コンビニおでんの意外なルーツ!おでんと茶の湯との関係とは?

コンビニおでんの意外なルーツ!おでんと茶の湯との関係とは?

秋が深まるこれからの季節。コンビニに入ると、レジの近くでグツグツと音を立てる「おでん」が良い匂いを漂わせて美味しそう!
他のものを買うためにコンビニに来たのに、つい手を伸ばしてしまいます。

そう言えば、コンビニに行くと、他にもその場で調理してあるものや、できたてをアピールする商品が必ずありますよね。
たとえば、ローソンの「からあげクン」や、ファミリーマートの「ファミチキ」などの鶏のから揚げ、あったかい中華まんに、コロッケや焼き鳥など。

なぜ日本のコンビニにはこういった商品が多く置いてあるのでしょうか?
気になって調べてみると、なんと「茶の湯」との意外な関係が見えてきたではありませんか!

コンビニでもできたてが食べたい日本人

おでんのような、コンビニの店内で調理した商品についての調査がありました。
コンビニ調理品の利用に関するアンケート調査(マイボイスコム(株) 調べ)

この調査によると「コンビニ調理品を購入したことがある人」 は、コンビニ利用者全体の8割強もいることがわかります。

ちなみに、「あなたがここ1年間に購入したことのあるコンビニ調理品をすべてお選びください」という質問に対し、「中華まん」が45.5%と最も多く、「から揚げ」が37.1%、次が「セルフサービスのコーヒー系飲料」で35.8%、その次に「おでん」が続き33.4%でした。

鮮度も大切

調理したての食べ物だけでなく、獲れたばかりの新鮮な魚を生で食べるのが好きなことも日本人の特徴です。

生魚をはじめ、卵や馬肉など、食材をこれだけ「生で食べる習慣」のある国は日本の他にはあまりないようです。

日本は流通が発達し、食品を衛生的、かつスピーディーに食卓に届けることができることも大きな理由のひとつですが、その根底にあるのは日本で独自に発展した食文化の存在です。

料理を見せるということ

寿司、天ぷらのライブ感

日本の食文化の大きな特徴、それは寿司や天ぷらに代表されるように、客の目の前で調理をし、その姿を見せながら料理を食べさせることです。

他にも、蕎麦を店内で打つ「手打ちそば」がありますし、変わったところでは「マグロ解体ショー」まで。これほどまでに食にライブ感を求める国が日本以外にあるでしょうか? 最近ではフランスをはじめとする各国の有名シェフがこの手法を取り入れ話題になったのは記憶に新しいところです。

この臨場感、ライブ感を特に大事にするのが日本人と言えるのかもしれません。

「庖丁」の発展

茶道研究で有名な熊倉功夫氏が、著書『日本料理の歴史』の中で、日本独特の料理屋のスタイルとしてのカウンター料理(板前割烹)に関してこう記しています。
「屋台であれば世界中にあるけれど、一流中の一流といわれるような料理屋で、客がカウンター越しに食材から見事な料理が生まれるまでの一部始終が見られるというスタイルは、他の国にはあまりない。」
そして、実は日本には昔から料理を作る様子を人前で見せるという料理のパフォーマンスの伝統があったとも。

そのパフォーマンスを、「庖丁」や、「庖丁式(ほうちょうしき)」と呼んでいたそうですが、ここでいう庖丁は、道具ではなく料理そのものを意味していました。

しかも庖丁は、「室町時代から安土桃山時代にかけては、立派な男子たるものの教養の一つであった」というから驚きです。

教養としての「庖丁」

狂言の演目の一つ、「鱸(すずき)庖丁」によると、当時は客に対して正規のまな板である「式正の俎(しきしょうのまないた)」を用いて、衣服も正してのぞみ、儀式どおり料理して見せるということが、客へのもてなしのひとつであるとされています。

さらに、桃山時代に通辞として来日したロドリゲスが著した『日本教会史』には、「武家の慣習からも、高官、武家貴族および公家貴族によってそれ自体名誉とされ、重んじられ、行われる」学芸である「能」は、弓法を第一とし、第二に蹴鞠をあげているが、第三は庖丁で、『食物を切り分けることで、彼らの間では上品で常用の仕事である』と記されている。まさに庖丁は武家や公家の重要な学芸の一つとして伝えられてきたのである」とあります。
つまり、料理は武家や公家にとって重要な教養の一つだったというのです。(『日本教会史』 著:ジョアン・ロドリーゲス 訳:江馬務、佐野泰彦、土井忠生、浜口乃二雄 岩波書店)

武将と庖丁

近世初頭の武将で大名の細川三斎が、茶の師である千利休を招いて鯉の庖丁を披露した時の、次のようなエピソードがあります。

細川三斎の庖丁、つまり料理の腕前はとても見事で、鯉をごちそうになった利休はこれを褒めたのですが、しかし「俎(まないた)の厚みが少々不足しているように思える」と言いました。

そんなはずはない、と三斎がたしかめたところ、「実は、まないたの表面が汚れていたので、わずか一分(3㎜)ほど表面を削りました」と家臣が答えたのです。

利休の鋭い感覚には三斎もたいへん驚き、利休もまた道具に至るまで熟知するほど料理に関する教養があったことがわかります。

参考・千利休像(大阪府堺市)

三斎のような40万石の大名がみずから庖丁をふるうといった習慣は、江戸時代に入るとさすがに薄れていきますが、その代わり専門の庖丁人、すなわち料理人を招いて料理を振る舞ったことが江戸時代の茶書には見られ、千利休は優秀な料理人を複数人抱えていたようです。

利休の曾孫にあたる江岑宗左(こうしんそうさ)が記した茶書によると、利休のもとにいた「一通」という料理人は、利休に彼の料理の中でもことに房山椒の置き方がすばらしいと絶賛されています。当時、盛り付けにまでそれほどの美意識が発達していたことがわかる逸話でもありますが、利休の家には、他にも「西道」と、「妙をん」という女性料理人の二人がいたと記されています。

参考・「十二月の内 卯月初時鳥」部分 国立国会図書館デジタルコレクションより

和食の歴史と茶の湯

千利休といえば、言わずと知れた、わび茶を大成させた人物ですが、利休が料理にも精通していたというこれらのエピソードは、とても興味深いと言えるのではないでしょうか。
それは、料理と茶の湯は切っても切れない関係であるということがわかるからです。

大陸の影響を受けた大饗料理

コメを中心とした食文化が浸透し始めた頃の最も古い料理様式として知られるのが平安時代の「大饗(だいきょう)料理」です。
大饗料理は、高位の貴族が、大臣に任じられた時や正月などに、天皇の親族を招いて行う儀式料理でした。

大饗料理はあらかじめたくさんの料理が並んでいるところにご飯と汁物が運ばれるスタイルで、味付けをしていないなまものや干物などを切って並べたもので、味付けは、自分の手前に置かれた四種器と呼ばれる小さな皿に、塩や酢あるいは醤などを自分で合わせて浸けて食べました。餃子のたれを好みに合わせ作って食べることに似ていますね。

大饗料理には朝鮮半島経由で入った中国料理の影響が強く見られますが、日本的な特色もあり、それが「切る」という調理法でした。
庖丁上手とは料理が上手いことをいいますが、味付けを自分でするスタイルでは切り口の冴えが料理の出来映えを直接左右します。そして、この頃からすでに料理人のことを「庖丁人」と呼んでいました。

精進料理が日本の調理技術を高めた

その後、平安時代末期から奈良仏教や天台宗・真言宗に対する不満が高まり、中国での仏教修行を試みて南宋などに渡る僧が出てきます。

当時、中国の仏教界では禅宗が重要視され、肉食忌避の思想に基づいた「精進料理」が主流だったので、この料理技術を習得して帰ってきた僧たちが日本に精進料理を広めます。

参考・臨済宗方広寺(静岡県)

肉類を食べられない禅院の僧たちが、穀物粉や野菜・きのこ果物などを使い、鳥獣肉に近い味わいを出すため、小麦粉や大豆粉などに植物油や味噌などインパクトの強い調味料を合わせるなどの高い技術が生まれました。

寺院内からやがて一般にも広がり、鎌倉期以降の料理文化の展開に大きな役割を果たしたのでした。

現代の料理に近づく本膳料理

室町時代になると、今度は新たな様式として「本膳料理」が登場します。

これは、大饗料理を催した貴族の従者である武士によって、大饗料理の儀式的要素と精進料理の技術的要素とが組み合わされ成立したものです。
お膳を使い、七五三という奇数の膳組を基本とする様式は、とても日本的な要素が高く、膳や皿の一部には金銀での装飾も施され、たいへん豪奢な雰囲気です。

汁物のダシとしてカツオと昆布が用いられるなど、日本料理の原型が完成をみたとも言えます。

しかし、このような本膳料理が供される饗宴は、儀礼的で、後半に能が演じられたりして、全体が終わるまで夜を徹するほど長いものでした。

つまり、あらかじめたくさん出された料理はすっかり冷めてしまい、料理を楽しむと言うよりは、儀礼的に食事をすることに重きを置かれていたようです。

懐石料理と茶の湯

先述したロドリゲスの『日本教会史』に、当時、新しいスタイルの宴会が生まれたことが記されています。これが「懐石料理」にあたるものでした。

「余分なもの、煩わしいものを棄て去って、その古い習慣を変えるとともに、宴会に関しても、さらに平常の食事に至るまで、大いに改善」し、ただ装飾用として見るためだけに出されたものと、冷たいものとを棄て去り、その代わりに温かくて十分に調理された料理が適当なタイミングで出され、茶の湯のように質の上で内容を持ったものとなったことを伝えています。

安土桃山時代に、千利休が原形を作ったとされるこの懐石料理は、江戸時代末期に確立され、現在に伝わっていると考えられています。

最初はこれまでの本膳料理の一部を切り取ったものでしたが、冷めた状態で食べるものを排除し、茶の湯の精神に基づいて、客へのもてなしの心を表現するものとしての料理を実現したのです。

もちろん、茶席で供される濃茶や薄茶も、作っているところを客に見せてできたてをアピールするもの。これは「庖丁」の文化にも由来すると言えるでしょう。

ちなみに「懐石」とは、修行中の禅僧が寒夜の修行のときは、石を温めて布に包み、懐に入れて寒さと空腹をしのいだことに由来します。
温石で腹を温める程度の空腹しのぎという意味で、そのことから茶事に出す軽食を「懐石」と呼ぶようになりました(ただし、この懐石と言う言葉は当時からあったものではなく、後世になってからそう呼ばれるようになりました)。

懐石料理の例

懐石料理は四畳半の茶室で振舞われる料理であったことから、本膳だけの「一汁三菜」の料理を基本とし、江戸時代には「三菜」は刺身・煮物・焼き物とすることが確立しました。

茶事の一部ですので出される順番や細かいルールが決まっています。
飯・汁・向付→酒(一献目)→煮物→焼き物→酒(一献目)→進肴(しいざかな)→小吸物(こずいもの)→八寸(はっすん)→湯と香の物
といった具合です。

参考・「八寸」例。もともと八寸(約25㎝)四方の杉の素木の各盆のことを称したが、それに盛った料理のことを指し、二品か三品を盛り合わせたもの。

飯椀のごはんは、蒸らさずに必ず炊き立てのものが出てきます。
しかも、ほんの一杓子ぶんを盛りつけますが、これは客を待ち兼ねて炊き立てを用意したという亭主の心配り、つまり心からのおもてなしの気持ちを表現したもの。ほんの少しの量であるのは、煮物が出されてからおかわりが勧められるからです。

客はすべて食べ終わったら、最後に飯椀と汁椀に湯と湯の子を入れ、香の物を使って椀全体をすすいで飲み切ります。器を懐紙で清めておしまい。
この後、濃茶のお手前、薄茶のお手前が続きます。

なお、濃茶(こいちゃ)は空腹に飲むと刺激が強すぎるために胃を荒らしてしまいますし、苦みを強く感じることなく、濃茶を美味しくいただけるように事前にお腹を適度に満たして欲しい、という客に対する細やかな配慮がここにも見られます。

こうして料理のタイミングに心を配り、食器や盛り付けにも気を遣い、さらには季節性を重んじ、旬の素材にこだわることで客への最高のもてなしを表しました。

参考・「女礼式の内 茶の湯の図」部分 国立国会図書館デジタルコレクションより

その季節でもっとも美味しいものを、熱いものは熱いうちに、冷たい物はつめたいうちにお客様に食べてもらうことが何より大切なこと、という私たちの食文化は、茶の湯の精神を汲んだ懐石料理から生まれ、定着していったのですね。

そしてこの考え方こそ、その場で作る熱々のおでん、揚げたてのから揚げや、あるいはカフェオレやフラペチーノといったできたての食べ物が数多くそろう現代のコンビニ食文化に繋がったと言えるのではないでしょうか。

引用・参考:
・熊倉功夫著 『日本料理の歴史』 吉川弘文館
・鳥居本幸代著 『和食に恋して-和食文化考』 春秋社
農林水産省 日本食の歴史
表千家不審庵Webサイト「茶の湯こころと美」表千家不審庵Webサイト「茶の湯こころと美」
一般社団法人「和食文化国民会議」Webサイト

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