「初心忘るべからず」この言葉を、耳にしたことのある人も多いのではないでしょうか? 私は小学校や中学校の校長先生から、記念式典の挨拶などで聞いた気がします。その時に理解していたのは、「最初に志した初々しい気持を忘れてはいけない」というもの。実は、この言葉の真意が異なることを、みなさんはご存知でしょうか?そして、この言葉を残したのは、能楽を大成させたとして名高い世阿弥だということも。
能楽って?
ユネスコ世界無形文化遺産に認定されている能楽。世界に誇れる伝統芸能ですが、実際に能楽堂に足を運び、生の能楽に触れたことがある人は少ないかもしれません。
能楽とは、「能」と「狂言」を合わせた舞台芸術です。能は主に古典文学や、同時代の出来事を元にした歌舞劇で、狂言は、日常の滑稽な部分を題材にした喜劇。この二つの芸能を交互に演じたり、それぞれ独立した形で演じているものが能楽と呼ばれています。通常は屋内の能楽堂で上演されますが、薪能など屋外の能楽堂で披露されることもあります。
世阿弥とは
世阿弥は父の観阿弥と共に、南北朝から室町時代初期にかけて、能を形や内容を洗練された芸術に確立した能楽師です。
世阿弥は容姿と才能に恵まれ、時の権力者である三代将軍足利義満の庇護を受けて役者としての才能を開花させます。また完成度の高い劇作にも挑戦し、その作品群は、現在もほぼ当時のままで上演されているのは驚きです。そして、世阿弥の優れたところは、これだけでは終わりませんでした。数々の芸能論を書き残しているのです。
今回は、能楽研究者で世阿弥に関する著書を多数執筆している天野文雄さんに、世阿弥の残した言葉について、お話を伺いました。
世阿弥が伝えたかった初心
― よく知られている「初心忘るべからず」は、本来はどんな意味なんでしょうか?
天野: 世阿弥の「初心」は、初々しいという意味ではなく、若い時期の未熟さのことを指しています。未熟な芸を忘れずにいて、それを身体に記憶させておけば、芸が下がることはないと。
- そんな深い意味なのですね!
天野: 世阿弥は、21部にもなる伝書を残しているのですが、シェイクスピアが生まれたのは、世阿弥よりも200年も後です。シェイクスピアは数多くの劇作はしましたが、演劇論は残していません。ですから、世界最古と言われていますね。この「初心忘るべからず」も、世阿弥の芸能論の中の言葉です。
- 現代を生きるビジネスマンにも役立ちそうです。
天野: 世阿弥は、未熟な芸を忘れるということは、その後の上達した芸も自覚できないことになる。そうなると、昔のレベルに戻ってしまう。だから、最初の未熟な芸を忘れるなと説いているのです。また、世阿弥の「初心忘るべからず」には、このほか「時々の初心忘るべからず」と「老後の初心忘るべからず」があります。これらの「初心」は、「初体験」と言い換えるとよく理解できると思います。老後にも初心があるのですよ。
花にたとえた珠玉の言葉
- 世阿弥といえば、やはり『風姿花伝(※)』が有名ですね。
天野: 30代半ば頃に書かれたもので、亡き父観阿弥の教えを中心にして、それを踏まえて子孫に伝えるための秘伝書として残したものです。
-「秘すれば花」など、花に例えた言葉が印象的です。
天野: 実は、最初の方ではこの「花」とはなんであるかは明確には書いていないのです。「花とは何か」を知るにはどうしたら良いのか、稽古をして多くのレパートリーを持つことが重要など、具体的な技術について述べています。
-では、「花」の意味というと…
天野: 一言で言えば、それは「珍しさ」になると思います。こんな風に言ってしまうと、秘伝がそんなことかと受け取られてしまいますが。「秘すれば花」というのは、「秘密にすることが能に花を咲かせる。秘密にしなければ花は生まれない」と、秘することによる効果を説いているのです。
-父親の観阿弥からの教えだけで、このような感性が身についたのでしょうか?
天野: 世阿弥は少年時代から、将軍義満や二条良基といった当時の最上級の文化人と交流をしていました。自然界に咲く花を観察して、四季の決まった時期に咲くものが、珍しさを感じさせて珍重される。この魅力は、能と同じことだと考える思考力を身につけたのでしょう。
乱世の時代に培われた考え
-「衆人愛敬」(しゅにんあいぎょう)という言葉も、よく知られています。
天野: 一流の能の役者は、誰からも愛されなければいけないと言っています。一般的には「衆人」を、「大衆」と理解されていますが、世阿弥の言う「衆人」とは、貴賤を問わない多くの人という意味です。
- 今の時代にもあてはまりますね。
天野: 実際にはとても難しいことですが、どんな場所でも、どんなレベルの人でも楽しませないといけない。そのためには多様な芸風を体得して、芸の幅を持つことの必然性も力説しています。
ー 世阿弥の生きた時代も関係する考え方でしょうか?
天野: それはあるでしょうね。他の座との競い合いもあったでしょうし、パトロンである将軍を満足させる高度な芸も必要だったでしょう。生き残るため、勝ち残るためには必要な考え方です。
- 時には演じ方を変えたりとかも?
天野: 貴人が早く到着すると、すぐに始めなければいけない場合がある。その場合は観客の心が能に集中していないので、所作を派手にして、声も強めにするのがいいと言っていますね。
- 今でいう、アドリブがきくということですね。
天野: 現在の名人と言われる人も、皆この資質があるでしょうし、重要なことだと思います。
- 現代は先が見えにくい時代で、ある意味、乱世のように厳しい時代かもしれません。世阿弥の考えは通用しますね。
なぜ現代人の心にも響くのか?
天野: 世阿弥は多くの芸能論を残しましたが、『風姿花伝』など初期の頃のものから、50代後半以降に書かれたもので変化していきます。
- それは、どんな変化でしょうか?
天野: 私は初期を具体的な芸能論の意識の時代、後期のものを超意識の時代と分類しているのですが。世阿弥は「無」と表現していますが、現代の私達が理解するには、意識を超えた次元、つまり超意識と考えると理解しやすいと思います。
-超意識ですか!
天野: たとえば、『至花道』(しかどう)の中で、「体」(たい)と「用」(ゆう)の二つのレベルがあると説いています。「体」とは「花」のようなもので、「用」とは「匂い」のようなものだと。能を知らない者は「用」を真似ようとするが、それは真似しようにもできないものである。こうなると、技術だけの話ではないですよね。基本は真似ることができるけれども、応用は真似ることができない。また決して真似てはいけないと言っています。
- 深いですね…
天野: どんどん深くなるので、研究していると面白いですよ。
- 600年前の言葉とは思えないほど、心に刺さります。
天野: どうしてだと思いますか?
- うーん。やはり言葉の深さでしょうか?
天野: そうですね、深さがあって、普遍的だということが大きいでしょうね。世阿弥は芸能論として書いたけれども、人生論として読む人も多いです。世阿弥は、「せぬところが面白い」とも言っています。つまり、何もしない状態のことですね。
- と、言いますと?
天野: どんな芸能でも、じっとしているのが一番難しいと言われますが。所作と所作の間に、心でつないで緊張感を保つと、何もしないのに観客からは面白いと思ってもらえる。ただこの内に秘めた心の力も悟られてはいけない。そしてさらに、自分自身では意識してはいけないと説いているのです。
- なんだか、武道にも通用する感覚ですね!
波乱の人生を乗り越える
- 世阿弥は、跡取りとして頼りにしていた息子を失ったり、晩年は佐渡へ島流しに遭ったりと、不幸が押し寄せます。
天野: 苦難の中でも能への情熱は持ち続けたようです。芸への思いが救ったのかもしれません。佐渡から娘婿で能役者の禅竹(ぜんちく)に送った手紙には、能の秘事を伝授して書いています。
- 佐渡からは、戻れたのでしょうか?
天野: 佐渡での暮らしぶりは、『金島書』という8編からなる日記風の謡い物集に書かれていますが、流人としての悲哀はそう感じません。私は多分、戻れるとわかってからまとめて一気に書いたような気がしています。現在の研究では戻れたというのが主流ですね。奈良の補巌寺で発見された文書には、世阿弥の命日は8月8日と記されています。
- 最後に能楽を楽しむヒントはありますか?
天野: 今は何でもわかりやすいことが良しとされがちです。能はその反対なので、一見マイナスなようですが、そこが強みだとも思います。わかりやすいから感動するかというと、そうではないんじゃないでしょうか。能にはちょっとした勉強が必要ですが、原文と現代語訳の本も出ていますので、それを読んでから能を見るのもいいと思いますよ。
天野文雄さん プロフィール
能楽研究者。大阪大学名誉教授。現在、京都造形芸術大学舞台芸術センター所長を務める。著書に『翁猿楽研究』『世阿弥がいた場所』『能苑逍遥』『能を読む』など。観世寿夫記念法政大学能楽賞、日本演劇学会河竹賞などを受賞。