一度外に出なくちゃ、と飛び出すことを決意しました。それで所属していた花組芝居を辞めさせていただいて、そこから現在に至るという感じです。
劇団の外に出ても、女方であるということはゆらがなかった
——劇団を出てからも、女方であるということは揺らがずに?
篠井:そうですね、舞台ではとにかく女方をやりたいと思ってきました。テレビや映画のお仕事でいただくのはもちろん男性役なので、そちらも演じます。特に僕の場合は悪役がすごく多い(笑)。不思議なんですけど。
——映像作品では、今、目の前にいらっしゃる篠井さんとは雰囲気が全く違う役どころが多いですよね。
篠井:もうね、ものすごく嫌な人ばっかりやっていて(笑)。それはそれで、楽しんでやっています。
——舞台では女方を貫かれてきたわけですが、正直、困難な道ではなかったんでしょうか?
篠井:先だって、紀伊國屋演劇賞をいただいて、今年の頭に授賞式があったんですけれど。
——お伺いしようと思っていました。個人賞を受賞され、その時に「評価されない時期もあった」とお話されていましたね。
篠井:その時に演劇評論家の大笹(大笹吉雄)さんが「篠井さんは本当に40年、女方でしぶとく残ってやってきていましたね」って言われて。「わあ、そう見えるんだ。すごくしぶとく見えるんだ」と思って(笑)。
——(笑)なかなかできないことだと思います。
篠井:受賞した作品はどちらも(※イキウメ公演「人魂を届けに」山鳥役、ケムリ研究室公演「眠くなっちゃった」ボルトーヴォリ役)女方として出演したお役だったので、あ、ようやく演劇の中で、女方としての僕を、皆様に認めていただいたのかなと思って。とても幸せで、同時に嬉しかったです。
現代劇の女方として……苦労と周りの評価
篠井:今はもう、男性が女性役をやると発表されても不思議じゃない時代になっていますけれど、僕が始めた40年ぐらい前は、まだまだそんなことなくて。ゲテモノ的に思われることもありました。こっちは真剣にやろうとしているわけです。女優さんの中に混じっても、「この女性役を篠井君にやらせたい」と思ってもらいたいし、作品に貢献できる女方でいたい。
——篠井さんの場合は、男性だけの芝居で娘役を担当する、というわけではないですよね。
篠井:女優さんと一緒に入っても違和感のない女方でいたい、というのが僕のポリシーなので、別に悪目立ちをしたいとか、そういうつもりでやってきているわけじゃありません。だから、「ああ、なかなかお認めいただけないな」と感じる時期も長かったですね。
——それでも、女方をやめようとは思われなかったんですか。
篠井:はい。女方がやっぱり一番自分を生かせると思っていましたし、これからもそうでしょう。そういえば、大好きな作品を上演するにあたってはとても苦労しました。
「男が演じるなんて」9年間閉ざされた「欲望という名の列車」上演への道
篠井:アメリカの劇作家・テネシーウィリアムズ「欲望という名の列車」という作品がありまして、僕はその主人公・ブランチを演じたくて。20年以上前に上演しようと思って、アメリカのエージェントに連絡して上演許可を取ったんです、今はもうないんですけれど、青山円形劇場で。
——渋谷にあった、「こどもの城」の劇場のひとつですね。
篠井:チケットも売り出して、チラシもできて、お稽古を始めましょうという時に、著作権の管理者からいきなりストップがかかって。「男がヒロインのブランチ役をやるなんて、まかりならん」と言ってきたんです。
——ええ、今までわかっていなかったんですか!?
篠井:外国の名前だから男か女かわからなかったんでしょうかね。当時の感覚では、アメリカが誇るリアリズム演劇の大変な名作を、ジェンダーを取り違えてやるなんてことはありえなかった。必要なお金も既にお支払いしていましたし、筋はちゃんと通していましたが、どうしても駄目と言われて。あの時は困りましたね。
——どうなさったんですか?
篠井:劇場と一緒に弁護士さんに相談したら、いったん上演許可は出ているし、作者が男が演じる=NGと表明しているわけでもない。勝てると思うけれど、2年ぐらいかかると思います、と……長い長い、無理無理って(苦笑)急遽、あてがきの新作を書き下ろして上演という形になりました。
——本番直前だったんですよね。
篠井:そう、一か月前です。そういう……少し苦い思い出がありまして。でも、僕はどうしてもそのブランチをやりたくて、それからもずっと、毎年毎年、そのエージェントさんに「ダメでしょうか」とお伺いを立て続けていたんです。ある時、自分の所属しているマネジメント会社のデスクの女性が、声をかけてくれました。ウィリアムズの他作品で、男性の映画スターが女性役をやっている記事が雑誌に載っていたと教えてくれて。すぐさまエージェントさんに「男でも許可出しているじゃないですか、どうですか」と問い合わせました。そしたら動いてくださった。結局、上演できるまでに9年かかりました。
——9年間ずっと問い合わせ続けられていたということですか。
篠井:はい、まさに言われたように「しぶとく」(笑)手紙を送っていました。
——もしも、8年目に問い合わせることをやめていたら実現しなかったわけですよね。本当に素晴らしいことだと思います。そういえば、日本では女方という存在は昔からあり、そこまで異性が演じることに抵抗がないような気もします。
篠井:もともとアジア文化圏に女方という文化はあります。日本は特に、歌舞伎は全員男性が基本ですし、宝塚もある。そういう意味では舞台に上がる人たちが性を変えて出てくるということに、日本人はあんまり抵抗ないのですが、外国はリアリズム演劇の長い歴史があるので。やっぱり性別に沿った役を演じるべきという固定観念が強かった記憶があります。
今の時代は俳優もライバル! 女方を長年演じてきたからこそできること
——今はジェンダーの多様性も広がっています。そうした背景を踏まえると、可能性の世代とも言えるのでしょうか?
篠井:僕なんかからすると、今はみんなライバルみたいに感じていますよ(笑)。普段女方じゃない方も、皆さん上手になさるから。僕らの時代は他にいなかったから、大変だったけれど同時に唯一無二的な感じはありました。こんな時代になっちゃって、「皆ライバルじゃないか!」って。
——そうした、普段女方をやっていない方の娘役と、ずっと女方を極めて来られた篠井さんの、演じ方の違いはどこだと思いますか?
篠井:僕は長くやってきていますし、逆に今は年も取りましたから、そぎ落としていくことができるんです。特別な意識を持たずに、すんなりと、シンプルに役に入れる。これは経験が磨いてくれたことかもしれません。
——具体的に、女方として転機となった瞬間はありますか?
篠井:転機……。劇団、花組芝居を出たときもそうですし、30代でアルバイトをやめて、俳優1本で生活できるようになった時もそう。でもやっぱり、夢のまた夢だった、ブランチ役を演じられた時でしょうか。もう一度、女方で頑張っていきたいと、あらためて肚が決まった瞬間でしたね。
毎回遺作だと思いながら
——何歳まで女方でいたいといった、希望はおありですか?
篠井:この歳になるともう、先がどうなるかもよく分かりませんから(笑)。今、オファーをいただいて、やると決めたお仕事を、本当にいつも、自分の遺作になるという気持ちで演じているんです。この先、仕事がもうないかもしれないという気持ちは常にあって。でも、ありがたいことにまた次のお話をいただくので、じゃあまた頑張らなきゃなって。そうした気持ちで、一つ一つをこつこつやっていくという感じでしょうか。
——篠井さんにとって、「一生懸命」ではなく、常に「一所懸命」なんですね。
篠井:そうかもしれません。いろんなご縁、ご恩、いろんな方のお力も借りながら、これを自分の生業にできていることが奇跡のように幸せだなと思います。女優さんはたくさんいらして、その中で女方である僕に声をかけてくださる。ただ……正直に言ってしまうと、やっぱり機会は少なくて。だから自分から企画をプレゼンテーションしに行くんです。今度上演する泉鏡花の『天守物語』もね、演出の方に一緒にやりましょうって、僕から声をかけたんです。
——そうなんですか!? ベテランである篠井さん自ら声をかけたなんて、驚きです。
後編に続く
篠井英介
1958年12月15日生まれ。1984年、男優だけのネオかぶき劇団「花組芝居」(前身・加納幸和事務所)に参加。看板女方として人気を博す。1990年に退団。その後は女方のみならず、映像作品で中性的な役や悪役など、変幻自在の演技派俳優として活躍中。 1992年、第29回ゴールデンアロー賞演劇新人賞受賞。 2014年、石川県観光大使に任命。日本舞踊の宗家藤間流師範名取・藤間勘智英でもある。2023年、紀伊国屋演劇賞個人賞受賞。
PRAY▶︎vol.4 × 篠井英介 超攻撃型“新派劇”「天守物語」
日程
2024.8.22(木)‐27(火)
8月22日(木) – / 19:00
8月23日(金)14:00 / 19:00*
8月24日(土)13:00 / 18:00*
8月25日(日)13:00 / –
8月26日(月)14:00 / 19:00*
8月27日(火)13:00 / 17:00★
※開場は開演の30分前
※「*」付の回はアフターイベント有り
※★は追加公演
会場:
東京芸術劇場シアターウェスト
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1丁目 8-1 B1F
チケット:
<2024年6月8日(土)発売>
一般 6500円
25歳以下 3500円
公式サイト