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2026.04.29

懐の深さは折り紙付き?豪快な豊臣秀吉、余裕の伊達政宗 戦国武将爆笑エピソード集(F・F編)

今回の記事は、本編に入る前に。
まずは、サブタイトルの解説から。

じつにこれまで長い間。
「戦国武将爆笑エピソード集」を書いてきたが。
最近になって、困りごとが出てきた。
というのも、サブタイトルがスパッと決まらないのだ。

「怪異編」「シゴデキ編」「胸キュン編」。
これらはビビッと閃いたからか。
内容を端的に表していて、とても気に入っている。

だが、今回のように「懐が深い」逸話となると。
なかなか、どうして。
ゴロの良いモノが浮かばない。
さらに、次回予定している「冷静沈着」な姿が魅力の逸話となると。
その苦労は言うに及ばず。

そんな悩みから、ダイソンが導き出した戦略は……
「省略」か「造語」。
この2択だったのである。

ということで、今回の戦国武将爆笑エピソード集はというと。
「F・F編」=懐が深い編。

ああ、もう。
読者の方の怒りが波動のように……我が身を貫いて。
「んな、しちめんどくさいことせずにさ」
「だったら『懐深い編』とかにしろよっ」
そんな声が聞こえそうで、聞こえない(聞こえないのかよ)。

いや、まあ。
そりゃ、おっしゃる通りなんですけどね。
だけどね、コチラとしてもやはり目新しいものを日々、提供しないとってね。

さあ、言い訳はここまでにして。
今回の「戦国武将爆笑エピソード集」はというと。
繰り返しになるが、戦国武将の「懐の深さ」が分かる逸話を絞りに絞ってセレクト。

さても、どなたがご登場されるのやら。
それでは、早速、ご紹介していこう。

※冒頭の画像は、歌川広重(1世)「名所江戸百景」「蓑輪金杉三河しま」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)となります
※本記事は「豊臣秀吉」「伊達政宗」の表記で統一しています

豪快過ぎる豊臣秀吉のひと言

まずはおひとり目。
今年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、絶賛注目を浴びまくっているあのお方。
ネタが豊富な「豊臣秀吉」である。

歌川豊宣 「太閤記新撰寿語禄」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

カリスマ性溢れる織田信長のあと、カオスを制して天下人の座を掴んだ秀吉。
横並びの家臣の中から一歩抜け出し、そのまま突っ走ってゴールイン。天正10(1582)年6月に起きた「本能寺の変」から約3年後の関白就任は、まさに電光石火の早業といえるだろう。

さらに、翌年の天正14(1586)年には太政大臣となり、そこから一気に西日本のエリアを掌握。最後の仕上げに小田原征伐、奥州平定を成し遂げ、天正18(1590)年に悲願の天下統一を果たす。疾風の如く時代を駆け抜け、あれよあれよという間に頂点へと昇りつめたのである。

──実力と運
後世において、秀吉はそのふたつを併せ持つと評価される。
本人もうっすらと自覚していたのかもしれない。だからか、秀吉の言動はいつも私たちの予想の斜め上を行く。恥ずかしげもなく自画自賛する姿は日常茶飯事。風呂敷を広げ周囲に壮大な夢を語るのも彼の十八番。仮に実現されなくても、それはそれでご愛敬となるワケだ。

まあ、それが魅力といえば身も蓋もないのだが。
そんな振る舞いができるのも、我が身に対してほどほどに「緩い」からこそ。逆をいえば、他人にも寛容の精神で。時には失敗もウェルカムモード。その一面だけをみれば「懐が深い」という表現もあながち間違ってはいないだろう。

今回は、そんな秀吉の「F・F(懐が深い)」逸話をご紹介する。
出典は戦国武将ら192名の言行をまとめた『名将言行録』より。
選びに選んだエピソードのテーマは、なんと「鶴」。

一魁斎芳年 『東海道名所之内 由比ケ浜』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

鶴?
なんでまた?

確かに、なんでやねんと突っ込まれれば。
答えはズバリひと言。
秀吉が「鶴」を好きだからである。

日本では古来より亀と共に「長寿の象徴」とされた鶴。じつは、そんな鶴を秀吉は好んでいたとか。恐らく観賞用ではなく、食用のためだろう。なんなら鶴を飼ってまでいたというから、なかなかの好物だったに違いない。

ふむ。
現代に生きる私たちからすれば。
「鶴を食す」コト自体が非常に奇怪に感じるのだが。どうやら、当時はそうでもなかったらしい。
戦国時代末期から日本で布教を続けていたイエズス会宣教師のルイス・フロイス。彼が著した『日欧文化比較』(『ヨーロッパ文化と日本文化』)には、このような一節がある。

ヨーロッパ人は牡鶏や鶉(うずら)・パイ、ブラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ
(ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』より一部抜粋)

秀吉だけではない。
当時の日本人は、鶴を喜んで食していたというではないか。いやいや、それよりも。もっと気になるのが「野犬」や「大猿」。色々ツッコミどころが多いフロイスの観察記録なのだが、ここは深追いしないでおこう。

さて、そんな好物の鶴を飼っていた秀吉に、突然、災難が降りかかる。
なんと、番人が誤って鶴を逃してしまったというのである。

ほな、さいなら……と言ったかどうかは知らないが。
秀吉の元から、優雅に飛び去ってしまった鶴。
これには番人もどうしようもできず。正直にコトの経緯を秀吉に報告し、罪を償おうとしたという。

「またな、あばよ」と消えた鶴……。
歌川広重(1世)「名所江戸百景」「蓑輪金杉三河しま」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

番人の話を聞いたあとで。
秀吉はひとつだけ質問をした。
一体、何を訊いたのか、ご想像できるだろうか。
ポイントは秀吉が「天下人」であるというコト。この視点でお考えいただきたい。

気になる秀吉の問い。
それは、ズバリ。
──鶴は「他国」へ行ったのか?
そんな質問を番人にぶつけたという。

番人はこう答えた。
飼っていた鳥であるため、そこまで遠くには行っていないだろうと。

この答えに、なんと、秀吉は笑ったとか。
そして、ひと言。
さあ、ここからがご注目。天下人である秀吉の「迷答」……いや、「名答」の内容は……。

「わしの手のおよぶところなら、みな同じ囲(かこい)のなかだ。このなかで失ったのなら、また手に入れることもできよう」といって、その番人をゆるした。
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)

はいっ、来ましたっ!
さすがは天下人ならではのお言葉。
「他国」、つまり、我が支配の及ばぬところであれば、取り戻すことはできない。それも、まあ、詮無い(仕方のない)ことよ。そんな感じのニュアンスであろうか。

だが、逆をいえば。
「他国」以外ならすべては同じコト。
鶴がどこにいようが、天下人である自分から逃れることはできないのだと。自信満々の秀吉の顔が目に浮かぶ。好きな時にはいつでも手に入れられる。そんな自画自賛が溢れすぎて、もはや別次元の境地に到達。

さらに、番人を笑って赦すあたりがさ。
これまた秀吉の懐の深いところ。

かっけー。
やっぱり、かっけーよ。
うん?
いや、かっけーのか?

冷静に考えると。
飛び去った同じ鶴を探して再び捕獲するのは、さすがにムリじゃね?
なんだかんだいっても、隠れるところ、いっぱいあるからさ。

その後。
鶴が捕獲されたかは不明。

ほな、さいなら。
鶴の決心は、意外と固かったようである。

その余裕が怖すぎる伊達政宗

次におふたり目。
最近、出番が少なかったコチラのお方。
実力、野望を十分に兼ね備えていながら、世に出るタイミングがちょいとばかし遅かった奥州の覇者、仙台藩祖の伊達政宗である。

「伊達黄門政宗公像」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

正直なところ、今回の「F・F(懐深い)編」に取り上げるか、一瞬だけ躊躇した。
というのも、伊達政宗に関する記事は、じつに「戦国武将爆笑エピソード集」以外にも多くある。だから、読者の皆さま方に飽きられやしないかと心配したのだ。だが、なんといっても、彼も個性派。唯一無二の複雑キャラ、破天荒にみえて繊細さを併せ持つ独特の武将なので、そう簡単にはスルーできないと思い直した次第である。

さて、政宗といえば。
実力がありながら「運」に恵まれなかった男というイメージが強い。運も実力のうちとはいうが、彼の場合は「運」というよりも「タイミング」を逸したという表現がピッタリだろう。

先ほどご登場した天下人の秀吉とは30歳ほどの年の差がある。次の天下人となった徳川家康とは25歳ほど。もう、出生の時点で、既に出遅れ感満載である。いくら力を蓄えたところで、新たな世は築かれてしまっているのだ。そう安易に手を出すこともできず。確固たる枠組みの中で、実力と野望を持て余しながら生きるしかない。

もちろん、時にはうっかり野望が表に出てしまうことも。
特に天下人の秀吉とは、緊迫感漂う対峙が2度もある。それでも派手なパフォーマンスと、徳川家康らのフォローもあり、見事、窮地を脱することに成功。周囲をヒヤヒヤさせて「ジ・エンド」となったのである。

そんな政宗に関する逸話は「野望」に関するもの。
出典は、同じく『名将言行録』より。豊臣家滅亡という幕引きとなった「大坂夏の陣」も終わり、徳川一強となった江戸時代。既に家康はこの世を去り、2代将軍「秀忠」の時世の話である。

楊洲周延 「彫畫共進會之内 徳川家将軍圖解」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

伊達政宗が江戸城大広間にいた時のこと。
はて。
どこからか、執拗な視線を感じ取った政宗。
周囲を見渡すと、ひとりの男がコチラを熱心に見ているという。まさしく「目を離さず」とは、かようなコト。

件の謎の男。
水戸の「徳川頼房(よりふさ)」の家臣で「鈴木石見(いわみ)」と名乗ったという。
山本秋広著『佐竹秋田に遷さる 増補3版』によれば、「石見」とは通称だ。名は「鈴木重好(しげよし)」。

簡単な経歴はというと。
徳川家康の家臣として「三方ヶ原の戦い」より出陣。のちに徳川四天王の1人である「井伊直政」の配下に属し家臣団の筆頭格となるのだが。直政の没後、家中騒動に巻き込まれ、重好は井伊家を離れることに。
それでも「大坂の陣」では武功を挙げ、元和4(1618)年、2代将軍秀忠の命で水戸藩祖の徳川頼房に仕え、家老となっている。

ちなみに「徳川頼房」とは。
家康の十一男として生まれ、水戸藩祖となった男である。
そんな頼房の刀を持ち、政宗の方をじっと見ながら座る鈴木石見。

さすがに、政宗もスルーはできず。
ダイレクトに相手を問いただすことに。
どうして、そこまで自分に執着し片時も目を離さないのか。その理由を訊いたのである。

これに石見は臆することなく。
まさかの大胆不敵な言葉を返したという。

奥州で謀反を起こすものといえば、あなた様のほかにはありませんから、この機会にあなた様のお顔をよく覚えておき、もし謀反なされた場合には、拙者がその御首を取ろうと思って、このようにみております。水戸家中において、御首を取れる者は、拙者のほかにはおりません。
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)

東洲勝月 「観古東錦 舊徳川八代将軍宣下之圖」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

これは、一体……?
牽制か、挑発か。
正直なのか、腹黒なのか。
受け取る相手次第では、その言葉の意味も大きく変わってくるだろう。

ならば、政宗はどう反応したのか。
これは非常に気になるところである。一応、念のためだが。「F・F(懐が深い)編」に取り上げたとなれば……。
ふむ。さすがに政宗も怒ることはないだろう。
とすれば、どのように答えたのか。
それがコチラ。

われでなくては奥州謀反を起こす者はないとみられたのは、いかにもよい目利きだ
(同上より一部抜粋)

え?
褒めてる?
というか、フツーに喜んでる?
なんで? なんでなの?

まさか、政宗、「М気質」とかじゃないだろうな。
だって、こんな疑いを正々堂々と突き付けられたなら。一般人の感覚では、目をつけられたと焦る場面のはず。それなのに、喜ぶとは何事だ。

政宗というこの男。
「懐が深い」を通り越して、ぶっとびまくり。
やはり、一般人とは「器」が違うのか。全くもって底が知れん。

ただ、一方で。
政宗の置かれた立場を想像してみると、これまた異なる新しい見方もできる。
大きな野望を持ちながらも、枠内に収まって生きるしかなかった我が人生。
そんな行き場のない気持ちを持て余す政宗に対して。
「謀反」を起こすという噂。

それはつまり、江戸幕府の礎を築いた徳川家に歯向かうだけの力を持ち、とんでもないほどの度胸があると言われたも同然なのだ。それも、言い出したのはあの徳川御三家のひとつ、水戸藩祖の徳川頼房の家老。となると、恐らく主君である「頼房」、神君と呼ばれた徳川家康の子からも一目置かれているはず……。

月岡芳年 「徳川累代像顕」  東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

ワシって。
まさかの。
「他の大名とは一線を画す存在」ってコト?(by政宗)

そりゃ、喜ぶわな。
ほんでもって。
つい、親切にもなるわな。
というコトで。政宗が起こした行動がコチラ。

頼房にも断って私邸に招き、自分で給仕して特別の馳走をし、一日じゅう顔をみせてやったという
(同上より一部抜粋)

いいねえ。
まず、私邸に招くあたり。
パーソナルエリアに迎えるとは、よほどの余裕がないとできないコトだろう。
その上、自ら給仕して馳走を振舞う。さらにさらに。そんだけ見たいなら好きなだけ見るがよいとばかりに、一日中、顔を拝ませたとか。

かっけー。
やっぱり、かっけーよ。
うん?
これって、かっけーで合ってるのか?

冷静に考えると。
ちょっとさ、喜び勇みすぎじゃね?
それにさ、なんといっても、もう圧強すぎじゃね?

確かに「懐が深い」といえなくもないが。
その前に、懐の中を一度整理することをおススメする。

やはり、内なる「野望」を飼い慣らすのは。
あの政宗であっても、よほど難しいようだ。

最後に

豊臣秀吉も、伊達政宗も。
やはり、後世に名を残す武将は、懐の深さの度合いが違う。

最後に。
おひとり目としてご紹介した秀吉の逸話について補足しておこう。
鶴を誤って逃がした番人を赦したところで。
ダメ押しの一言を秀吉がぽつり。
それがコチラ。

天下にはわしにそむく者はあっても、わしに勝つ者はいない
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)

なんでも、秀吉は常にこの言葉を近臣に向かって言い放っていたという。

確かに、歴史をみれば。
秀吉に勝つ者はいなかった。
だが、「秀吉」ではなく「豊臣家」と置き換えれば……。

秀吉亡きあと。
どのような結末が待っているか。
それこそ、知らぬが仏。

いや、「F・F(懐が深い)」秀吉のこと。
案外、笑って済ますのかもしれない。
「詮無い(仕方がない)」と言葉を残して。

参考文献
『南蛮史談』 岡田章雄著 人物往来社 1967年
『佐竹秋田に遷さる 増補3版』 山本秋広著 山本秋広 1969年
『伊達政宗のしたたか人間学』 風巻絃一著 三笠書房 1986年11月
『ヨーロッパ文化と日本文化』 ルイス・フロイス著 岩波書店 1991年6月
『名将言行録』 岡谷繁実著  講談社 2019年8月
『戦国、まずい飯!』 黒沢はゆま著 集英社 2020年2月
『伊達政宗の素顔 筆まめ戦国大名の生涯』 佐藤憲一著 株式会社吉川弘文館 2020年9月

「戦国武将爆笑エピソード集」シリーズ一覧はこちら

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Dyson 尚子

京都出身のフリーライター。北海道から九州まで日本各地を移住。現在は海と山に囲まれた海鮮が美味しい町で、やはり馬車馬の如く執筆中。歴史(特に戦国史)、社寺参詣、職人インタビューが得意。
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