『葉隠』とは?
『葉隠』は、江戸時代中期、肥前鍋島藩(現在の佐賀県)の家臣・山本神右衛門常朝(じんえもんつねとも/「じょうちょう」とも)の談話をベースに、門人の田代陳基が歴代藩主や戦国武士たちの言行録や聞き書きを加えて整理した武士の教訓書・修養書です。正式名称を『葉隠聞書(はがくれききがき)』、また『鍋島論語(なべしまろんご)』『葉隠論語』とも言い、1710(宝永7)年以降数年かけて、11巻にまとめられました。
1、2巻は常朝の談話の聞き書きを直接まとめたとされますが、3巻以降は常朝の精神をベースとしつつ、さまざまな資料も加えて陣基が編集したと考えられています(3巻以降の内容は、歴代鍋島藩主の談話と姫君の消息や言行、佐賀藩や他藩の藩士の言行など)。
なお、田代陳基自身が書いた原本は発見されておらず、当時出版されたものもないため、現在は内容が少しずつ異なる「写本」群を参考にした解釈がなされています。
山本常朝とはどんな人?
常朝は9歳のころから、藩主光茂の「御側(おそば)」として常に主君の側近くで雑用や身の回りの世話をしていました。武道に長け藩の要職にもついていた名門一族のなかでは「特異的に身分の低い」扱いで、常朝も自分の立場について非常に悩んだようです。
後に対外的な業務も任せられる中堅職になりましたが、1700(元禄13)年に光茂が亡くなると、出家して旭山常朝(きょくざん じょうちょう)を名乗りました。そして当時の武士のありように義憤を覚え、『葉隠』を語るに至ったとされています。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、「武士は死ぬべき」とは言っていない
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、武士はむやみやたらと死ぬべき、と主張しているわけではありません。
使っている言葉がこの前後の文章も含めてかなり尖っているため、真意を読み取りづらくなっているのは確かなのですが、『葉隠』全体を見渡すとこの言葉の目指すところが見えてきます。

「自分のやるべきことが何かを深く考え、自分さえ良ければという考えを捨て、必要ならば、ためらうことなく命をも投げ出すのが武士というものである」
研究者によって多少の解釈の違いはあるものの、『葉隠』のベースにあるのがこうした思想であるという視点は一致しているようです(言葉自体の詳細は後述)。
直接的な生き死にどうこうよりも、やるべきことをしっかり見据えて実践する精神について語っている。だからこそ、礼儀作法や身だしなみ、恥をかかないマナーなどにまで内容が及んでいるのだと考えられています。
『葉隠』の時代背景
『葉隠』がまとめられたのは江戸時代中期、血で血を洗う戦国時代の終焉から100年が過ぎていました。武士も、主君を追って死ぬこと・私闘などを禁じられ、喧嘩両成敗の考え方も広く浸透していたため、話題といえばお金やファッション、色恋についてなど。そして、自分の利益ばかりを考えて、本来やるべきことをやらない。常朝にとって到底許しがたい有様だったようです。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の直前の一節には、「武士たる者は武士道について常によく考えているべきだが、これがどういうものなのかと問われて答えられるものはほとんどいない」と嘆きの言葉が書かれています。
実際に戦って死ぬことがほぼない時代に、だからといって心までだらけていてはいけない、と諭す意図で書かれたものだったのです。
本当は焼き捨ててほしかった?
『葉隠』の冒頭に、以下の言葉が記されています。
この始終十一巻は追つて火中すべし。世上の批判、諸士の邪正、推量、風俗等にて、只自分の後学に覚え居られ候を、噺の儘に書き付け候へば、他見の末にては意恨悪事にもなるべく候間、堅く火中仕るべき由、返すがえす御申し候なり。
ざっくり言うと、「(常朝が)自分のために覚えていたものをそのまま語って、(陳基が)それを書き留めたので、意図しない方向に誤解されたりトラブルになったりするかもしれないから、焼き捨ててほしいとおっしゃっていた」という意味になります(もともとの発言者が常朝なのか陣基なのか、対象が全巻なのか1、2巻のみなのかは解釈が分かれるよう)。
(※小池喜明『葉隠――武士と「奉公」』の解釈によると、文章のとらえ方に加えて、当時の事情を知る人たちからすれば、名前を伏せていても誰のどんな出来事だったか分かってしまうから、という面もあったのではといいます)

本心から焼き捨ててほしいと願っていたかは疑問の残るところのようですが、この強烈なインパクトを持つ一文「武士道とは死ぬことと~」だけが切り取られて独り歩きしがちだったことを考えると、そうした懸念が、残念ながら杞憂ではなかったと言えるのかもしれません。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の原文・現代語訳・英語訳
『葉隠』は全十一巻に及び、ここで全文を紹介することはできませんが、「武士道とは死ぬことと見つけたり」を含む一節「聞書第一ノ二」の原文・おおまかな現代語訳をご紹介します。
また、日本の文化を深く研究していたウィリアム・スコット・ウィルソンによる「武士道とは死ぬことと見つけたり」部分の英訳もお楽しみください。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわつて進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて図に当るやうにわかることは、及ばざることなり。我人、生きる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。」
(現代語訳・大意)武士道とは、死ぬことである。生きるか死ぬかの二択を迫られたなら、死ぬほうを選べばよい。特に変わったことではなく、腹をすえて進むということだ。目的を果たさずに死ぬのを無駄死にと批判する意見もあるが、瀬戸際では思うようにならないもの。
人は生きるほうが好きで、そちらに理由付けしがちだが、この考えは(武士にとっては)危険である。無駄死にであっても武士道精神から見れば恥にはならない。
毎朝毎晩、死んでも心残りはないと改めて腹を決めていれば、武士道にそむくことなく、一生落度もなく、武士としての務めを果たすことができるのである。
The Way of the Samurai is found in death.(ウィリアム・スコット・ウィルソン:英訳)
現代にも役立つ? 『葉隠』の名文
『葉隠』には今では感覚の共有が難しい箇所も多くありますが、現代にも通じる視点・ヒントが散りばめられています。ごく一部ですが、ご紹介しましょう。
誤(あやまり)一度もなき者はあぶなく候(そうろう)
失敗が一度もない人は、かえって信頼が置けないものだ。
義を立つるを至極と思ひ、一向に義を立つる所に却って誤(あやまり)多きものなり
正義こそが一番すばらしいものだと考えて、正義ばかりを通すと、かえって間違いが多くなるものだ。
仕合せよき時分、自慢と奢(おごり)があぶなきなり。その時は、日来(ひごろ)の一倍つつしまねば、追ひ付かざるなり
順調に進んでいるときは、自慢とおごりの危険性が高まる。そういうときには、普段の倍、気を付けるようにしないといけない。
よく知りたる事は、その振(ふり)見えず
深く知っていることほど、自慢などせず、知っている様子も見せないものだ。
たやすく知るる事は浅き事なり
簡単に知ることができるのは、浅いところまでだ。
剛臆と言ふものは、平生当りて見ては当らず。別段にあるものなり
その人が勇敢か臆病かというのは、普段の様子を見ていても分からない。何かが起きて分かるのだ。
人間一生誠に纔(わずか)の事なり。好いたる事をして暮すべきなり
人の一生というのは、本当に短いものだ。好きなことをして暮らすべきである。
『葉隠』に魅了された文豪たち
『葉隠』に心惹かれ、関連の作品を執筆した文豪たちがいます。
もっとも有名なのは、『葉隠』に深く傾倒していた三島由紀夫の『葉隠入門』でしょうか。
また、隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』、安部龍太郎『葉隠物語』も長く読み継がれている名作です。
アイキャッチ画像:柳々居 辰斎(りゅうりゅうきょ しんさい)『Samurai Admiring Pine-Tree and Plum Blossoms』メトロポリタン美術館より
主要参考文献:
・小池喜明『葉隠――武士と「奉公」』講談社学術文庫
・和辻哲郎・古川哲史校訂『葉隠』岩波文庫 上・中・下巻 岩波書店
・ウィリアム・スコット・ウィルソン(英訳)松本道弘、大宮司朗(現代語訳)『対訳葉隠』講談社インターナショナル株式会社
・『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
・『世界大百科事典』平凡社
・『デジタル大辞泉』小学館
・『国史大辞典』吉川弘文館

