取材は2024年9月中旬・都内のフレンチレストランで行った。 尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる茶道ユニット「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』
美少年と婚約した源頼朝の娘、悲劇の“ハンガーストライキ”
給湯流茶道(以下、給湯流):前回、『新古今和歌集』について解説いただきました。今回は、『新古今和歌集』の成立と同時代を生きた鎌倉幕府3代将軍、源実朝(みなもとのさねとも)が詠んだ和歌についてお伺いしたいです。
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馬場あき子(以下、馬場):顕嵐さんは、どうして実朝が気になっているの?
阿部顕嵐(以下、阿部):昔から、源義経(よしつね)が大好きで、その一族にも興味があります。とくに実朝は亡くなった年齢が今の自分とも近く、気になる存在です。
馬場:実朝は12歳で将軍になった、悲劇の人よ。
給湯流:阿部さんが芸能界に入ったのも、実朝が将軍になった年齢と近いですよね。
馬場:実朝は、きょうだいが壮絶な死を遂げるの。まず、お姉さんの大姫(おおひめ)。
木曽義仲(きそよしなか/※)と頼朝がお互い殺しあわないために、義仲の息子である少年、義高(よしたか)が鎌倉に人質としてやってくる。大姫と将来結婚するという表向きの理由で。まだ大姫は幼くておままごとをして遊んでいるような年齢よ。
阿部:おままごと! そんな年齢で結婚するのですね。
馬場:義仲は美形だという記録があるから、おそらく息子の義高も絶世の美男子だったはず。大姫は義高に非常になついたの。それで一緒に成長していったのね。
馬場:ところが、頼朝の命を受けた義経と戦って、義仲は敗死する。だから、義高は頼朝を親の仇だと思うであろうと推測される。
阿部:一族の間で……悲しいですね。
馬場:それで、頼朝は鎌倉にいる義高も殺そうということになった。大姫はその気配を察して、義高のそばを離れないわけ。「私が義高を守る」つもりですね。大姫は義高を逃がしたいけれど、追手に義高は殺されてしまう。
阿部:逃げられなかった。
馬場:それからが大変なの。大姫がご飯を食べなくなってしまう。絶食をしてしまったのよ。それで「義高を殺したのは誰だ?」と大姫が問い詰めるので、実際に義高を斬った手柄の男を、頼朝が処分させた。
阿部:そんな馬鹿なことあります? 大姫は納得しないですよね。
馬場:本当ですよ。そのあとも大姫は親に抗議して絶食を続けたの。女の志(こころざし)のようなものを感じるわね。でも頼朝は、大姫を義高よりもっといい人と結婚させようとして、若いイケメンのお公家さんや、後鳥羽天皇のお妃にしようという計画までたてたの。
阿部:そういう問題じゃないのに……。
馬場:でも大姫はそれも嫌だといって、病気にかかって20歳くらいで亡くなってしまった。
実朝の兄は北条政子と対立。風呂場で斬られる
馬場:次に実朝の兄、源頼家(みなもとのよりいえ)は残酷な殺され方をするのよ。
阿部:まだ残酷な話があるのですね……。
馬場:頼朝の死後、頼家は鎌倉幕府の2代将軍になるのだけど、実権をにぎった北条氏と対立した。それで頼家は伊豆に軟禁されて、まだ幼い実朝が3代将軍になる。実朝は何もわからず、ただ将軍の座に座っているだけ。
馬場:そして頼家は殺されちゃうのね。風呂場で斬られたのよ。
阿部:それはひどい。
馬場:当時、よくあった殺し方だったの。いいお風呂をたてて、風呂場に行かせて襲う。もっと意地が悪いやり方もあって、漆のお風呂に入れたという説もある。
阿部:うわ、漆! 全身がかぶれちゃう。
馬場:そう。苦しみつつ死ぬ。
自分はただの操り人形…和歌を詠むしかなかった源実朝
馬場:姉も兄も、親に抵抗して死んでいった。まわりの武士たちもどんどん殺されていく。実朝も12歳で将軍になり、実権は親に握られたのね。それで和歌を詠むしかなかったのだと思うの。
阿部:なるほど。現実逃避のような感じかな。
馬場:実朝はね、早くから『古今和歌集』『新古今集』などを学んだの。
来ぬ人を必ず待つとなけれども暁方になりやしぬらむ
来ない人を必ず待っているということでもないのだけれど、もう夜明けになってしまった。
馬場:実朝は自分が詠んだ和歌を選んで、京都の藤原定家(※)に見てもらいました。
阿部:あの藤原定家に。すごいですね。
馬場:兄も姉もひどい死に方をして北条家に実権を握られたけれど、せめて自分はいい和歌を詠んで、後鳥羽院や都の文化人と交流を深め、かつて源氏の誰もが上りつめたことのない位に上り、源氏の名を残そうとしました。
『万葉集』に出会った実朝が、自分の本音を和歌で詠み始めた
馬場:でも実朝はだんだん物足りなくなって、もっと自分の本音を詠みたいと思ったようね。それで、もっと古い時代の和歌集である『万葉集』を定家に頼んで手に入れました。
阿部:日本最古の和歌集『万葉集』と、実朝が生きた鎌倉時代の『新古今和歌集』は、どんなところが違いますか?
馬場:『新古今和歌集』は技巧を凝らしたものだけど、『万葉集』はもっと素直なのね。『万葉集』を学んだ実朝はこんな和歌を詠んだのよ。
箱根路をわれ超えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
箱根の山道を越えると、広い伊豆の海が開けた。沖の小島に、波の打ち寄せているのが見える。
馬場:この和歌は二所詣(にしょもうで)で、実朝が箱根と伊豆へ実際に行った風景を詠んでいるのよ。
阿部:二所詣という言葉、箱根神社に行ったとき知りました。鎌倉将軍は毎年正月にお参りするのですよね。
右大臣にまで昇進した実朝…鶴岡八幡宮で迎えた劇的な最期
馬場:この頃の実朝は成長して17,8歳になっていた。兄がどうやって惨殺されたか、姉がいかに抵抗し絶食して死んだか、もう知っていたと思うのよ。北条氏にいつ殺されるかわからない、自分がどのように生きればいいかもわからない。
阿部:いつ殺されるかわからない境遇で生きていくのは辛い。
馬場:そういう気持ちを抱えたなかで、伊豆の広い海を見て、ありのままの風景を詠んだ「沖の小島に波の寄る見ゆ」という部分は、非常に万葉調です。
阿部:『新古今和歌集』の和歌は、さまざまな技巧を使ってつくられている。しかし『万葉集』は、目の前にある実際の風景を描くのですね。
馬場:この和歌を詠んだ前後、実朝は陳和卿(ちんわけい)という宋の技術者と出会う。そして実朝は、大きな船を作って宋に渡りたいと頼む。波が光っていたあの伊豆の海を思い起こしつつ、宋にいくことでしか自分が逃げる道はないと実朝は考えたのね。
阿部:ああ……。
馬場:でも、残念ながら作った大船は進水に失敗。浜辺に置かれたまま船は朽ち果てる。それで実朝は自分が生きる限りは和歌しかないと思ったでしょうね。
阿部:そうだったのですか。かわいそうに……。
馬場:和歌をたくさん詠み、実朝は朝廷を動かし右大臣まで昇進するの。その報告と御礼で鶴岡八幡宮に参拝したのね。そこで鶴岡八幡宮の別当(長官のこと)になっていた甥、つまり兄・頼家の子の公暁(くぎょう)に実朝は殺されてしまう。
鎌倉2代将軍・頼家を父に持つ公暁は、父のあと将軍になるのは自分が正当だと思っていたでしょう。幼い実朝を将軍にしたのは北条氏ですが、自分の進路に立ちふさがった人物として恨んでいたともいえます。実朝が右大臣就任の報告と御礼にくるであろう鶴岡八幡宮で、公暁は実朝を敵討ちしようとしたのですね。
なんという劇的なことかと思いますね。殺されたときはまだ28歳だった。
阿部:僕は戦国武将の辞世の句に興味があるのですが、実朝もさまざまな和歌を残していたのですね。これからもっとたくさん実朝の和歌を読んでみます。
給湯流:実朝がありのままの風景を詠んだ和歌の背景に、壮絶な人生があったことに驚きました。和歌の奥深さを少し知れた気がします。今日はありがとうございました!
参考文献:新古今和歌集・山家集・金槐和歌集/佐藤恒雄・馬場あき子
撮影/今井裕治
取材・文/給湯流茶道
阿部顕嵐 お知らせ
▷舞台
阿部顕嵐 プロデュース作品 東洋空想世界『blue egoist』
12月6日〜8日 at 大阪・オリックス劇場で上演します。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
https://blueegoist.com
▷MORE INFORMATION
阿部顕嵐 OFFICIAL SITE >> https://alanabe.com
フレンチレストラン アシエット
今回取材で伺ったのは、成城学園前駅にひっそりと佇むフランス料理店「アシエット」。季節の野菜をふんだんに使い、丁寧に作り上げたクラシカルなフランス料理は、ワインと一緒にゆっくりと堪能したい。
住所:〒157-0066 東京都世田谷区成城 6-10-3
電話:03-3789-1190
公式サイト:https://seijo-assiette.com/