Culture

2026.06.07

たかが石、されど石。「下を向いて」歩きたくなる、黙っていられない「石の伝説」

おもしろい石を見つけたとき、私の心はときめく。出合いは突然やってくる。だから私は下ばかり見て歩いている。
石は硬い。そして、もの言わない。もし石に性格があるとしたら、きっと寡黙で堅物な奴にちがいない。人間ならば信用に値するが、なにせ石なので恋の相手にはならない。が、道具にはなる。石をお守りにする人もいる。石は想像よりずっと役に立つ。石にまつわる物語を知れば、もしかすると石を相手に恋だってしたくなるかもしれない。

かつて狐だった石

五柳亭徳「三国妖狐殺生石」文政13年
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
(https://dl.ndl.go.jp/pid/9893720/1/13)

那須温泉郷(栃木県)の湯元温泉街に迫る山の斜面に、不思議な石がある。

むかし、帝の愛を一身にうけた玉藻前(たまものまえ)という美女がいた。その正体は白い顔に金の毛でおおわれた中国渡来の九つの尾をもつ、いたずら狐だった。
玉藻前を愛してから、帝は日増しに衰弱していった。不審に思った陰陽師によって化けの皮を剥がされた美女は、九尾の狐にもどり、那須野へ逃げた。
九尾の狐は那須野でも悪いことばかりして道行く人を苦しめた。それで、とうとう退治されることになった。
次に九尾の狐が化けたのは、大きな石だった。石が相手では、どうすることもできない。しかもこの石、あたりに毒をふりまきはじめた。
あるとき徳の高い僧がやって来て、毒石の前でありがたい経をあげた。すると石はあちこちへ飛び散り、そのひとつが那須温泉郷にある「殺生石」になったという。(栃木県の伝説)

この石にまつわる伝説は、いろんなふうに語られてきた。九尾の狐はかつて人を惑わして国を滅ぼした女だったとか、武士に弓で射られた九尾の狐が怨霊となって石に憑依した、とか。
話の内容にちがいはあれど「殺生石」であるということには変わりない。人も動物も、毒気で近づく者を殺してしまう、物騒な石である。

化ける石

「化け石」と呼ばれる石は日本各地にあるけれど、そんな名前がついている石には、用がなければ近寄らないほうがいいし、できれば前を通るのも避けたい。

旅をしていた六部(ろくぶ)は、日が暮れたのである家に泊めてもらうことにした。しかし家の主は悪者で、六部のもっていたお金に目をつけた。
家の主は六部を殺すと亡骸を畑の隅に埋め、そのうえに石を乗せた。そうして素知らぬ顔をしていたが、やがて石は化け石となって六部の姿で現れるようになったという。(長野県の伝説)

もし石の近くを歩いているときに呼びかけられても、足を止めてはいけない。振りかえってもいけない。それがただの石ではないこともある。

岩手県の杉木立のなかには大きな石があって、やはり化け石と呼ばれているらしい。夕暮れ時、女性が石の前を通ると美男子に、男が通ると美女に変身して通行人を惑わすという。

なにが楽しくてそんなことをしているのか知らないが、ただの石ころでないのはたしかだ。

石から聞こえる声に注意

歌川広重「日坂 佐夜ノ中山」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
(https://dl.ndl.go.jp/pid/1309906)

石の近くで声をかけられたら、聞こえないふりをして通り過ぎること。猫がニャアと甘えてすりよって来ても、心を鬼にしてその場を去ること。
かつて栃木県には猫の声を発する怪しい石があって、村人がこれを割ると、いなずまを発して怪しいものが飛び去ったという。

赤ん坊の泣き声を発する石(栃木県)とか、夜更けに女の泣き声が聞こえる石なんてものもある。朝には、涙のあとが石に残っているという(山形県)。

群馬県には、夜中になると声をあげて泣く石がある。そのまま通り過ぎると、声はどこまでも追いかけてくる。成す術なし、と思いきや、草履の毛をむしり、投げつけるのが効果的らしい。
刀の紐をすこし切って投げるのも良いというけれど、現代人のおおくは草履を履いていないし刀も差していないので、声に追いかけられても成す術なしである。

吐血する石

群馬県には飛石と呼ばれる大きな岩があって、話によれば、この岩は赤城山の爆発のときに飛んできたらしい。あるとき石屋がこれを使おうとノミを打ちこんだ。するとノミを入れたところから血が噴き出したという。そして石屋は体が痺れて、ほどなく死んでしまったとか。

福島県には、海へ出たまま帰らない夫を待ちわびて、いつしか石になってしまった妻の話が伝わっている。この石に傷をつけると、群馬県の妖石とおなじように血が出るという。
この石が流す血はおそらく、愛する人を待ちわびた女の鮮血にちがいない。きっと瞳から涙をこぼすみたいに、血がとくとくと流れ出るのだ。

石が血を流すなんて、昔話蒐集家の私だってまさか本当に信じているわけではない。ただ、こうした話が嘘だとするなら世の中に数多ある伝説は、いったいどんなふうにして語られ始めたのだろうかと考えずにはいられない。

硬い石に宿る、柔らかくて壊れやすい心

歌川国久「金毛九尾の狐」
出典:東京都立中央図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00051524)

小さいときから石が好きだった。そうして地面ばかり見ていたせいで視力は落ちたが、石を見つけるのは上手くなった。
石を拾って持ち帰るのはよくない、と聞いたのもそのころだ。理由はふたつ。ひとつは石を持ち帰る行為は(場所によっては)法律で禁止されているため。もうひとつは、石には、よからぬものが憑いていることがあるから。

石は、あらゆる霊魂のよりしろになっている。
古い魂呼びの作法では、石が使われることがある。
悲しくも子どもの魂が体を離れてしまったとき、小石を子どもの膳のうえに置き、その小石に子どもの魂がよりつくように願うのだ(沖縄県)。

人の魂は、石によって蘇生し、復活し、人前に姿を現す。この小さな(ときに大きな)空間は、魂を留めておくことのできる神聖な場所でもある。

たとえば「腰掛け石」と呼ばれる石がある。誰が腰かけたのかというと、偉い坊さんや武将たち。これに座ると、ときには触っただけでも祟りがあるというから、おちおち座れない。世の中には、神がこの世に降りたときに残した証(石の跡)なんてものもある。

石にまつわる奇妙な物語は日本各地にあって、多様なヴァリエーションで現代まで語り継がれてきた。
伝説は出来事の記憶装置だ。荒唐無稽と思えるような話でも、その内容には真実が隠されていることがある。豊かな感性をお持ちの読者なら、物語のなかに民俗信仰を読みとることもできるかもしれない。

下を向いて歩こう

たかが石、されど石。石の神秘性には語りつくせぬ魅力がある。硬くて冷たくて、そんな石から心豊かな伝説がこうもたくさん生まれてきたことに感動する。
豊かな自然の中で生き、自然を愛してきた人たちから、こうした伝説が生まれてきたことを思うと、石が、それほどまでに人びとの生活と切り離せない特別な存在だったということがわかる。
というわけで、今日も私は下を向いて歩いている。私はやっぱり、石が好きである。

【参考文献】
「民話と伝説」学習研究社、1977年
小松和彦「憑霊信仰論」講談社、1944年

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馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
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