Culture

2025.06.17

行かない理由がない! “相撲の殿様”が創設した「相撲博物館」の驚くべき全貌

今年は、一月には豊昇龍が、さらに五月には大の里が、横綱に昇進!東西の番付に横綱が並ぶのは令和3年の秋場所以来、ふたりの横綱の誕生でますます盛り上がりをみせる大相撲。若い力士の台頭もあって相撲ファンもやや若返り傾向、さらに伝統文化とスポーツの融合であり日本を代表する格闘技として、ここ数年は海外から訪れるゲストが増えています。そんな相撲の聖地として両国の国技館は知っていても、そこになんともニッチな博物館「相撲博物館」があることはご存じでしょうか。大相撲をテーマに展示を繰り広げて70余年、唯一無二な博物館の正体に迫ります。

無料なのに充実の展示!相撲ファンの心をくすぐる相撲博物館

両国は国技館内にある相撲博物館。国技館の右端にある館内では、年3回(1月・5月・9月)東京場所の開催に合わせて展示をおこなっています。本場所15日間は相撲観戦チケットが必要ですが、それ以外の開館日はなんと観覧無料!すべてが値上がりする世の中にタダで楽しめる稀有な場であるとともに、無料とはいえども代り映えしない展示ではなく常に相撲ファンの心をくすぐる興味深い企画展を開催しています。

最近では海外観光客が訪れることも増えているとか。午前中は来館者が集中するために落ち着いて鑑賞したい場合は午後からがおすすめ。

日本相撲協会の資料管理・活用推進室の課長であり、相撲博物館の学芸員を務める中村史彦さんは、「ワンフロアだけの狭い博物館ですが、常設展ではなく大相撲をテーマにした企画展を行っています。コロナ前は年6回の企画展開催でしたが、期間を長くしてより多くのひとに見ていただけるように、年3回の開催になりました」と話します。

日本各地で行われている地域相撲や祭りで行われる相撲などを研究テーマにしていた学芸員の中村さん。相撲好きが高じてというわけではなく、大学の指導教授に勧められて試験を受けて相撲博物館で仕事をすることになったそう。

相撲協会は大阪にもあり!?歴史を紐解く『大相撲100年史』

現在、相撲博物館で行われている企画展は『大相撲100年史』(会期:令和7年5月11日~8月22日)です。財団法人設立100周年を記念して、その歴史を振り返り、名力士の活躍や時代とともに変化してきた相撲文化、国技館の歴史などにも焦点をあてた企画展です。

『大相撲100年史』で展示されている藁谷耕人画『両国国技館風景』などをポスターに。

節目となる企画展『大相撲100年史』を手掛けた中村さんは見どころをこう話します。「100年前というと大正14(1925)年です。ちょうどこの年、摂政宮(昭和天皇)の台覧相撲の御下賜金で賜杯を製作しました。それが契機となって、それまで別だった東京と大阪の相撲協会が一緒になろうと動きだします。そのころに造られた賜杯模杯(本場所の優勝力士に贈られる)、大阪と東京の合併準備に行った相撲の番付などは、ぜひ見て欲しいですね。大阪の力士よりも東京の力士のほうが人数は多く、実力が上だったことが番付からもわかります。さらに戦時下の相撲や力士、そして戦後の海外巡業、オリンピックと相撲など、時代とともに変遷を遂げた様子を紹介しています。相撲をよく知らないひとも楽しめると思います」

東京相撲と大阪相撲の合併前に力量をはかるため連盟相撲を開催したときの番付。大正15(1926)年に大蛇山酉之助(おろちやま・とりのすけ)が優勝を遂げたときの賜杯模杯。

平成10(1998)年の長野五輪の開会式では、第64代の横綱・曙による横綱土俵入も。そのために造られた軍配には、長野五輪のエンブレムが描かれている。

昔の横綱土俵入で締めた雲龍型と不知火型の”横綱”(土俵入で締める腰に締める綱も横綱という)展示されていますが、今と違ってやや小さめなのがわかります。100年という時代のなかで力士の身体も大きくなったことが展示品から伝わってきます。「モノや道具を展示すると今とさまざまな比較ができますね。平成16(2004)年までは枡席は喫煙ができました。そのため枡席には火箱と灰皿が置いてありました。それらも当時の相撲観戦の雰囲気を伝える道具として展示しています」と中村さん。

雲龍型(綱の輪がひとつ)と不知火型(綱の輪がふたつ)と形が違う。横綱の豊昇龍関と大の里関はともに雲龍型の綱を締めて土俵入りをする。

桝席で使われていた火箱と灰皿。平成15(2003)年に健康増進法が施行。翌年に監督官庁だった文部科学省から分煙の検討を促されたことから平成17(2005)年に国技館は全席禁煙となった。

100年史を展開するにあたりフロアが狭いために、内容の充実と見やすさのバランスには苦労をしたと、中村さん。「また今回の展示に限りませんが、相撲初心者から好角家までが飽きずに楽しめる構成を考えるのも大変でした。だからこそ『おもしろかった』『昔を思い出した』という声、また若い世代や海外の方が展示の写真を撮って楽しい思い出としてSNSで紹介いただいているのを見るとうれしいです」

財団法人の許可証。大正14(1925)年9月に財団法人の設立許可を申請し、文部大臣からの許可を受けて12月に「財団法人大日本相撲協会」が誕生した。『大相撲100年史』のポスターにもなっている藁谷耕人画『両国国技館風景』

初代館長“相撲の殿様”は、相撲関連資料の一大コレクター

さまざまな企画展を繰り広げている相撲博物館は、昭和29(1954)年に誕生しました。第二次世界大戦の空襲で焼け落ちてしまった国技館は、両国から蔵前へと移転。蔵前国技館の開館にあわせ相撲博物館も創設されます。初代館長に選ばれたのは、横綱審議委員会の初代委員長を務めた酒井忠正です。酒井忠正は、明治26年に備後福山藩の藩主の阿部正恒伯爵の次男として生まれ、姫路藩主家で伯爵家の酒井忠興の娘と結婚して婿養子になり、貴族院議員として農林大臣まで務めた人物です。世が世ならばお殿様である酒井は、「相撲の殿様」と称されるほど好角家でした。幼いころから相撲にまつわるものを収集しつづけ、酒井が収集した1万点以上にのぼる資料の研究や展示を目的として相撲博物館が創られたそうです。

『相撲随筆』のような軽妙なエッセイから相撲史研究のバイブルといわれる『日本相撲史』まで、自在に筆を走らせた初代館長・酒井忠正。

酒井の執筆した書籍『相撲随筆』には、15、6歳から相撲の絵葉書を集めだし、大人になってからは相撲の本や錦絵を集めはじめたこと、当時は珍しい自動車で安かった相撲絵(相撲の錦絵)を買いまわっていたら「車に乗ったひとが買いに来るから」と値が上がっていたことなどの逸話が描かれています。そんな酒井の収集物のなかには、価値ある美術工芸品もあると話してくれた中村さん。「収集物の多くが相撲絵といわれる力士や取組を描いた錦絵、番付や古書などの相撲関連の資料です。しかし歴史的にも価値のある美術工芸品としては、凌雲斎豊麿画『天明八戊申歳江戸大相撲生写之図』の屏風があります。六曲一双の屏風には、両国橋と日本橋を渡る人々が描かれていて、そのなかには力士たちがいます。町人と比較すると力士の大きさが感じられます。また酒井のコレクションではありませんが、江戸時代の横綱・稲妻雷五郎所有の日本刀『備前介宗次 稲妻雷五郎作』なども。刀剣好きには知られた日本刀で東京国立博物館に貸し出したこともあります」

所蔵点数は3万6千点&more、毎場所ごとに増えていく所蔵資料

現在の相撲博物館は、日本相撲協会・八角信芳理事長が館長代行を兼務しています。「スタッフは4名で運営しています。企画展に関しては、企画立案から展示品の手配、展示構成まで基本的に一人が責任をもって行います。作業の手伝いや搬入や搬出は全員で行うこともあります」

相撲博物館の所蔵品数は3万6千点。これは番号がついている資料だけだそうで、整理されていないものも含めたら4万点ほどになるとか。ちなみに一般的な総合博物館だと数10万点を超えることも珍しくないものの、考古遺物、美術品、自然史標本などを含めるので、ひとつのジャンルに特化した専門博物館としてはなかなかの規模感。そして酒井の収集品とともに、力士からの寄贈品も多いとか。また年6回ある本場所開催ごとに番付や取組表、星取表、新関取の手形まで、さまざまな資料が増えていくそうです。

横綱に昇進して初めての土俵入りは、時間的にも三つ揃いの化粧まわしが間に合わないことが多い。今年1月に横綱に昇進した豊昇龍が明治神宮で行った初めての土俵入りは、雲龍型土俵入りを指導した出羽海一門の武蔵川親方(第67代横綱・武蔵丸)の化粧まわしで土俵入り。ちなみに化粧まわしの原画は、日本画家・千住博による「海光・光輝・波響」

相撲博物館の企画展は豊富な所蔵品を生かして構成することが多く、一年ほど前に概要を決めると構成を考えて、半年ほどかけて資料を選んでいくそう。「大相撲100年史の場合はすべてが当館の所蔵品です。企画展によっては力士や相撲部屋に着物や化粧まわしを借りにいくことはあります。ただほかの美術館や博物館に貸与の依頼をすることはあまりないですね。あと企画展を準備していても人気横綱の引退などがあると“さよなら横綱展”などの企画を急遽差し込むこともありますね」

博物館の映像資料で関取に!日本文化の“大相撲”を広く伝えていく

国技館の片隅にひっそりとあるために、相撲関係者でも訪れたことがない人は意外と多いと、中村さん。しかし研究熱心なある力士は下積み時代に、足しげく訪ねてくれたそう。「令和2年に引退した幕内力士の荒鷲関です。モンゴル出身の力士ですが、昔の相撲や取組を学ぶために相撲のDVDをたびたび借りにきていました。研究熱心な力士でしたから関取になったときは、うれしかったですね」

写真なども相撲博物館には資料として残っている。『大相撲100年史』では財団法人から公益財団法人に変わったときの写真なども展示。

江戸時代に描かれた相撲絵のままに、今も髷を結い着物をまとった力士たち。海外の人たちが“サムライ”として憧憬する彼らの存在そのものが日本文化だと話す中村さん。「日本の伝統文化であり、スポーツ競技である、“大相撲”。これからもさまざまなテーマの企画展を通して“大相撲”文化を伝えていきたいです」

相撲博物館ではサイズが体感できるように床に土俵をデザインしている。

書き手である私も国技館で相撲観戦する際、相撲博物館の企画展は必ず訪れています。コンパクトながらもテーマによっては、力士や相撲の様子を描いた江戸の浮世絵や肉筆画などの珍しい美術品にも触れることができ、相撲にまつわる知識が身につくという、なかなかお値打ちな存在なのです。また相撲の神様・野見宿禰(のみのすくね)神社の授与所もあって人気の力士おみくじや御朱印(こちらは東京場所開催時のみ)、お守りを授与いただけます。相撲好きにも、寺社仏閣巡り好きにもうれしい博物館です。『大相撲100年史』は8月22日まで開催中、もうすぐはじまる名古屋・七月場所にむけて気分を盛り上げるためにまずは相撲博物館へどうぞ。

相撲の神様である野見宿禰神社は”勝利の神様”でもある。ご利益のある勝ち守りや合格守りを買い求めるひとは多い。

■EVENT■
『大相撲100年史』
会期 2025年5月11日~8月22日(金)
*開館時間や休館日は下記DATAに準じる。

■DATA■
相撲博物館
住所 東京都墨田区横網1-3-28国技館1階
電話 03‐3622‐0366
開館時間 10時~16時30分(最終入館16時)
休館日 土日祝および年末年始(臨時休館日は要問合せ)
https://www.sumo.or.jp/KokugikanSumoMuseum

撮影/梅沢香織

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森 有貴子

和樂江戸部部長(部員数ゼロ?)。江戸な老舗と道具で現代とつなぐ「江戸な日用品」(平凡社)を出版したことがきっかけとなり、老舗や職人、東京の手仕事や道具や菓子などを追求中。相撲、寄席、和菓子、酒場がご贔屓。茶道初心者。著書の台湾版が出たため台湾に留学をしたものの、中国語で江戸愛を語るにはまだ遠い。
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